記憶の中にあるもの
きもちの始まり 7
「一つ言っておくが、私は潤次とは本当に付き合っていない。あいつは、ただの幼馴染だ。それと――」
「一つじゃないのかよ」
「すまない、一つじゃなかったな。だが聞いてくれ。私は、お前に興味を失くしたわけじゃない。むしろ、その逆だ」
睨んでいるオレをジッと見つめながら、理解しがたいことを言った。
逆? 逆だって? コイツはなにを言いだすんだ?
興味を失くしたの逆は、興味を持った。それくらいはさすがに馬鹿でもわかるが、今までの態度とその言葉の持つ意味が繋がらない。
睨んでいた視線を逸らし、顔を俯ける。
普通、興味が無くなったから相手のことを無視するもんだろう。相澤の場合は違うってのか? 自分は普通じゃないって言いたいのか? 普通じゃないと思って欲しいって、変人アピールをしてるのかコイツは?
……いや、変人なのはこの際置いておいて、相澤がまだオレに興味を持っているということについて考えるべきだろう。
オレのいいように話を解釈させてもらうと、相澤は今まで以上にオレに興味を抱いたから、意識的に避けてたってことなんだろうか。興味を持つのが、相澤の中で予想外のことだったから、距離を置いたってか?
そもそも、その【興味】ってのは、どんな種類のことなんだ? オレの性格? オレの生態? ……生態って、オレは観察対象の動物かよ。
……しかし人間って普通、他人のどんなところに興味を持つもんだ? 顔? 躰? 中身? それ以外? オレが興味を持つとしたら、どんなところだ?
…………。こう考えてみると、オレって、どういう基準で人を好きになってるのかわからないな。もちろん、最初は見た目から入るんだが、その後からは……?
『晋介は、ボクのことなにも知らないだろ? ボクは、晋介の目を楽しませるためだけにいるの? 晋介の性欲を、満足させるためだけにいるの? ボクのこと、本当のボクのこと、一度でも見ようとしたことある? ボクの中身を、好きになってくれてるの?』
考えていたらフラッシュバックしてきた記憶。アレは、誰に言われたんだったか。あの時は、なにが言いたいのか理解できなかったが、今なら理解できる。
確かに、あの時のオレは今よりも人の気持ちを考える努力を、していなかった。自分がゲイだからとか、そいうことを差し引いても、察するということをしたことがなかった。
自分のことが、自分のことだけが大事で、それ以外のことはどうでもいいと思っていた。……自分のことが一番大事なのは、今も変わってはいないが。
あの台詞を言ったのが誰だったのか思い出せないが、あの時言われた時は腹が立ったが、今は、ああいうことを言ってくれた人間がいてよかったと思える。その人間のことを思い出すことができないのが悔やまれるが、今のオレならアイツにちゃんとありがとう言うことができそうだ。
それもこれも、相澤がきっかけで考え方がちょっとは変わったからだろう。
相澤の気持ちがわからなくて、相澤がなに考えてるのかわからなくて、すごくモヤモヤして、ムカムカして。アイツの中にオレがいないんじゃないかって考えただけで、辛くなって。
……こんな風に感じるなんて、まるで相澤にオレのことを考えてくれって思ってるみたいだ。
相澤が潤次という男と付き合ってないって、オレに興味が無くなったわけじゃないって知って、ホッとして、怒りが引いていく。こんなの、まるで――。
「……あい、ざわ……」
「名取、メールで言っていた、訊きたかったことは、解決したのか?」
「あ……? まあ、一応……?」
薄くなっていく怒りに、顔を上げて口を開こうとしたオレよりも先に訊いてきた相澤に、疑問系ながらも答える。
「そうか。なら、私も訊きたいことがあるのだが、いいか」
顎にあてていた手を下ろし、腕組みをして訊いてきた相澤に頷いた。
「この間、バーで親しそうに会話をしていた男と、お前は付き合っているのか?」
「……は?」
今の会話の流れからは想像もつかないことを訊かれ、呆けた声を出してしまった。
「一緒にお前の行きつけのバーに行っただろう。その時、お前と話をしていた若い男のことだ。付き合っているのか、どうなんだ」
オレの行きつけで若い男ってことは、勉くんのことを訊いてきてるんだろうか。でもなんで、勉くんのことなんて……?
