君は何色
温泉旅行 2
「もしかして不二、怒ったの? 俺のせいで怒っていんだろう? それなら、その怒りを俺に向けて、思い切りぶつけてくれて構わないよ! さあ、思う存分俺にぶつけてくれ! ほら、遠慮せずに! 俺は君にならなにをされても構わないから!!」
また突然わけのわからないことを言い始めた……。おかしな発言は毎度のことだが、今日は一段とおかしい。旅館に来ているという、普段とは違う環境のせいで、テンションでもあがってるんだろうか。
というか、こいつ……。
「……今はその発言は聞かなかったことにしておいてやる。……つーか! ちっっとはリアクションしながらそういうこと言えよ! リラックスしまくってる格好のまま、微動だもせず、あまつさえ無表情のまま、声だけ感情込めて言うな! 言動が矛盾しすぎだろ! 気色悪いを通り越して、いっそ尊敬するわ!」
僕は座っていた体勢から勢いよく立ち上がると、帯を握りしめたまま栄斗を思い切り指差して怒鳴った。
興奮気味に怒りをどうしたこうした言っているが、栄斗は胡坐、頬杖、無表情のまま、それをまったく崩さずに叫んでいたのだ。これが怒鳴らずにいられるだろうか。僕にはできなかった。
無表情なのこの際置いておくとして、体勢を変えるとか、立ち上がってみせるとかしたらどうなんだと、つっこまずにはいられない。
これらをスルーできる技術が僕にあれば、もっと円滑に栄斗と会話ができるのか? 対処できるようになる技術はいらないけれど、スルーできる技術は欲しいと切に願う。
「君は、俺に感情的な振る舞いをして欲しいの? そうしたら俺は、きっと自分のことを制御できなくなるだろうけど、それでもいいのかな?」
「なんの制御だよ。お前はすでに言葉の制御ができてないくせに。普段からおかしな発言しかしないけど、今日は一段とおかしいぞ、お前。旅行で浮かれてんのか? 子供かお前」
「その通り、俺は浮かれているんだと思う。なんだか今日は、とても緊張をしているんだ。自分でも信じられないけれど、心臓がとても高鳴ってる。この高鳴りは尋常じゃない。きっと、なにかの前兆なんだろうと俺は思う。そして俺は、それを抑えるので精一杯なんだよ」
栄斗はようやく頬杖をやめ、自分の胸に手を持っていく。
胸の高鳴りって、緊張って、初めてのお泊りに来た子供の心境のようなことを言うなよ。
「……頭痛い……」
いきなり立ち上がって怒鳴ったせいか、栄斗の話を理解しようとしたせいか、頭が痛くなってきた。両手で頭を抱え、誰も助けてはくれないとわかっているのに、心の中で助けを求めてしまう。
「大丈夫かい? 車酔いが今さらきたのかな?」
まったく見当はずれなことをのたまう栄斗に、もはやつっこみを入れる気力はなくなっていた。
もう、いい。勝手に言っていればいいさ。僕は一人で温泉にでもつかって、リフレッシュしてこよう。
せっかく温泉旅館に来てるんだ。このままこうして栄斗といつものやり取りをしているなど、時間の無駄だ。こんなことをしていたら、温泉に来た意味がなくなってしまう。そう思うと僕は頭から手を離し、さっきまで物色をしていた棚の中から一枚浴衣とタオルを取る。帯は今僕が握っているものでいいだろう。
帯の色なんて聞かずに勝手に僕が選んでしまっていれば、こんな状況にならずにすんだんだ。後悔してもしかたがないとわかっていても、自分の行動を悔やまずにはいられない。
大きく溜め息をつきながら一式を手にした僕は、いまだ座って胸に手を当てている栄斗を放置して部屋から出て行こうとする。
「……不二、俺を置いてどこに行こうとしているの?」
なにかを考えていた様子の栄斗が、僕の動きに反応して顔を上げる。その栄斗に、僕は短く答えた。
「温泉」
「一人で?」
「そうだよ」
「それなら、俺も一緒に行かなければだよね。不二、俺の浴衣はどこ?」
一人で行くと答えたはずなのに、聞こえていなかったのか聞く気がなかったのか、栄斗が言う。
「……だからお前な! そういう発言は動きながら言えって言っただろ! なんで座ったままなんだ! お前は地面にケツがくっついてんのか!? それとも地面から這えてるなんかにケツが突き刺さってんのか!? だから動けないってか!?」
青筋を立てんばかりの勢いでつい怒鳴ってしまう。
そんな僕に、栄斗はどうして僕が怒っているのかわからないのか首を小さく傾げた。
「なにを言っているんだい、不二? 俺が地面に刺さっているわけがないじゃないか。それに、俺の尻に突き刺さっていいのは君だけに決まっているだろう? 君以外の者に俺は尻を許すつもりはないぞ? 俺は君のものなんだから」
「……は?」
驚きで躰が固まるとは、まさに今の僕の状態をさすのだろう。開いた口がふさがらない。さすがに、今の栄斗の発言は、理解不可能だ。
尻がなんだって? 僕がどうしたって? 僕が知らないだけで、それは新しい表現方法かなにかか? ……そんなわけあるか!
