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感情



 ガチャッ
 玄関の開く音がして、俺が時計を見てみると、夜中の二時だった。
 やっと劉我(りゅうが)が帰ってきたんだな。全く、こんな時間まで、どこをほっつき歩いていたんだか。
 俺は、布団の中でそう思っていた。
 今、帰ってきたのは、俺の弟の劉我だろう。俺たち二人は今、訳あって二人で暮らしているのだ。
 劉我の夜遊びは毎度のことだが、こんなに遅かったのは初めてだった。
 ゴソゴソゴソ……バッタン!
「!?」
 今の音って、もしかして?!
 俺は、まさかな、と思いながらも、布団の中からでて、玄関の方へ行ってみた。
「はあ〜……」
 玄関では、俺の予想通りに、劉我が倒れていた。
「お前、何やってんの?倒れるんなら、自分の部屋にしろよな」
 俺は劉我の前まで行って、上から見下ろしながら言った。ついでに足で頭をつついてみる。
「ただいま〜、侯我兄(こうがにい)」
「何がただいまだ」
 俺はこんな劉我に呆れながら、部屋に連れて行こうと、抱き起こしにかかった。
「酒くさっ。未成年のくせして、なーんでこんなに酒飲んでんだよ」
「酒でも飲まなきゃ、やってらんないっての」
 劉我は俺に抱き起こされながら、どっかの飲んだくれの様な事を言った。
「何バカなこと言ってんだよ」
「侯我兄は、バカな俺は嫌い?」
 今の状況から、全く的外れなことを言う劉我。
「意味わかんねぇし」
「俺は侯我兄のこと、好きだよ」
 劉我はそう言いながら、ガバッ、と俺に抱きついてきた。
「もっと意味わかんねぇ」
 ったく、世話の焼ける奴。
 俺はため息をつきながら、劉我の部屋へと向かった。





