君は何色

愛情の行先



 手を握られたまま、僕と相田さんは廊下を歩いて行く。
 いくらなんでもいい年をした男が手を繋いで歩いているというのは、周りからしたら異様に映るだろうし、なにより恥ずかしい。しかし、手を離してくれと言っても相田さんは離してくれる気配をみせない。
 すれ違う人からの視線を感じながら、僕は引かれるまま俯き加減に相田さんの後について歩くことしかできなかった。
「ここが私の仕事部屋です」
 しばらく歩き、足を止めた相田さんはそう言うと、ようやく僕の手を開放してくれた。
 数分しか歩いていないが、僕には何十分も歩いたような感覚になっていた。
 途中相田さんは僕に話を色々振ってくれていたが、手を繋がれ、周りから見られていた緊張のせいでほとんど会話の内容は頭に残っていない。曖昧な返事しか返すことができなかったと思うが、相田さんは気にした様子を見せなかった。また気をつかわせてしまったようで、申し訳なくなる。
 なにを話していたのかはあまり覚えていないが、従業員の人たちの視線だけははっきりと覚えている。
 相田さんは経営の仕事をしていると言っていた。それはすなわち、僕が今泊まりに来ているこの旅館のことをさしているのだろう。栄斗も、ここは両親の経営している旅館だと言っていた。
 経営者と、ただの客。そんな人間が一緒に歩いているんだ。不審な目で見られたとしてもしかたがないだろう。……しかし、ただ不審そうな目だけではなかったのはどうも気になる。あの、同情というか、哀れみというか、そんなものがこもった視線は、いったいどういう意味だったんだろうか?
 事務室とプレートのかかった扉を、相田さんが開く。相田さんが中に入っていくのに倣い、おずおずと僕も中に入り、そして固まった。
 従業員の人たちの視線の意味がなんとなくわかってしまった。あの、同情の視線は、これにあったのか……。
 なんというか、相田さんのイメージが……。勝手に他人のイメージを決めつけてはいけないとわかってはいるが、僕の中で抱いていた相田さん像が一気に崩れ落ちてしまう。
「ふふふ。驚きました? 私の部屋に初めて入る人は、みなさん同じ反応をされるんですよね。そんなに驚くような部屋でしょうか? いたって普通の部屋なのに」
「いや、これはなんと言うか……」
 これが普通だとなんの疑いもなく言ってしまえるところは、さすがは栄斗の兄なのかと、違う意味で納得をしてしまう。
 部屋の装飾に統一性はあるにはあるのだろうが、行き過ぎている感が否めない。初めてこの部屋に入った人間が僕と同じ反応を示してしまうのは当然だろう。予想外にも程がある。
 呆然と広い部屋の中を見渡している僕の視界に映っているのは、全面ピンク色。本当にピンク。ありえないくらいにピンク。
 ピンクと言っても、蛍光色とか、ドギツイ色ではなく、柔らかい色合いの物がほとんどなので、目には優しい。しかし、ほんとにピンクだった。壁紙から始まり、床に敷いてある絨毯、家具、装飾品、小物に至るまで同じ色で埋め尽くされている。カーテンに至っては、フリルがついてしまっている始末だ。
 そして、ふと相田さんに視線をやれば、ネクタイも、ネクタイピンに埋め込まれている石もピンクだということに気づいた。
 人の好きな色をどうこう言うのは気が引けるが、これはいくらなんでもいきすぎだろ。好きだからといって、ここまでしてしまうのはある種おかしいと受け取られても文句は言えないんじゃないだろうか。
「……少女趣味?」
 つい思ったことを口に出してしまった僕に、相田さんは怒るでもなく笑う。しかも、どこにそんな要素があったのか、照れ笑いに見えるのは、僕の気のせいか。ここはそういう反応を見せるところではないとつっこみたいが、どうも雰囲気的にできなかった。
「多少深海くんが言ったような趣味がないとは否定はできませんが、ただ単にこの色が好きなんですよ。好きな物を集めている内に、いつの間にかこうなってしまっていた。と言う感じですね。それより、扉を閉めたいので少しいいですか」
「あ、すいません」
