記憶の中にあるもの
ぎもんの始まり
土曜の午後と日曜の一日をかけて、復活しました。
……なんて、現実はそう簡単にはいくわけもなかった。
頭の中を空っぽにするのは簡単だと思っていたが、実際はそうそう考えてる通りにはいかないもんなんだと思わされた。
自分で言うのもなんだが、オレは一日寝て、起きたら前の日にあったことを忘れられる単純な頭をしている。今までなら、いくら悩んでいても、すぐ忘れることができていた。それなのに、今回は今までの通りにはいかなかった。
……いや、違う。今までオレは、真剣に悩んだことがなかっただけなのかもしれない。
普通なら、思春期とかに眠れないほど真剣に悩んだりする経験があるのかもしれないが、オレにはそれがなかった。
今になって、思春期の再来? それとも、遅く訪れた春?
……まあ、今オレが悩んでいる内容は、遅く来た春と表現しても間違いではないんだろう。
いやいやいや! オレだって今まで、それなりに春を経験してきたはずだ。最近は勉くんにだってそう感じていたはずなんだ。
……【はず】だって……? なんで曖昧なんだ……?
仕事には持ち込まないと決めていたはずなのに、結局仕事をしながらも頭の中は考え事でいっぱいになっていた。
馬鹿だよな。つくづく、馬鹿だ……。そのせいで残業とか、シャレにならない……。
ただ今日、一つ救いだったのは、相澤が一日の大半が外回りで直帰だったことだ。顔を合わせる時間が短かったのは、本当によかった。
ほとんど人がいなくなったオフィスの中、キーボードを叩いていた手を止めて、大きく伸びをする。
「……青い春に想いを馳せる、むずかしい、お年頃……」
「……先輩、なに恥ずかしいことを口走ってるんですか?」
オレの一独り言を聞いた前の席の後輩が、作業をしていた手を止めて、冷たい視線と棒読みで訊いてきた。
オレは姿勢を崩し、パソコン越しに後輩を見ながらからかう口調で答えた。
「後輩くん、君は今日も残業か?」
「まるで毎日残業をしてるような言い方、止めてくれませんか? 今日はたまたまです」
「金曜も残ってなかったっけ? オレの記憶違いか? あの時オレは、幽霊に話しかけてたのか? ……怖いな」
「……口じゃなくて、手を動かしてください」
わざとらしく肩を抱きながら言ったオレに、後輩は頬を引きつらせながら低いトーンで言う。
「後輩くんが冷たい」
「先輩さんがいじめる」
なんだかんだ悩んでいても、軽口は叩けるオレ。実は悩んでいる振りだったとか? ……そんな馬鹿な。
悩んでいるということを頭の中で思い返し、ふと思い後輩に疑問を投げかけることにした。
「後輩くん。一つお訊ねしてもいいかな?」
「なんですか、先輩さん。俺でお答えできることなら、なんでもどうぞ。ただし、仕事の邪魔はしない程度にですが」
素っ気ない態度の後輩に少し傷つくが、それがまたいい。オレがマゾだと言ってるわけじゃない。後輩とのやり取りが楽しくて、悩んでいることが軽減されているようでいいなと感じた。
内側に抱えてるより、なんでもいいから声を出していた方が、発散できるもんなんだな。
「じゃあ、邪魔じゃない程度で答えてくれ。……後輩くんは、真剣な初恋をしたことはあるか?」
「……はい? 初恋に、真剣もなにもないんじゃないですか? 初恋は初恋。それ以下でもそれ以上でもないでしょう」
オレの質問の意図が掴めないのか、後輩くんはパソコンの画面から視線を外して訊いてくる。
言っていて、オレもその訊き方はどうかとは思った。初恋とは、真剣かどうか意識をしてするもんではない。いつの間にか相手のことが気になって、いつの間にかその相手のことを好きになっている。それは、初恋にも次からの恋にも通して言えること。真剣かどうかなんてことを考えて恋をしてる人間は、恋に恋をしてるだけなんだろう。
「そんなことを訊いてくるなんて、もしかして先輩、誰かに惚れたんですか?」
「うーん、多分? そんな感じ? よくわからん」
「え、てことは、ありえないと思うんですが、それが初恋ってことなんですか? その歳で!?」
「歳は関係ないだろ。つか、今まで何人も付き合ってきたから、初恋とは違うような気もするんだが……」
「……何人も、ですか。サラッと自慢を入れましたね。……ということは、今回の相手は、今までとは違うってことですね?」
首を傾げたオレに、それまでまったく感心がなかった後輩はいかにも興味津々ですという顔で訊いてくる。男でも恋の話は好きなもんなんだな。
「あー、まあ、違うといえば違う。アイツは、オレのタイプじゃない人間だからなー」
相澤の姿を頭に思い浮かべながら、顔を歪めて言う。
「へえ、そうなんですか。タイプでもないのに好きになったってことは、じゃあ、本当にその人に惚れたんですね」
「……そう思うか?」
「そう思うもなにも、それ以外にないでしょう。タイプなんてものを通りこして、その人のことを好きってことじゃないですか」
「……やっぱ、そういう、ことなのか……」
後輩の言い分に、デスクに頬杖をついて口を尖らせる。
「なんですか、その反応? ……はっ! もしかして、相手は人妻とかですか!? 好きになっちゃいけない相手に本気になったから、そんなに悩んでるとか!? マジですか昼ドラ的な展開ですか!?」
どう考えたらその思考に行きつくのかわからないが、後輩はきっとそういう話が好きなんだろう。仕事の支障にならないでくれと自分で言っていたくせに、デスクに身を乗り出して輝いた顔でオレを見てきていた。
オレが人妻を好きになるなんてありえないが、世間から見た禁断度で言えば、オレの想いも同じようなものかもしれない。そもそも説明なんてできないし、とりあえず話しやすいように合わせることにした。
「そんな感じなもんだから、オレの気持ちを相手に伝える気もないし、悟らせるわけにもいかない。で、隠し通すにはどうしたらいいかと悩んでるってわけだ」
「先輩が悩むってことは、相当ですね」
なんだか失礼なことを言われた気がする。自分でも悩むことがあまりないと自負してるからなにも言わないが、後輩からもそんな目で見られていたとは……。乾いた笑しか出てこない。
「でもアレですよね。好きになっちゃったらどうしようもなくないですか? いくら相手に隠しておいたって、どうしても態度には出ちゃうだろうし、その人のことを想う気持ちは捨てられないものじゃないですか。相手の嫌いなところを思い出して嫌いになろうとしたって、その嫌いなところも実は好きなわけですし。本当に諦めるなら、離れるか、他の相手を見つけるしか解決できないと思いますよ? まあ、そんなことできるわけないでしょうが」
後輩の指摘に、小さく唸りながら頷く。
オレから話しを持ちかけておいてなんだが、年下の後輩にこんな風にアドバイスを貰うとは複雑な心境だ。だが、彼の言ったことは正論でもある。
伝えずに今のまま側にいることを選択したら、いつかはバレる日が来る。かといって、離れるという選択肢はオレの中にはなかった。離れるということは、すなわち会社を辞めるか、移動願いを出すかしかない。会社を辞めるのは生活に関わるからごめんだし、移動は理由がまったく思いつかない。
……残るは、他の人間。
一瞬勉くんの顔が脳裏をよぎったが、いくらなんでもそれはない。逃げる理由に勉くんを利用するなんて、そこまで酷い奴にはなりたくない。
「おい、後輩くん」
「はい、先輩さん」
「いっそのこと、後輩くん、オレの恋人にならないか?」
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