固まっている僕を見て、栄斗がようやく動きを見せた。重い腰を上げ、僕に近づいてくる。
栄斗が一歩近づいてくるたび、頭の中で警鐘が鳴る。
手に持っていた浴衣たちが下に落ち、僕は畳に足の裏を擦らせながら後ずさった。
無表情は無表情だが、なんだか真剣な顔をして見える栄斗は、今なにを考えているのか。どうせまた奇怪なことを考えているんだろうが、少なくとも笑えるようなことを考えているわけではないのは確かだ。
もしかしたら、僕は今貞操の危機というやつに見舞われているのではないだろうか。さっきの栄斗の言い方からすると、そう受け取ってもおかしくはないだろう。
きっとなに冗談だろ? と笑い飛ばしたいところだが、相手は栄斗だ。警戒をしておくに越したことはない。
僕が一歩後ずさると、栄斗がその距離を詰めてくる。引いて押しての睨めっこ。
無言で近づいてくる栄斗が怖い。せめて、なにか言ってくれないだろうか。そうすれば、僕も言い返せるのに。
「え、栄斗……?」
「なんだい、不二? というか、どうして君は俺から離れようとするのかな?」
「僕の反応は当然のもんだと思うぞ。友達が、しかも男がケツを許すとか言ったら、誰だって近づかれたくないに決まってんじゃん」
「そうかな? 俺は違うけど。不二がもし俺と同じことを言ったら、俺は喜んで君に躰を預ける。君になら、なにをされても平気だと思っているからね。……いや、違う。俺は、……君になんでもされたい――」
低く囁くように言った栄斗の最後の言葉に、不覚にも顔が熱くなった。こいつ、こんな艶を含んだ声を出すことできるんだ。しかし、そういう声を今出すのはやめて欲しい。それこそ、本当に冗談じゃすまなくなってしまいそうじゃないか。
ここは、そういうことは女の子に言ってやれ! と諭してやるところなんだろうが、栄斗の雰囲気に気圧されているせいで言うことができない。
真っ直ぐな瞳、熱を孕んだ声、近づいてくる距離。……まずい、マジでシャレにならない!
どうにかしてこの状況を打破しなければいけないとわかっているのに、うまく頭が働いてくれない。
はやく、冗談だって栄斗に言って欲しい。そうじゃないと、色々と危ない橋を渡りそうな危険性が! というかこいつは、自分がなにを言ってるのか自覚してるのか?
後ずさり続けて、背中が壁につく。もうこれ以上後にさがれない僕は、距離を詰めてくる栄斗から離れるすべを失ってしまった。栄斗がなにをする気なのかはわからない。それなら、先に確かめておきたいことがあった。
「……一つ聞くけど、お前は、その、もしかして僕のことが、好きなのか?」
「……?」
「色とか、尻とか、それって、そういう意味で言ったのか……?」
これで「違う」と栄斗が言えば、なーんだ冗談だったのかと、この場は丸く収まるはずだ。栄斗が僕の予想した通りの答えを言ってくれると信じて、栄斗が口を開くのを待つ。
「………………?」
「……おい、栄斗?」
「……………………」
どうしたというんだ。僕の問いかけに、栄斗が答える気配を見せない。これは、無言という新しい栄斗の答え方だろうか。……それにしても、眉間に皺が寄っていて、いかにも一生懸命考えていますとでもいう風に見えるのは気のせいか。
そんなに真剣に考えなければいけないことを言っただろうか? ただ、好きなのかどうかを訊いただけなのに、そこまで悩む必要なんてないだろう。
しかし、栄斗が考え始めたことで栄斗が僕に近づいてくる足が止まったのはありがたい。これ以上距離を詰められてしまっていたら、完全に身動きが取れなくなってしまっていただろう。
栄斗は今、なぜか知らないがもの凄く考えていて、僕の方に注意が向いていない。この場から逃げ出すなら、今をおいて他にチャンスはない。そう思ったら行動は早かった。栄斗の答えが気になりはしたが、大人しくそれを待つ義理は僕にはなかった。この空気から早く開放されたい気持ちの方が大きいんだ。
栄斗に気づかれないように、ゆっくりと足を横に滑らせ、栄斗を伺う。
鈍感なのかそれともただ単に集中しすぎているせいなのか、僕が移動していることに気づいてはいない様子の栄斗。これなら、いける。
「――っ!」
「――あっ、不二っ!?」
予想通り栄斗は油断しきっていたようで、僕が走りだしてからようやく僕が離れようとしていたことに気づいた。
栄斗に捕まらないよう素早く扉まで行くと、鍵をかけなかった自分に感謝と、過去の自分に賞賛の言葉を頭の中で思い浮かべながら、扉を引いて開いて廊下に飛び出す。
幸いにも廊下には誰もいなかったので、誰かにぶつかるという失態をおかすことなく、部屋から走りさることができた。
背中に栄斗の声が聞こえてきたが、追ってくるような気配はない。てっきり、走ってくるかと思っていたが、その心配は杞憂に終わったようだ。
しかし、僕は走るのを止めなかった。とりあえず、今は少しでも栄斗から遠ざかりたかった。
栄斗に危険があるとはっきり決まったわけではないが、安心できるという要素も確定していない。離れて、僕も頭冷やして冷静に考えなければ、これから栄斗とギクシャクした関係になってしまいそうだった。
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