君は何色
愛情の行先 2
栄斗とはそれなりに仲がいいと思っていただけに、ショックを受けてしまう。もしかしたら、心を開いているのは僕の方だけで、栄斗はそれほどではないのかもしれない。そうだとしたら、さっきの栄斗の発言は本当にただの冗談で、僕が勘違いをしただけなんだと思ってしまう。
……なんでだろう。そう思うと、凄く辛い。栄斗が僕に本心を見せてくれていないと考えただけで、胸が苦しくてしょうがない。手に持っていたカップに力がこもって、中に入っている琥珀色の液体が揺れる。
さっきも同じような感覚が襲ってきていた。この気持ちは、いったいなんなんだ……?
「でも、私もとても意外なんですよ。あの栄斗が、楽しそうに話をする姿を見るなんて本当に久しぶりで、私ですら栄斗の笑顔が優しいものだということを、忘れてしまっていましたから」
「? それは、どういう意味ですか?」
相田さんの言葉に、カップの中に落としていた視線を上げる。相田さんは僕の顔をじっと見て、どこか寂しそうな表情を浮かべていた。
カップを手に取り、紅茶を一口飲んだ相田さんは、カップを置くと大きく息を吐いた。
「栄斗がいないのに、こういう話を私がしていいのかはわかりませんが、深海くんになら話しても、栄斗は怒らないでしょう……。今の栄斗からは想像はつかないでしょうが、ああ見えてもあの子は小さい頃はよく笑う可愛い子だったんです」
「そう、なんですか……」
「ええ。しかし、ちょっとしたことがあってから、栄斗はすっかり笑わなくなってしまった。その原因の一端は私にもあるのかもしれませんが、その時以来、栄斗は考えていることを表情に出さなくなったんです。楽しいと思っても、悲しいと思っても、感情を顔に表さなくなった。表情が変わらないので、栄斗がなにを考えているのか、なにを感じているのか、周りの人間は理解できなくなり、だんだんと栄斗を敬遠するようになった。それで、ますます栄斗は表情をなくしたし、感情をなくした」
「………………」
そんな過去が栄斗にあったなんて知らなくて、僕は言葉を失ってしまった。
栄斗の過去を語る相田さんの顔は寂しそうで、悲しそう。
今の栄斗は言葉でだけだが感情を訴えてくることもあるし、さっき部屋の中でしていたようにふざけることもある。どこまでが本気で言っているのかわからないが、栄斗は元からああいう感じなのだと疑うことはなかった。
しかし、思い返してみれば、一番初めの栄斗はあまり話さなかったし、今よりもいっそう無表情で、無感情だったのではないだろうか。
ずっと一緒にいたからすっかり忘れていたけれど、僕も初めは栄斗に拒絶をされたんだった。今みたいに話せるようになるには、時間がかかったんだったんだ。今の栄斗が当たり前に感じすぎていて、頭の中から消えていた記憶。
僕以外に友達や親しい人間を作らないのは、人のことを嫌いだからなのだろうか。そうだとしたら、本当は僕も栄斗にとったら迷惑な存在だったのかもしれない。
どうしよう。そう思ったら、気分が沈んで仕方がない。今さら栄斗に拒絶の言葉を投げられたらと思うと、胸が苦しくてしょうがない。
「そんな顔をしないでください深海くん」
相田さんはそう言うと立ち上がり、僕の隣に座ってきた。僕の手からカップを取るとそれをテーブルの上に置き、俯いた僕の頭に手を乗せて頭を撫でてくる。子ども扱いされているようで気に障るが、跳ね除けることはできなかった。
「周りの人間を遠ざけて、実の両親も、私までも遠ざけていた栄斗でしたが、大学に入ってから変わったんです。それはきっと深海くんのおかげなのでしょうね」
「僕、ですか……」
「そうです。確証はありませんが、そうだとしか説明がつきません。それまで私とろくに話してもくれなかった栄斗が、休みの日に家に帰ってきた時に大学の話をしたり、あなたのことを話してくれたりするようになった。的外れな話をしたり、会話がかみ合わないことはありますが、話をしてくれるようになってくれただけでよかった。……それは私にしたら、とても嬉しいことでした。本当に……嬉しかったんです」
そう語る相田さんの表情は嬉しそうでもあり、しかしどこか悔しそうだった。