「付き合っちゃいないが、それがどうかしたのかよ?」
「気持ちはあるのか」
「好きなのかってことか……?」
「そうだ」
「……たぶん」
勉くんの笑顔を思い浮かべ、彼のことが好きなはずなのに、オレは相澤の顔を見ながらそうだと断言することができなかった。
曖昧に言ったオレの答えを相澤はどう受け取ったのか、たっぷりの沈黙のあと「そうか」と顔に影を落としながら言うと、オレの横を通り過ぎて行く。
どこに向かうのか目で追えば、相澤はまっすぐ玄関に向かっていた。
帰るのかとは訊かない。いや、訊こうと思ったのに、できなかった。相澤の背中からは、話しかけるなという雰囲気がひしひしと伝わってきたから。
……なんだろう、この感覚は。相澤の背中を見て、行かせたくないという思いと、早くここからいなくなって欲しいという思いがせめぎ合っている。
玄関から出て行く前に相澤は一言、「洗濯物をちゃんと干しておけ」とだけ残すと、オレの方を一度も見ることもないままに去って行った。
玄関が閉まる音を聞き、一人、清掃された部屋の中を眺める。
結局、今はなんの話をしていたんだったか。オレはちゃんと、モヤモヤの原因を知ることができたんだろうか。そもそもオレは、アイツと話をして、どんな展開を望んでいたというんだ? 自分の都合のいいことだけを期待していたんじゃないだろうか。
ここのところ忙しくて時間が無かったから、すれ違っていたんだ。そんなことを聞きたかったんじゃないだろうか。
そんな期待を抱いていたなんて、まったくオレらしくない。しかも、まったくオレ好みじゃないアイツに……。
こんな風に思うなんて、もしかしてオレは相澤のことが気になってるのか? オレが好きなのは、勉くんのはずなのに。
……それとも、この気持ちは錯覚か? 普通とは違う関係の始まり方で、通常では考えられない日常が訪れたせいで、つり橋効果みたいなものが作用しただけなのかもしれない。
…………そうだ。そうに決まってる。オレの感じてる相澤への気持ちは、気のせいに決まってる……。
「……そうじゃなきゃ、駄目だろう……」
綺麗に掃除された部屋を見て、胸が熱くなるなんて。
予定を勝手に変更させられて、本当は怒っていないなんて。
久しぶりにちゃんとした会話を交わすことができて、嬉しいと感じるなんて。
あの警備員の男と相澤が、付き合ってないとしって安心してるなんて。
これまでの相澤との週末が、最初の頃は本当に苦痛だったのに、途中からは本当は内心楽しくて、オレしか知らないかもしれないアイツの一面を垣間見ることができて、嬉しく感じてたなんて。
そして、この気持ちの本当の名前をオレはもう知っているということ。
――こんなこと、認めちゃいけないんじゃないのか――?
躰から力が抜ける。知りたくなかった気持ちだが、早く気づいたことができてよかったのかもしれない。アイツはまだオレの気持ちなんて気づいちゃいないだろうから、いくらでも隠し様があるってもんだ。
この気持ちは自覚したが、もう忘れる。アイツにそれを臭わせるようなことをしない。
こんな気持ちをアイツが知ったら、迷惑以外の何者でもないだろう。
…………ふっ。まさかオレが、他人に対して【迷惑】なんてことを考えるとは。これはもう末期だな。
壁に背中を預けながら、力が抜けるのに任せて床に座りこむ。その時、相澤が回した洗濯機が終了を告げた。洗濯なんて干す気にならない。シワになるってなら、なってしまえばいい。今は動きたくない。考えるだけ考えて、自分の中で決着をつけて、週末のうちに立ち直ってやる。
相澤いわく、オレはわかりやすい人間。早く頭の中を空っぽにして、なにもない風を装わないと、オレの気持ちがバレてしまう。気持ちまではバレないでも、らしからぬことを考えているということくらいはわかってしまうだろう。
そんなことにはならないようにする。月曜からは、いつも通りのオレ。お気楽で、オレが一番で他人のことで想い悩まないオレに戻るんだ。簡単にいかないとしても、戻ってみせる。
こんな決意を固めながら、蹲り、唸ったのだった――。
【五話 きもちの始まり END】
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