 相田さんに言われ、壁紙よりも少し濃い目のピンクの絨毯に一歩足を踏み出す。靴の上からでもわかる、絨毯の柔らかさに驚いた。これまでにこんなに足に優しい絨毯の上に立ったことのない僕は、なんどか足踏みをするようにその感触を確かめる。色から、柔らかさからして、この絨毯はもしかするとオーダーメイドのものなんじゃないのかと思った。もしそうだとしたら、相田さんは徹底的にこの色が相当好きなのだろうと、呆れを通り越して感心してしまう。
 ひとしきり絨毯の感触を堪能した僕は、次に部屋の中をじっくりと見渡した。それはもう、食い入るように見渡す。見れば見るほど、すごいピンク。……今、視界の端になにかメルヘンな雰囲気とは異質なものが入ってきた気がするが、気づかない振りをする。
 人の趣味はそれぞれだ。あれは、あえてつっこまない方が、いいだろう。……それにしても、相田さんはその趣味もあるのか? 堂々とあんな物を部屋に置けるなんて、本当に色んな意味で凄い人なんだと思わされた。
「面白いですか?」
「いや、面白いと言うか、びっくりです……」
「そうみたいですね。目がまん丸で可愛いですよ」
「か、かわ……?」
 男の僕に可愛いと言う表現はいかがなものかと思うが、それを相田さんに言ったところで「そうですか?」と返されることはなんとなく予想がついてしまったので黙っておくことにする。
「せっかく部屋に来たのに立ち話もなんですし、そこのソファに座ってください。今、お茶を入れますから」
「あ、はい」
 まだ部屋の光景に慣れていない僕は、まだ部屋を見ながら相田さんに進められたソファに腰を下ろす。
 言わずもがな、そのソファもピンクだ。アンティーク風の三人掛けの、絨毯と同じ色の濃いピンク色。座り心地がとてもいい。上質な布に、腰に負担がかからない堅くも柔らかくもない程よい弾力のあるクッション。庶民な僕でも高級感がよくわかる。
 自分の事務室だと相田さんは言っていた。それにしても、この空間は事務室というより、私室に雰囲気が近い。
 しかし本棚には年号などのついたファイルや、デスクの上には資料が積みあがっている。仕事部屋なのには違いはないのだろうが、この自由さ。さすがは自分の家が経営している旅館なだけはあるといったところか。
「ん……?」
 インテリアとどうかしていて気づくのが遅れたが、部屋の奥にもう一つ扉があることに気づいた。ちょっとした違和感を覚えたが、ここは事務室なのだ。隣に部屋が繋がっていたとしても、不思議はないだろう。もしかすると、隣はご両親の仕事部屋だったり、従業員さんたちの控え室とかそういうものになっているかもしれない。そう思い、そこから視線を外す。
「紅茶でも大丈夫でしたでしょうか?」
 僕が部屋を一通り眺めていると、相田さんが二つのカップを手に持ち、透明なガラステーブルを挟んで反対側にある僕が座っているものと同じソファに腰を掛けた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
 テーブルの上に置かれたティーカップは白で、ピンクに慣れてきた僕の目には意外に映った。
「白い……」
「ピンクでなくて残念ですか?」
「えっ!? あ、あの……」
 思わず呟いてしまった言葉に、相田さんが笑う。笑われたことが恥ずかしくて、いたたまれなさを隠すためにカップに手を伸ばす。そんな僕の様子を見て、相田さんの笑みはさらに深くなった。
「深海くんの反応は可愛いですね。栄斗が楽しそうにあなたのことを話す気持ちがわかる気がします」
「……栄斗が、楽しそうに……?」
 また可愛いと言われてしまったが、今はそれよりも相田さんの口から出た言葉に驚いていた。
 栄斗とは長いとは言えないがそれなりに生活を共にしている。しかし、僕は栄斗が楽しそうに話をしているところを見たことはなかった。それなりに感情はこもった会話をしたことは何度かあるが、それらはとても楽しそうと形容できるものではなく、栄斗のそういう姿は想像もつかない。
 相田さんは栄斗の兄だから、兄弟だからそういう姿を見せるんだろう。僕は、ただの友達だから、そういう姿を見せてくれないのか。