記憶の中にあるもの

あやまちの始まり 2

 逃げるにも逃げられない状態。ぐっと意を固めると、しかたなく答える。
「そ、その、オレは……。そう……、だよ。悪いか!」
 こんな状態でうろたえたところでどうなることでもないだろうが、今まで秘密にしていたのだから、カミングアウトに動揺してしまうのはしょうがないことだろう。いかんせん、コイツは会社の同僚。もちろん、会社でカミングアウトはしてないし、これからもするつもりもない。
 コイツが会社でバラしてしまう可能性は否定できないが、そんなことをしたら、オレの方も今回のことを会社にバラして道連れにしてやる。
 それと、もしかしたら相澤はゲイじゃないかもしれなくて、オレの今の発言を訊いてなにかしてくるかもしれない。そんな色々なことを考えながら、相澤の顔をじっと見て反応を伺っていると、相澤はふと目を逸らしてようやくオレの腕を離した。
「……やはり、そうだったんだな」
「【やはり】だって……? 知ってたっていうのか……?」
「知っていたというか、なんとなく感づいていたという感じだな」
「は? オレって、そんなにわかりやすい、か……?」
「いや、そうではない。お前はそんな素振りは見せていないし、雰囲気も醸し出してもいない。うまいこと隠していると感心している」
「じゃあ、なんでアンタは感づいたってんだよ」
 わざわざオレを支えに使って立ち上がったというのに、相澤はまたベッドの端に腰かけた。
 嫌味なほど長い足を見せつけるように組み、オレを見上げてくる。
 ここで忘れないように注意しておくが、まだどちらも全裸。少し真剣な雰囲気になってきているというのに、二人とも全裸。しかも、どちらも恥らうこともなく、生まれたままの姿をさらけ出している。
 相澤は好みの躰ではないから、裸を見てもどうということはないが、目のやり場には多少困る。タイプでなくても、男の裸は刺激が強い。意識して相澤の顔だけを見るようにして、相澤の返事を待つ。
「……なあ、どうしたらゲイだとわかるんだ?」
「はぁ……?」
 真剣すぎるほど真剣な顔でまた質問を返してくる相澤。ゲイの人間相手に対する冷やかしのような軽い感じの問いかけでなく、その顔と同様に真剣そのもの。
 なんていうか、調子が狂ってしまう。
 特に仲良くもない、どちらかというと仲の悪い、ただの同僚。そんな人間と裸でベッドで朝チュン。そして、オレが相澤に告ったとか、相澤はオレのことをゲイだって知ってたっぽくて、そんでゲイとはなんだと訊いてきている現実。
 怒っていいのか困っていいのか、はたまた笑ってもいいのかまったくわからない。普通にしていればいいのか? オレは、普通に振舞えばいいのか?