「……本当は、私が今の栄斗のようにさせたかった。栄斗を一番に考えて、一番愛している私が……そうしたかったのに……。もちろん深海くんには感謝しています。感謝してもしきれないくらいに。……しかし、それと同時に…………とてもあなたのことが、恨めしい……」
「――っ」
笑顔を潜め表情のなくなった相田さんの表情に、背筋に寒気が走った。
相田さんは僕の頭に置いていた手を移動させ、顎に手をかけてくる。顔を近づけてくる相田さんに顔を逸らすことができない。
僕の顔を覗き込んでくる相田さんの瞳は、暗い感情が見え隠れしている。
……怖い。この恐怖の種類がなんなのかはわからないが、とても怖い。栄斗の時とは違う意味でこの場から逃げ出したい。それなのに、僕の躰は固まって動いてくれない。蛇に睨まれた蛙とは、こういう状態のことを言うのだろう。
そんなことわざを身をもって体験する日が来ようとは思いもしなかった。
僕の状態に気づいたのか、相田さんは口の端を上げて笑う。それまでの優しい雰囲気はそこにはなく、まるで獲物を狙う猛禽類のような獰猛さを宿している。
どうして相田さんはこんな目を僕に向けてくるんだ。僕が栄斗を変えたからなのか? それが恨めしい? 僕が栄斗の友達だから、気に入らないと、そういうことなのか?
「…………なぜ、あなたなのですか。どうして、私にはできなかったことが、あなたには簡単にできたんですか……? 私も、私も必死だったのに……急に現れた君に、いとも簡単に栄斗を取られてしまうなんて……私のどこが、あなたより至らなかったというのですか……?」
「……あ、あいだ、さん……」
顎にかかっている手に力が入る。顔がまったく動かせないくらい強い力がかかり、痛みを感じて相田さんのその手を掴んだ。しかし、思ったよりも力が強く引き剥がすことができない。
様子がおかしいなんてものではない。いくらなんでも変わりすぎではないか。それほどまでに相田さんは栄斗のことを想っているということなのだろう。……それは理解できるが、どうして僕がこんな目に合わなければいけないんだ。
怖くて萎縮していた躰だったが、だんだんと恐怖より怒りの方が強く沸きあがってきた。こうして黙って言われ放題なのは僕の性格には合わない。
そもそも、僕は栄斗の事情なんて知らなかったんだ。それなのに、こんなにも恨みのこもった視線を向けられるなんて冗談じゃない。
しかし、力で勝てる気がしない。ただ顎にかかっている手すらどかすことができないのだ。それなのに、力ずくでどうにかできるわけでもない。どうしたらいいのかと考えていると、相田さんはまだ話を続ける。
「…………あなたの、なにが栄斗を狂わせたんですか? もしかして、その躰で、栄斗をたぶらかしたのではないでしょうね……?」
「……はあ? なんで、男の栄斗をたぶらかさなきゃいけないんだよ!? そんなこと、するわけないじゃねえか! だいたい、そういう発想になるなんて、あんたどっかおかしいんじゃねえのか!?」
「私はおかしくはありませんよ。ただ、栄斗を愛しているだけです」
「も、もしかしてあんた、栄斗のことそういう目で見てんのかよ!?」
「多少、その意味を含んではいますね。それがなにか?」
相田さんは涼しい顔でとんでもないことを言ってのける。
それがなにかじゃないだろう。兄弟で、男同士でそんなことを思うなんて正気の沙汰じゃない。この愛情はいきすぎている。
「そんなに好きなら、閉じ込めておくでもなんでもすればいいんじゃねえの!? 僕を巻き込むのは止めろ!」
「巻き込んだのではありません。あなたが勝手に飛び込んで来ただけでしょう」
「だから! 僕は知らなかったって言ってるだろうが!」
「知らなくても、私と栄斗の間に割って入って来たのは事実です」
「そんな事実なんて知るか! あんたの言ってるのが愛だってなら、そんなもの間違ってる! ちゃんと栄斗のことを想ってるなら、僕にこんなこと言ってないで、栄斗に愛してるでもなんでも言えばいいんじゃねえの!?」
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