記憶の中にあるもの

ぎもんの始まり 3

 それでも一人長く続いた奴がいたが、その時どんな気持ちでいたのかは覚えていない。それでもソイツのことをオレなりに他の人間とは違う付き合い方をしていたと思うのだが、肝心の相手のことがどうにも曖昧でしょうがない。
 最低……なんだな、オレは……。
 男の言葉と自分の記憶に自己嫌悪に陥ったオレを見て、男が嘲るように笑った。
「その様子から察するに、思い当たる節があったんですね。それとも、思い当たることばかりでしたか? まあ、そう感じられることができただけ、僕が思っていたよりは最低ではなかったみたいで、まあ、よかったですよ。しかし、あなたが最低であろうがなかろうが、僕個人には関係はないことです。僕には関係なくても、僕の大切な人には関係大有りなんですが。ですので、あの人のために少しはあなたのことをわかることができたのは、いいことだと思っておきます。その最低さをもうあの人に見せないというならば、僕は本当になにもしないと約束をしましょう。しかし、万が一、またあの人を傷つけるようなことがあったら、僕は容赦しません。僕はもう、あの時とは違うんですから」
 また? この男は相澤のことを言ってるんじゃないのか? オレはアイツのことを傷つけた記憶なんてないぞ? ……じゃあ、誰のことを言ってるんだ……?
「……あの時って、なんだ」
「興味がおありですか? それとも、思い出したいことでもありますか? あなたに協力をするのは癪ですが、まあ、今回は特別に少しだけお話をしてあげましょう」
 上から物を言う男に眉が跳ねる。オレの顔は男にはちゃんと見えているから、オレがどんな風に感じたかはわかってるだろうに、男は喋り方を変えることもなく話をし始めた。
 オレの仕事をする手は、完全に止まっていた。
「そうですね。真相を教えてしまっては、面白くありません。この場合、面白くないと言うのは、あなたが自力で思い出さなければ意味がないと言う意味で、僕個人が娯楽のために楽しみたいというわけではありません」
「いいから、さっさと話をしろ。お前にだって、仕事があるんだろうが」
 なんとなく男の話し方の特徴を掴んだオレは、男の口から次の言葉が出てくる前に口を挟むことに成功した。
 オレが口を挟んでもさほど気にする様子もなく、男は肩を竦めてから話を続ける。
「そんなに焦らないでください。しかし、そうですね、端的に言ってしまいますと、七年前、斉藤という名前の男がいましたという話です」
「誰だよ、それ」
「誰とは酷いですね。まあ、あなたはそういう方だと今しがたわかりましたから、しょうがないのでしょうが。その男は、僕の兄的存在で、そして僕の好きな人です。あの時は僕にはまだ力はなくて、彼が傷ついてるのを見てもなにもすることができませんでした。でも今は違います。僕には力がある。もしかしたら、肉体的にも精神的にもあなたに勝つこともできるかもしれません」
「……お前の話はどうでもいい。さっきから、早く話をしろって言ってるんだよ」
「せっかちなのはいかがなものかと思いますよ? 人生、待つことも必要なんです。絶好の機会が訪れるまで、準備をしっかりとして、万全の体勢で物事に挑むということは、必ず必要になってきます。それがどういう結果になるのかは、その人間の意志次第ですが。……まあ、それもそれでいいのではないかと思いもします、悔しいですが……。さて、さあ、そろそろ話に戻りましょうか。この話の中で一番重要になるのは、【斉藤】という名前なのですが、本当に心当りはありませんか?」
「………………」
 問われ、考えてみる。しかし、考えたところで斉藤なんて苗字何回も聞いたことがあるせいで、いまいちピンと来ない。
「……ならば、【斉藤やすひろ】と言えば、わかりますかね?」
「斉藤、やすひろ……?」
 やすひろ、やすひろ……。斉藤、やす……。……ヤス……?
「……ヤスって……」
「なにか思い出しましたか?」
 名前を呟いたオレの顔を見た男が、薄い笑みを顔に浮かべながら訊いてきた。しかしオレは答えることはせず、目を細めて片手で頭を抑えた。
 ヤス。そう呟いたことで、笑顔が頭の中に浮かんできた。
 懐かしい、優しい気持ちになる笑顔。ほんのりと、勉くんに似ている笑顔……。そうだ、ヤスは、オレの元彼……。そして、一番長く付き合った奴……。
 付き合った人間や、夜を共にした人間のことをほとんど覚えていないオレが、こんなに早く思い出すなんて正直驚いた。それだけ、オレの中で印象に残ってるってことなんだろう。
 ……それもそのはずだ。ヤスは、オレが唯一本当に好きかもしれないと思った男だったんだから。
 どうして、今まで忘れていたんだろう。オレの中で感じていたデジャヴ感は、ヤスのことだったんだ。
 そして…………あの言葉を言ったのも、ヤスだった……。
「……あ? やすひろ……?」
 思い出し、複雑な気持ちになった時ふと思った。やすひろって、相澤と同じ名前じゃないか……? 相澤に感じていたデジャヴに、同じ名前、そして、今まで忘れてたが、オレの部屋に来た時の一瞬だけ見せた言葉遣い……。これは、偶然なのか……?
