拓斗と彩
「聞いてよ輝紀!」
俺があるアパートの部屋の扉を開けると、近所迷惑極まりない声が部屋の中から聞こえてきた。
……また始まった。どうせ、「拓斗ったら酷いんだよ!」と続くんだろう。
中に入り、玄関の扉を後ろ手で閉めながら、次聞こえてくるだろう言葉を想像する。
「拓斗ったら酷いんだよ!」
ほらな……。予想していた通りの彩の言葉に、俺は深い溜め息を吐いた。
俺は昨日、彩からメールで彩の暮らすアパートに呼び出しを食らっていた。
どういった内容で彩から連絡があったのか、その詳細はメールには書かれていなかったが、俺はすぐに内容がなんなのか予想がついた。
俺が呆れ顔で玄関先で突っ立っていると、彩が俺に走り寄って来、早く中に入って話を聞けと言わんばかりに腕を引っ張ってきた。
「ちょっと彩! 靴くらい脱がせろ!」
「まだ靴脱いでなかったのかよ! 早くしろよな! まったく、いつから輝紀はどん臭くなったんだ?」
折角の人の休日を邪魔して、あまつさえ呼びつけておいてなんて言い草だ。いつになく強引な彩に本気で呆れながらも、急いで靴を脱いで部屋に上がる。急がないと本当に靴を履いたまま部屋の中に入らされそうだったのだ。
「で? 今日はどんな話なんだ?」
俺が座るまで彩は腕を離す気がないのだろう。彩に引っ張られるまま歩きながら、俺の方から話を振る。
「拓斗がひでえの!」
「それはさっき聞いた。何が酷いのかって訊いてんだよ」
玄関から入ってすぐにある八畳間の部屋まで移動し、ようやく彩から開放される。俺は上着を脱ぎながらその場に座り、話を続けた。
彩はベッドの上に勢いよく座ると、拓斗に対する不満を話し始めた。
「昨日、拓斗が家に来たんだよ。アポなしで来たからびっくりしたんだけど、でもやっぱ会えるだけで嬉しいじゃん? なのにさ、拓斗ったら来て早々『ヤろう』って言ったんだぜ!?」
彩の話を耳にし、聞きたくないという気持ちが沸き上がってきた。なんだか嫌な感じが……。
ただの拓斗に対する愚痴だったら、いくらでも聞いてやる。俺だって、彩に散々雅臣の愚痴を言ってきたのだから。
だがしかし、今日の彩の雰囲気からすると、普通の愚痴とは内容が違う気がしてならない。
俺の予感よ当たってくれるな。心の中で手を合わせて祈りながら、しかし彩の話を中断することはせずに耳を傾け続ける。ここでちゃんと話を聞いてやる俺って、友達想いだな。とか考えてみる。
「別にさ、エッチは嫌いじゃないよ? どっちかって言うと好きだよ。大好きだよ。でもさ、一週間ぶりに会った恋人に開口一番『ヤろう』って酷くないか!? 俺はヤるためだけに拓斗と付き合ってるんじゃないんだぞ!? もうちょっと恋人らしい会話のひとつでもあっていいじゃん!?」
「……でもヤったんだろ?」
「そりゃもちろんヤるさ! 拓斗とのエッチほど気持ちいいのはないんだから! でも、気持ちって大事じゃん! ムードってのがあるじゃん!」
「お前がそんなことを言う日が来るとはな……」
彩の言葉に感心する。拓斗と出会ってから、彩の考え方はかなり変わった。それも良い方に。
心から好きになる相手が現れたというだけで、人間こうも変われるものなんだな。
「彩は、いい恋をしてんだな」
「なんで今の話の流れでそういう解釈できるんだ輝紀は? 俺の話、ちゃんと聞いてた?」
俺の呟きに、彩が怒った顔をする。
俺が言ったことは本心なのだから仕方がないし、それに、今話しを逸らしておかなかったら興奮した彩がとんでもないことを口走りそうだったのだから、それを止めるためにも仕方がない。
間違っても俺は、濃密な内容の話しなんて聞きたくもない。友達だけに、いや、彩だからこそ、聞きたくはなかった。
「お前は拓斗に、不満言わなかったのか?」
どうにか話を健全な方向に持っていこうと、俺から彩に質問をする。
「もちろん言ったよ。けど、なんでか頑ななまでにヤろうヤろう言われて、諦めた。まあ、その仕返しに長い時間イかせてやんなかったけど。拓斗のどこもかしこも縛って、俺優位にヤってやったけど」
ヤバイ。と思ったが、時すでに遅し。
彩は拓斗の愚痴を言うよりも、本当はこれが目的だったのではないのかと言うくらいに、セックスの内容やその時の拓斗の様子について話し始めた。
聞きたくないと話を逸らしたはずだったのに、どうやら俺は自ら墓穴を掘ってしまったらしい。
彩の話は三十分以上も続いた。どうしてそこまで赤裸々に話すことができるんだ。いくら俺が相手だからって、もう少し恥じらいというものを持つことはないのか。
耳が、脳みそが……犯された……。
「あー! 話した話した! 話したら喉乾いたー。輝紀もなんか飲む?」
「……おかまいなく……」
散々話し終え、彩はようやく満足したらしい。……俺は疲れきってしまったが。
彩は満足感で一杯なせいか、俺の疲労に気づく気配もない。
……一瞬だが、彩と友達を止めたくなる。
冷蔵庫の方に移動している彩の背中を恨みたっぷりに睨みつけた。
「……ん? 彩、携帯鳴ってるぞ」
俺が彩を睨んでいると、彩の携帯が振動し始めた。
着信音は鳴らない。バイブだけが存在を主張していた。
彩は俺の言葉を聞き、冷蔵庫から踵を返して携帯の元に移動する。
バイブが鳴り止まないところから察するに、電話なのだろう。案の定、彩は携帯を確認すると、通話ボタンを押した。それも、かなり不機嫌そうに。
「……何? なんか用なのかよ?」
刺々しい声。そして、電話に出る前の彩の反応。
「拓斗か?」
彩が電話をしていることは分かっていたが、俺は彩に問いかける。
「うん。そう、拓斗から。……あ? 輝紀が来てんだよ。……ああ、そう。……だからなんだって。……。……は? 何言ってんの来てると――」
怒ったような彩の声が聞こえたと同時に、部屋の中にインターホンの音が鳴り響く。
……いや、まさか、そんなお約束な……。
二度、三度とインターホンが鳴る。しかし、彩は玄関の方に行こうとはしない。しかも、電話を切って携帯をベッドの上に放り投げたのだ。
「……もしかして、拓斗来たのか?」
「ああ、そうらしいな」
「らしいなって、出ないのか?」
「知らねえよあんな奴」
「彼氏なのに?」
「彼氏だから、知らねえんだよ」
俺に話したことで発散されたはずであろう彩のイライラが、再び募り始めているのが目に見えて分かる。
目の前には不機嫌な彩。背後には今もインターホンを鳴らし続けている拓斗。
……お約束過ぎる展開に、笑ってしまいたくなる。いや間違った。泣きたくなってくる、が正解だ。
「……煩いんだが」
「なら輝紀出てよ」
「なんでお――」
『彩! 彩!! お願いだから出てくれ! 俺が悪かった! 謝るから!!』
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