 混乱し始めてきた気持ちをリセットさせるため、オレは大きく息を吐き出すと、とりあえずなにかを着たいと思い、サイドテーブルのイスにかけてあったバスローブを手に取り身に着けた。
「アンタもなんか着るか?」
「ん……」
 頷いた相澤にも、もう一つのバスローブを投げてやる。きっちり着たオレとは対称的に、相澤は肩にかけただけ。着るならちゃんと着ろと言いたくなるのを堪え、バスローブのかけてあったイスに座る。
 裸でなくなったことに安堵を感じながら相澤ほど長くはない足を組み、相澤を正面から見る。
「んじゃ、話に戻るけど、アンタはオレのことをからかってんのか?」
「からかうというのは、さっきの【ダーリンハニー】のようなことを言うのだろう?」
「からかってたのかよアレ!」
「それ以外にないだろう。私は、ハニーよりもダーリンを希望する」
「それも冗談か!」
「さあな。この場合、ダーリンをどういう意味で使うかにもよるが」
「……………………」
 アホらしいことこの上ない相澤の発言に黙ったオレを、相澤は鼻で笑う。そして、組んだ足の上に肘をつき、頬杖をついた。
「さて、本当に話を元に戻そう。ゲイというのは、一人でも男を好きになってしまったら、その時点でゲイということになってしまうのか?」
 お前が話をややこしくしたんだろうと思いつつも、ちゃんとした答えを求めているのだろうという相澤の視線を受け止める。今度はからかっていないというのはわかった。だが、このシチュエーションでこの質問。もしかして、相澤はオレのことが好きにでもなったのか……? それはさすがに自意識過剰すぎるだろうか。そうだな、ありえない。
「あー……。これは、オレ個人の見解だから一概にそうだとは言えないだろうが、一人の男ってのが初めて好きになった男で、それまでに女のことを好きになったことがなければ、ゲイの可能性があるんじゃねえのかな。だが、今まで女が好きだったのに、男も好きになったとかってんなら、それはバイなんじゃねえのか」
「……そうか、バイ……」
 オレの回答に、相澤が考え込むように目を伏せる。なんか、様子がおかしい気がするが、相澤のことはまったくわからないから、なんとも言えない。これが相澤の通常なのかもな。
「……なあお前、誰か好きな男がいるのか?」
「好きな男……?」
「オレ、とか…………?」
 考えていた相澤に問いかけると、ゆっくりを顔を上げてものすごく嫌そうな表情を作った。
「あ、うん、なにも言わなくていい。その顔でわかったから」
 オレの想像もつきそうもない悪態を吐きそうな表情の相澤を、手を前にやって制する。
「私は今まで一人しか好きになったことはない。今でもその人のことを想っている。他の誰かのことを好きになるのは、ありえない話だ」
 言わなくてもいいと言ったのに、答えた相澤。しかしその口から出てきたのは悪態などではなく、見た目からは想像もつかない純粋な言葉。本当に相澤の口から出てきた言葉とは思えなくて、信じられずに目を見開く。
「お前、意外と乙女みたいなことを言うんだな。今時の奴にしては珍しい発想だ。お前の容姿だから、入れ食い状態だろうに」
「下品なことをのたまうな。私はただ、好きなのは一人だと言っただけだ」
「ってことは、本当に入れ食い? 節操なし宣言か? そっちの方が下品だろうが。乙女な節操なしなんて、どんな奴だよ」
「ここにいる、私のような奴のことを言うのだろう」
「自分で言うな!!」
 サラリと言ってのけた相澤に、声を大にして言う。
 会社でも私用な会話はまったくしたことはなかったから、相澤がこんな性格をしているとは知らなかった。図太いというか、変な奴というかなんというか。やっぱりいけ好かない。これは、暗に自分はモテるって自慢しているんだろう。オレは女にモテたってまったく嬉しくはないが、性格がよろしくなくても、顔がよければモテるという世の中はなんと不条理なことか。
「あーあー。お前はモテモテで入れ食い状態ってことは、ゲイではないってことだな」
「さあ?」
「じゃない。ってことでまたまた本題に戻るぞ」
 相澤がまた考え始める仕草を見せたので、それを阻止するように身振りを交えながら相澤の注意を自分に向ける。
 オレの声にうっとうしそうにこっちを向く。相澤がちゃんとオレの方を向いたのを確認すると、話を始めた。
「お前がゲイじゃないってのはわかった。ってことは、仮にオレがお前のことを好きだと言ったとしよう」
「言った」
「まとめを話してんだ、茶々入れんな!」
「……………………」
 話を遮ってきた相澤を怒鳴る。怒鳴られた相澤は、口をへの字に曲げ、肩を竦める。
「で、だ。言った言わないでなんやかんや言ってたけどよ、お前がゲイじゃないんなら、オレが告ったとしても無視してしまえばいいだけの話だろう? お前はゲイじゃない。だから、オレの告白を無かったことにする。オレは振られた。これで万事解決! な、どうだ? いいだろ?」