記憶の中にあるもの

あたらしい始まり 5

 オレで遊ぶと言っていた相澤だったが、オレと過ごした週末に話をした内容などは嘘はないと、証拠はなにもないがそう思えた。
 それにアレが嘘だったとしても、もうどうでもいい。
 目の前にいる、これまでの相澤でもない、ましてやヤスでもない本当の【相澤保弘】という人物の反応を見ていると、過去のことは関係ないと、そう思えてしまう。
「……相澤」
 名前を呼ぶと、相澤の肩が揺れる。
「……オレ、アンタのことが……。――相澤保弘が――好きだ……」
「――なっ!?」
 真っ直ぐに言ったオレに、相澤はもっと顔を赤くさせる。
「正直、オレがこんなことアンタに感じるなんて思ってもなかった。でも、マジでアンタのことが好きになってる」
「お前は、あの男が好きなんじゃ、ないのか……」
 そう言われ勉くんの姿が頭の中に思い浮かぶ。
 天使のように可愛い笑顔。触り心地の良さそうなぽっちゃりな体躯。優しく思いやりのある性格。オレの好みど真ん中の子。
「勉くんのことは可愛い。けど、アンタの好きと彼の好きは種類が違う」
「種類ってなんだ。私に感じてるのは、好奇心からくる好きで、彼に感じてるのは恋愛からくる好きだって、そう言いたいのか、お前は?」
 まだ動揺は残ってるようだが、口調はこれまでのままだった。その口調で卑屈なことを言う相澤に、少しムッとする。
「違う」
「違うものか。私は、お前の好みの容姿はしていないんだぞ? 痩せた影響かなにかは知らないが、お前よりも背が高くなった。贅肉だって無くなって、引き締まっている。私はどこからどう見ても、可愛くもなんともない。そんな私のことを、お前が好きになるなど、ありえないだろう」
 自分を卑下してるつもりなんだろうが、どうも自慢をしているようにも聞こえる。コイツは、もしかして無意識にナルシストなんだろうか。そんなことを思いながら、もう一度違うと言った。
「確かにアンタは可愛くない」
 その言葉に相澤は心なしか傷ついた顔をする。
「アンタはオレの好みじゃない、いい男って奴だ。なんつーか、格好つけてるって感じってのか、そんな感じだよな。そういうのはオレからしたら、まったく可愛くない。けどまあ、それが女からは好かれんだろうな」。
「……お前は可愛い奴が好きだろう」
「そうだな」
 正直に頷いたオレに、相澤の表情が歪む。
「だったら――」
「まあ、最後までオレの話を聞け」
 声を荒げた相澤に片手を上げながら、最後まで言わせずに遮る。
「確かにアンタのそういうところはオレは好みじゃないけど、たまにアンタは可愛い。どこがって訊かれると困るんだけど、喋ってる時とか、ちょっと気を抜いた時とかに可愛いって感じる時があんだよ」
「私のどこが――」
「どこかなんて、オレだけがわかってればいいことじゃねえのか?」
 顔を歪めて睨んでくる相澤に、肩を竦めながら笑う。
「そんな言葉で、私が納得すると思っているのか?」
「いや、思ってないけど、それしかオレには言えねえからな」
 相澤のことをどう好きなのか。どういうきっかけで好きだと思ったのか、それをちゃんと説明することはオレにはできない。
 直感と言ってしまったら、そんな曖昧なこと信用できるかと相澤に一蹴されてしまうに決まってる。かといって、直感なのは直感なんだから、その感覚はオレにしかわからないことで。
 もともと口で説明をするってのは、オレの得意とすることじゃないんだ。言葉で説明をするより、行動で示すのがオレなんだ。
 オレの言うことを相澤はまったく信用する気はないんだろう。オレを睨みつける眼差しがだんだん厳しいものになっていく。
 さて、どうしたものか。これはもう、行動で示してもいいか?
 じっと相澤を観察しながら、ゆったりとした動作で布団を跳ね除けて立ち上がる。
 ベッドから立ち上がったオレを見て、相澤はオレから離れるために距離をおく。
 しかしオレの部屋は九畳で狭い。そんなに広くはない部屋の中では、離れるのにも限界がある。
 オレが距離を詰めればすぐに相澤は退路をなくし、オレから離れることが不可能になる。しかも、出入り口とは反対側のベランダ側に後退して行ったから、窓から逃げようなんて奇特なことをしない限り相澤に逃げ場はない。
 近づくオレにうろたえながら、相澤は壁に背中をつけ、顔を横に向けてオレを視界に入れないようにしている。
 その仕草に自然と口に笑みが浮かんでしまう。
 そういう頑な態度を取るところが、ちょっと可愛い。相澤の普段の言動を知ってるからこそ、なおさら可愛いと感じてしまう。
 オレよりデカイ男がそんな態度を取ったところで、本来なら可愛いとは思わないところだが、これが惚れた欲目ってやつなんだろう。
「……お前は、【ヤス】のことを、本当に好きだったのか?」
 唐突に問いかけられた言葉に、一瞬意味がわからず足を止めた。
「……お前は、私が好きなのではなく、【ヤス】のことが好きだから、私のことを好きだと言うのか?」
「アンタは、【ヤス】じゃないんだろ?」
「そう、だが……。しかし、私は【ヤス】だ……」
「アンタさっき、自分で違うって言ったじゃねえかよ」
「言った。私は【相澤保弘】なんだ……」
 相澤の声が震える。
「私はもう【斉藤保弘】には戻れない。しかし、今の私は完璧な【相澤保弘】にもなれない。どちらでもなくて、どちらにもなれない……。私は……私が……」
 声の震えが大きくなり、心なしか躰も震えてるように見える。
 コイツはきっと心の中で葛藤してるんだろう。
 相澤の中で、【ヤス】と【相澤】がどういう基準で別れてるのかはオレにはまったく想像もつかない。二重人格とは違う、自分の意思で人格を変えてるってのは、俳優が演技をしてるってのに感覚は近いのかもしれない。
 しかし、演技も長年続けていれば自分の一部になる。境目がなくなってしまうこともあるだろう。その感覚が今、コイツの中で渦巻いてるんだろうとオレは思った。
「……オレは言ったよな。【相澤保弘】が好きだって」
「しかし、私は――」
「うーん。難しいことはオレにはわかんねえし、アンタがどんな答えを望んでて、どんなことを考えて訊いてきてんのかもまったくわからねえ。でも、一つ言えるのは、【ヤス】は元彼でオレが今好きなのは、あの時ホテルの朝に裸でベッドに一緒にいた、オレを脅して変な条件を突きつけてきた、ちょっと変態みたいにエロイことをしてきた、服を脱ぎ散らかすと怒って、几帳面で、この部屋を掃除してくれた、どっかすかした感じの女からモテまくってるし仕事もできるしイケメンだしで、オレの嫌いなタイプだった会社の同僚の【相澤保弘】ってことだ」
 わかったかと言うと、相澤は横目でオレを見てきた。
「……私は変態などではない……」
「今気にするとこはそこじゃねえだろ」
 不貞腐れてるかのような声の相澤に、オレは苦笑する。
 声の震えはなくなってるようだ。だけど、まだ納得はしてないと顔にはっきり書いてある。
「……つか、アンタはどうなんだよ」