 ドサッ
 俺は、劉我をベッドに投げた。
「侯我兄、乱暴……」
「うっせぇ。運んでもらえるだけ、嬉しいと思えっ」
 俺は劉我のジャケットを脱がしながら、怒鳴った。
「……ありがとう、侯我兄」
「な、なんだよ?ありがとうって。今日はやけに素直だな、頭でもぶつけたか?」
 俺は劉我の言葉に驚いて、少し心配になり、頭を撫でてみた。
「!?」
 頭を撫でていた腕を、劉我に引っ張られ、不覚にも俺はベッドに倒れこんてしまった。
「おい、劉我!何すんだよ、いきなり!」
 俺は起き上がろうとしたが、劉我の方が一瞬早く俺の上に覆い被さってきて、身動きがとれなくなってしまった。
「劉我どけよっ」
「い・や」
「『い・や』とか、ガキみてぇな事言ってんじゃねぇよっ」
「何言ってんの候我兄。実際に俺の方が、候我兄よりも五つもガキだから、しょうがないじゃん?」
 そりゃごもっとも。ごもっともだけどっ!
「変な理屈をこねるなっ、この酔っ払い!」
 俺は必死でもがいて逃げようと試みたのだが、劉我の力が強くて、なかなか抜け出せない。
 この酔っ払いの、一体どっから力が出てんだよ?
「俺、実は酔っていなかったりする」
 劉我はへへっ、と笑いながら言ってきた。
「嘘つけっ。すげー酒くさいし、さっきも玄関で倒れてたじゃねぇかよっ?」
「ああ、あれ?わざとだったりして」
「何っ?!」
「侯我兄、ダマされた?俺って、意外と演技うまいみたい」
 劉我はそう言いながら、俺の首筋にキスを落とししてきた。
「おまっ!何してんだよ?!」
「スキンシップ」
「はっ!?」
 この状況で、何がスキンシップだよっ?ここは外国じゃないんだから、こんなスキンシップの方法があるか!しかも、男同士で!
「んっ」
 劉我が俺の耳の後ろ辺りを唇で触れたとき、思わず感じてしまい、変な声が出てしまった。
「侯我兄、ここ、感じんの?」
 劉我は俺の反応を見て、なんだか嬉しそうに言って、再び同じ所に、今度は息を吹きかけてきた。
「や、やめろっ、酔っ払い!」
「だから、酔ってないってば」
 俺の怒鳴り声に、不服そうな声で言う劉我。
「酔ってるに決まってるだろっ?じゃなきゃ男同士で、しかも兄弟でこんな事、するわけないっ!」
「……ちょっとうるさいよ、侯我兄」
 劉我は言いながら、俺の唇を塞いだ。もちろん、劉我の唇で。
「!?」
 突然劉我にされた事に驚き、俺はショックで声が出てこなかった。
「静かになってくれた?」
 唇から離れながら、劉我が言った。
 俺は答えることも出来ずに、ただ劉我の事を見ていた。
「酔っていなくっても、俺は侯我兄にこうしたいって、ずっと思ってたよ。それに、さっきもちゃんと、侯我兄の事、好きだって言ったじゃん」
 こいつは何が言いたいんだ?
 俺が好き?あれは冗談じゃなかったのか?
 俺の頭の中は、疑問で一杯になっていた。
「好き?冗談だろ」
「本気だし」
「だ、第一お前、俺を好きとか言う前に、ちゃんと彼女がいるだろうがっ」
「もう別れてる」
「は?いつ」
「だいぶ前。俺、あいつの事は好きになれなかった。あいつと付き合って、やっぱ俺は侯我兄が一番だって、気づかされたし」
 劉我はへらへら笑顔から一変して、真面目な顔つきで言って、俺の頬にキスをしてきた。
「で、でも、俺らは兄弟……」
「関係ないじゃん」
 いや、十分関係大ありだと思うんだが……。
「兄弟だから何?それがどうしたって言うのさ。俺は侯我兄が好き。それは絶対に、変えれない事なんだから」
「劉我……」
 俺は劉我のこの真剣な言葉に、なぜか心が揺れてしまった。
 劉我は、そんなにも俺の事を考えていてくれてたのか?
 それは兄としてとても喜ばしい事で、ひとりの人間として言われても、嬉しい事だけど……。
 だけど、こいつは俺の弟。好き合ってはいけない仲だ。
 ……てか、俺は何を考えてんだ?
「……劉我、もう一度考え直せよ。俺はお前の兄で、お前は俺の弟。その間に生まれた感情を、恋愛感情だと勘違いしてるだけかもしれないだろ?」
 俺も本当は、心の底で劉我の事を、兄弟とは別の意味で好きだという感情は、あるのかもしれない。
 俺は段々と冷静さを取り戻しながら、自分の言っている言葉に、今までに考えた事のない、そんな考えがふと頭をよぎった。
「……俺はもう子供じゃない。兄弟間の感情か、恋愛の感情かの区別くらい、出来る」
「劉我……」
 今の劉我は、とても辛そうな顔をしている。そんな顔をさせているのは、俺だ。
 でも、これも劉我のためだ。俺を好きだと錯覚したままでは、いけない事なんだから。
 ……いけない事、なんだよな?
 自分の考えに、自信が持てない。
「……俺は、本気で侯我兄が好きなんだ……この気持ちは絶対に嘘じゃないし、錯覚でもない」
 劉我は、俺の考えていた事を見透かしたように、消え入りそうな声で言って、俺の肩口に顔を埋めた。
「……劉我、重い。どけろよ」
「嫌だ」
「我が儘言うな」
「嫌だ、嫌だ、嫌だっ」
 劉我は顔を上げて、嫌だと何度も繰り返した。
 さっきよりも、一層辛そうで、泣きそうな顔をして、その顔を見て、俺の胸は酷く痛んだ。
「侯我兄は、俺の事、兄弟としか見れない?それ以上の可能性は、ない……?」
「それは……」
 兄弟としか見れないと言わなければいけないのに、俺は返答に詰まってしまった。
 なぜだ?言わなければいけないのに、言いたくない。
「『それは』?」
「……分からない」
「分からないって事は、可能性がない訳じゃないって、思っていいの?」
「…………」
 劉我の言う事を、否定する言葉が出てこない。というか、否定の言葉を口に出したくないという、自分がいる。
 考え直させなければなのに、それをさせたくない気持ちが、少しある。
 もしかしたら俺も……?そうなのか?
「黙ってると、勝手にそう思っちゃうからね」
 劉我は黙っている俺の頬に、優しくキスをしてきた。
「そ、そういう事をするのは、やめろっ」
「嫌だった?」
「い、嫌とかじゃなくてだな……」
「ならいいじゃん」
 劉我は、いたずらっぽくも切なげに微笑みながら、俺の頬に触れた。
「……可能性は、ないかもしれないぞ」
「それでもいいよ。たとえ、可能性がほんの少ししかなかったとしても、俺はそのほんの少しに賭けるから」
「ばか劉我」
「そうだよ、俺は侯我兄を大好きなばか。言われなくったって、ちゃんと自覚してる」
 そう言いながら劉我は、俺の隣に横になった。
「侯我兄、久しぶりに添い寝、してくれる?」
「……しょうがないな」
 俺は苦笑しながら、「いいぞ」と言って、劉我の頭を撫でた。
 嬉しそうに劉我は、俺の手を握ってきた。





 好き合ってはいけない仲で、劉我を考え直させなければと思っていた心は、どこにいったのか。
 今の俺には、劉我が弟以上に愛しく感じられている。



【END】