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信じられるまで言い続けろ
「だぁいすきだよ!」
……ここ数年耳鼻科なんてまったく行ってないから、自分の耳がおかしくなってるのに気づいてなかったんだろうな。
「なあ、聞いてっか? だぁいぃすぅきぃ!!」
耳がおかしくなっているのに気づかなかっただけじゃなく、目にもガタがきていたらしい。目の前にニヤニヤした気持ち悪い顔の幻覚が見える……。いや、幻覚が見えるってことは、目じゃなくて脳が悪いのか?
脳が悪いならそれはちゃんと病院に行かないとだよな。けど、病院に行くのもな。バイトやってないから金がないし。いやでも、この状況はヤバイよな。金云々言ってないで、ちゃんと行かないとかな?
「なあなあ〜。無視すんなよ〜。俺の可愛い大ちゃん!」
あー、駄目だ。もう末期だ。これは幻聴か。耳が悪いんじゃなくて、本格的に脳みそがおかしいんだな。どうしよう。ついでに、脳以外も全体的にくまなく検査してもらわないと駄目か? そういう場合はどこに行けばいいんだ?
「だぁいちゃん!! 聞いてる!? ねえ! ねえってば!!」
「……しっつこい! 人がせっかく現実逃避で無視してんのに、現実に引き戻すな!!」
今日こそはきっぱり無視をしようとしていたのに、結局できなかった。いつも無視をしようとしても、奴のしつこさに負けて答えてしまう自分が情けない。もともとしつこいのが嫌いだというのもあるが、そんなことただの言い訳にしかならない。結局は、意思が弱いんだおれは……。
自分で考えていて悲しくなってきた。あーあー。もっと忍耐強くなりたいもんだ……。
「んで? 今日はなんの用なんだよ?」
不機嫌を隠さずに接しているにも関わらず、おれがちゃんと相手をしていることが嬉しいのか、奴は顔を近づけてきて話を始めた。
毎度思うが、顔が近い。妙に近い。かなり近い。
いくら離れろと言っても聞かないのは、ちゃんとした理由があるかららしい。その理由はおれには納得がいかないのだが……。
「今日はね、大事な話があってね」
「あそ。じゃ、早く用件を済ましてくれ。おれはお前に付き合ってる時間があるほど暇じゃないんだよ」
「嘘だ。大ちゃんいつも暇じゃん」
「……。……ほっとけ」
早くこいつから離れたいための嘘をあっさりと見破られ、少し拗ねる。
拗ねてる大ちゃんも可愛いとか聞こえた気がするが、おれには何も聞こえない。きっと、いや、確実に気のせいだ。
「暇かどうかはさておき、さっさと話せ」
「もう、大ちゃんはせっかちさんなんだから」
「うるせえ! 早く言えアホ!!」
我ながら、どうしてこいつの言葉にこんなにも敏感に反応してしまうのか謎だ。普段はこんなに短気じゃない。基本的に周りの言葉には動じないはずなのに、本当になんでこいつにだけなんだろう。
自分のことか理解できないことが初めてで、それに対してムカムカしながら奴が話し出すのを待つ。
奴はおれの顔をジッと見つめると、急に真剣な顔をした。
つい今しがたまでヘラヘラしていたのが嘘のようなその表情に、何を言われるのかつい身構えてしまう。
「……ホントに大好きだ。いくら口に出して言葉という形にしても足りないくらい、大好き。大ちゃんが俺のこと好きになってくれなくても、ずっと大好きだから」
「……お前な……」
真剣な顔をして何を言い出すのかと思ったら。どうしてこいつはここまでおれのことを好きだと言ってくるんだ? それに、なんでおれは、……嬉しいとか、思っちゃうんだよ……?
