恋愛部成就課
報告書NO.01(1)
今日で俺は三十歳になった。恋人いない暦=年齢の俺は、俗に言う【魔法使い】になってしまった。
……俺は、一生魔法使いのまま歳を取っていくのだろうか。
今まで、恋人ができそうになったことは何度かあった。しかし、いい雰囲気になっても、どうしてもその先に進んだことがなかった。
きっと、俺に男としての魅力がないのだろうと諦めているが、一度でいいから愛のあるセックスをしてみたい。風俗で筆おろしは、できれば経験なんてしたくない。
男の癖にこんなことを考えているから、いつまで経っても童貞のままなのだろう。そんなことはわかっているが、もう若くない俺は、若い時のように恋や肉体関係を軽く考えることができなくなっていた。
ようやく着いたアパートの前で、会社の同僚で、俺が童貞だということを知っている男から貰ったアダルトビデオの入った袋に視線を落とし、大きく溜め息を吐くと、ポケットからキーケースを取り出して鍵を開けた。……が、鍵はすでに開いていた。
合鍵を持っている人間は一人しかいない。よりにもよって、なんで今日来たのか。というか、いくら部屋の中にいるからって、鍵閉めるのが当たり前だろう。無用心にもほどがある。
部屋の中にいるであろう人物を思い浮かべ、頭を悩ませながら、ドアノブを回して中に入った。
中に入ると、空腹の腹に染みるいい匂いが俺の鼻腔をくすぐった。
靴を脱ぎ、玄関の鍵をきちんと閉めると、ネクタイを緩めながらリビングに入って行く。
「おかえり、明弘(あきひろ)。サバの味噌煮、好きだよな?」
「まあ、そうだな」
リビングの座椅子を倒して、寝転びながら本を読んでいた幼なじみの勇実(いさみ)が、こちらを見ないまま話しかけてきた。それに答えると、俺はスーツを脱ぎに寝室に向かう。
「今温めるな」
「んー」
すっかり馴染んでいる会話風景。勇実がいつの間にか俺の家にいて夕飯を作っている時は、何かしら話がある時と相場が決まっていた。今日はいったい、どんな話をされるのだろうか。確かこの間は、酒を呑みながら職場での愚痴を延々と聞かされた記憶がある。もしかしたら、今日もそうなのだろうか。……明日が休みでよかった。
そんなことを思いながら部屋着に着替えると、テーブルに食事を並べている勇実を手伝う。愚痴は勘弁して欲しいが、小料理屋に勤めている勇実の料理を食べられるという点は、歓迎できるし、例え男が作ったものだとしても、他人の手料理というものはありがたみがある。
今日は職場で何があった、俺の方はどんなことがあったなど、他愛もない会話をしながら、食事をしていく。
食事を終え、片付け終わり俺は風呂に入った。いつも食事をしながら話が始まるのだが、今日はまだ勇実は話を切り出してこない。今日は特に用もなく来たんだろうか。それなら自棄酒に付き合わなくてすむから、ありがたい限りだが。
美味い飯を食い、一日の汚れを落としてさっぱりして、気分爽快になっていた俺は、今日会社から貰ってきていたものの存在をすっかり忘れていた。
「……勇実、何持ってんだ?」
「これ、あん中に入ってた」
風呂からあがりリビングに入ると、勇実が何かをジッと見つめていた。何をそんなに真剣に見ているのだろうかと問いかけると、勇実が寝室の方を指差した。
指を差した先には、開けっ放しにしていた寝室に、同僚から貰った誕生日プレゼントの袋。その中身を思い出した俺は、頭を抱えた。
「あー、それは……、誕生日プレゼントで貰ったんだ」
この歳になってAVが見つかって恥ずかしい思いをすることになるとは、思いもしなかった。勇実に見られて困ることはないが、こんな気持ちを味わうことになるならば、隠しておけばよかった……。
「……明弘、こういうのがいいの?」
「いや、俺はまだ中身見てないからわからないけど、あいつ曰く、俺の趣味ど真ん中らしい」
「ふーん、こういう奴が、趣味だったのか……」
「……? 勇実?」
低い声で呟いている勇実の様子がおかしい。どこか具合でも悪いのかと、眉を寄せながら近づく。すると――。
「こんなの見て一人でやるより、現実の人間相手にした方がいいだろ!?」
「え!? い、勇実!?」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
「お前、本当は男の方が好きだったのか!? 俺のしてきたことは、無意味だったのか!?」
背中が痛い。頭も痛い。ついでに耳も痛い。どうして勇実は怒鳴っているのだろう。俺が男を好き? そんなまさか。反論をしたいのはやまやまなのだが、いきなり後ろに倒れた衝撃で息が詰まっているせいと、上に勇実が乗ってきた衝撃ですぐに声を出すことができなかった。
「こんな、こんなものに頼るなんて……。こんなので男同士のセックス知るくらいなら、俺で試してくれよ!?」
「え、ええと、勇実くん?」
なんとかして勇実の暴走を止めようと試みるのだが、同じくらいの体型の勇実に上に乗られていては、思うように力を出すことができない。言葉で止めようとしたところで、きっと勇実の耳には届かないだろう。……俺、もしかして貞操の危機に陥っているんじゃないだろうか? 幼なじみに襲われるのか俺……。
いくら恋人いない暦=年齢だといっても、俺は女になりたいわけじゃないんだ!
「勇実!」
「好きだ!」
「……え?」
ふつふつと湧いてきた怒りに任せて勇実を上からどかそうとした時、耳を疑う言葉が聞こえてきた。
「好き……。ずっと、お前のこと好きだったんだよ……。どうせ叶わないってわかってた。だから、幼なじみとしての、一番親しいポジションで満足してたのに、あんなAV見ようとするなんて……。男好きだったなら、打ち明けてくれたらよかったのに……。俺、もしかしてお前にそんなに信用されてなかった? 親友だって思ってたの、俺だけだったのか? 俺の知らない秘密、もっとあるのか……?」
くぐもった声で話す勇実。俯いていて、蛍光灯の光が逆光になっているせいで正確な表情を窺い知ることはできないが、もしかして勇実は泣いてる……?
さっきの言葉は聞き間違いじゃなかったのか。この数十年一緒にいて、初めて勇実が泣いているところを見た。……そんなに、勇実は俺のことが好きだって言うのか……? そんな仕草、一度も見せたことがないのに。彼女だって、たくさんいたのに。
勇実の気持ちの確信を得たい。そのために問いかけようとしたのだが、俺の口は言葉を発するよりも前に塞がれてしまった。
「んっ!? んんっ!?」
初めての感触。温かくて柔らかい。……て、そんな感想を抱いてる場合じゃなくて。
キスをされてしまった。三十年生きてきて、初めてのキスが男相手。それだというのに、まったくショックは受けていなかった。これが告白の効力というもんなんだろうか。
流されていると頭で理解していても、躰は言うことを聞かなくなっていた。
「ん……、んはっ……ん」
「ちゅっ……んっ……んん……」
キスの知識だけはあるが、いかんせん実戦経験はない。その反面、勇実は経験豊富なのだろう。舌を口腔内に入れられ、そこかしこを舐められる。舌先同士が触れ合えば、なんともいえぬ感触で躰の力が抜けていく。
「っ……、はぁ……んく……っ」
「ぁん……んん……。ちゅっ……んっ……」
唾液の絡み合う音が、鮮明に耳に入ってくる。キスとその音が合わさり、だんだんと俺の体温を上げていく。
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