「大ちゃん?」
「……お前の好きは、軽くて信じられない」
「ごめん。大ちゃんがそう思ってもしかたないね。でも、本当。本当に大好きなんだ。大ちゃん以上に好きな人なんて、これから先現れないって分かるくらいに、大好きだ」
奴の言っている言葉が本当だというのは、いくら経験の少ないおれでもなんとなく理解できる。そのことは奴の目と声で明白だ。しかし、それを認めたくないと思うおれがいる。
信じたいけど、信じたくない。
奴が男だからとか、すごくウザいとか、軽いとかそういうのが理由じゃない。どう説明していいのか分からないが、違う理由があるのはなんとなく分かってる。
真摯に見つめてくる奴の目を見ていられなくなり、顔を俯けた。真剣な人間の瞳というのは、熱く、そして怖い……。
「大ちゃん……」
俯いているおれの顔を覗き込んでくる気配がする。自分の顔が見られたくなくていっそう顔を下に向ける。
「……ない」
「え?」
「……信じられない」
「大ちゃん……」
おれの口から発せられた言葉に、奴が息を飲むのが気配で伝わってきた。
ショックを受けさせてしまったかもしれないが、奴がここまで真剣に接しているのだから、おれもちゃんとそれに答えないと。
今まで真剣に人と話したことなんてなかった。なかったというか、真剣に接する必要なんてないと思っていた。
人と人は出会いが多いがその分別れも多い。出会う人間一人一人にいちいち真剣に接していたら、身が持たない。
どうせ、長い時間一緒にいる人間なんていないのだから、適当に浅く接すればいいというのがおれの考えだ。
今までそうしてきたおれが、奴に対してはこれまでのおれのやり方じゃダメだと思った。おれの曲がらないでいた考えを変えさせる人間なんて、初めてだ。
だからこそ、人生初真剣に正面から気持ちを伝えてみたいと思った……。
「急に信じるのは無理だ。お前だけに限らず、他人を簡単に信じらんねえ質なんだ。……だから。おれはこういう人間だから、人を信じられないから、……おれが信じられるようになるまで、言い続けろ……」
消え入りそうな自分の声。自分の耳に入ってくる情けない声に、苦笑してしまう。
俯いているうえに小さな声だったからちゃんと奴に聞こえたのか少し不安だったが、そんな不安は奴の言葉によりすぐに消え去った。
「――大ちゃん! ホントに大好き!!」
「うわっ!?」
いきなり奴に抱きつかれ、後ろによろめく。しかし奴にがっちり抱き締められてたため、一歩後ろに足を出すだけで留まった。
奴の力強い抱擁。痛いくらいの奴の力が、奴の嬉しさなんだって伝わってきた。
初めて発した自分の素直な言葉に、ここまでの反応を示してもらえると嬉しいものなんだなと感じることがてきた。おれの言葉ひとつで喜んでくれる奴の反応に、言って良かったと心から思った。
「大好き、大好き、大好き!」
「……何度も言うな、恥ずかしい奴……」
「だって、今大ちゃんが言ったじゃない。信じられるまで言えって。だから、俺はいつでもどんな時でも大ちゃんに愛を囁き続けるんだ!」
「時と場合はちゃんとわきまえろ!」
「今は言ってもいい時! まあ、TPOはすぐ忘れちゃうかもしれないけど」
「それは忘れるな!」
奴の耳元で叫んでいるのに、奴はちっともうるさそうにはしていない。
何も感じていないのか、それともおれの反応がそこまで嬉しかったのか。……そう考えると背中の辺りがむず痒くなってくる。照れるというか、困るというか……。
「ねえ、大ちゃん」
「なんだよ……」
「キス、してもいい?」
「――っ」
耳元で息を吹きかけるように低い声で言ってきた奴の声に、躰が熱くなる。
きつく抱き締めていた腕を緩め、おれの顔を見てくる。
視界いっぱいに映る奴の顔。高揚し潤んでいる瞳。さっきと変わらない真剣な瞳。少し違う点と言えば、真剣な瞳の中に確実に熱を帯びているということ。
真剣な瞳の恐怖はすぐには消えることはない。しかし、こいつのこの瞳には、恐怖を感じなくなる日が来るかもしれないと漠然に感じることができた。
「……変なの……」
「キスするの、変なこと?」
「……違う」
自分自身に対して発した言葉に、奴が不安そうな声を出した。おれの反応ひとつひとつに過敏に反応する奴がなんだかおかしくて、そして嬉しい。
小さく笑うと、まだ不安そうにしている奴に顔を近づけた。
もとから近い距離にいた二人の距離は、すぐにゼロになる。
重なる唇。乾燥しているが、温かく柔らかい唇。
唇の感触は男も女もそんなに違わないな。まあ、当たり前か。なんて思いながら、顔を離す。
目の前には呆けた顔をしている奴がいた。
いつも自信たっぷりな顔しか見たことがない。こんな間抜けな表情をするなんて想像できなかったから、意外な反応につい笑ってしまった。
「笑った顔も好きだけど、不意打ちのキスをしてくれ大ちゃんはもっと大好き……」
ふわりと微笑む奴につられて笑顔をつくる。
やっぱ一度ちゃんと病院に行った方がいいのかもしれない。
……こいつのこと好きかもなんて、どっか変になってるとしか思えないだろ……?
【END】
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