 なんともいえない引っ掛かりを感じて、潤次の方を見る。オレが視線を合わせたことに疑問を抱いたのか、潤次は首を傾げながら少し笑った。
「……わかっちゃいましたか? それとも、まだ気づいてませんか? どちらでも構いませんが、これ以上僕がなにかを言ったら、怒られてしまいかねませんので、もう僕からはなにも言いません。しかし、質問にはお答えいたしましょう。僕に、なにか訊きたいことはありますか? それとも、疑問は疑問のままにしておきますか? きっと、疑問を解消しない方が、心の平穏を保てるのでしょうが、あなたはどちらをお望みなのでしょうね?」
 頬杖をつき、オレの反応を楽しそうに伺う男はとてつもなく気に食わないが、我慢するしかない。まあ、オレが怒ってみたところで、この男はきっともっと愉快そうに笑うだけなんだろうが。それがわかっていて、わざわざコイツのことを楽しませる趣味は、オレにはないので黙っておく。
 なにも教える気はないというスタイルをとっておきながら、この男はきっと話したくてしかたがないんじゃないだろうか。そんなことを思い、男の言った通り、オレは頭の中に浮かんできた疑問を男にぶつけてみることにした。
「……お前の好きな男ってのは、昔から相澤なのか?」
「そうですね、その問いかけは、半分当っていて、半分外れています」
「なんでだ」
「それは、教えてあげません」
「……アンタ、いい性格してるって言われたことないか?」
「何度となく言われたことはありますが、関係ないことですよね。それで、次の質問はなんですか?」
「…………。……じゃあ、斉藤と相澤はもしかして同一人物だったりするのか……?」
 ありえないで欲しい思いつきを口に出す。
 いくら名前が同じだからといって、同一人物だという可能性は、かなり低いと思う。いくらなんでもそれはできすぎだ。
 だが……。これはなんていうか……。
 心の中に焦りが生まれる。背中に嫌な汗が流れる。顔から血の気が引いていく。
 オレの予想が当っていたら、とんでもないことが起きてるってことになる。
 生唾を飲む気持ちで答えを待っていると、男は大きく溜め息を吐いて笑顔を引っ込めた。
「……さすがに、そこまでは僕は答えられません。しかし、僕に訊かなくても、あなたの中ではすでに答えは見つかっているんじゃないんですか?」
 男はハッキリと答えることはしなかったが、その言い方こそが答えなのだとオレは思った。
 ……オレの予想は当ったんだ。当って欲しくなんかなかったが、当ってしまったんだ……。
 複雑な感情が一気に押し寄せてくる。
 ……あの、相澤とヤスが、同じ人間……。直感的にそうなのかもしれないと思ったが、冷静に考えてみると、違うところばかりではある。
 そもそもの見た目がまったく違う。相澤は痩せていて筋肉質。対称的にオレが覚えてる限りのヤスはぽっちゃりで、なにより身長がオレと同じくらいだったはずだ。性格だって、喋り方だって、まったく違う。……あの一瞬を除いては。
 それなのに、だんだんと思い出されてくるヤスと相澤が、似ているような気がしてならないのはどうしてなんだ……。
「……では、僕はそろそろ戻りますね。もしかしたらご質問がまだ残っているのかもしれませんが、予想以上に時間が過ぎていましたので、僕はこれで。名取さんも、早く帰った方がいいですよ。会社に泊まるのは、健康にもよくないですし」
 オレが考え込んでいる横で男はそういうと、ひらひらと手を振りながらあっさりと去って行った。
 再び一人になったオレは、仕事に手をつけることができなくなり、しばらく頭の中を整理することに費やした。
 これまでの自分の行い、そして、自分の気持ち。一番重要なのは、本当に相澤とヤスが同一人物なのかということ。もし同一人物なら、どうして相澤はオレに近づいてきたのか。あんなことをした理由はなんなのか。相澤の言っていた【メリット】とは、いったいなんなのか。
 極力相澤のことを考えないように、オレの中に生まれた気持ちを無くすために努力をしていたのに、このままでは忘れることなんてできそうもない。
 それに、本当にオレはアイツのことが好きなのかもわからなくなってしまった。
「……相澤だから、こんな気持ちになったのか……?」
 デスクで頭を抱え、唸る。
 オレが好きになったのは確かに相澤なんだろうが、こんなことがわかってしまった今、オレの本当の気持ちがわからなくなった。
 自分のことがわからない以上に、相澤のことがわからない。
 アイツはいったい何者なんだ……。
 これ以上は仕事なんて手につかないと思ったオレは、しばらくは残業になりそうだなと思いながらパソコンの電源を切り、デスクの上に散らばっていた資料を適当に整理して荷物を纏める。
 もう同じフロアには潤次という男はいないとは思うが、少し時間を開けて電気を全て消して廊下に出る。
 きっと今夜も考えて眠ることができなくなりそうだ。
 こんなに考えるなんて、本当オレらしくない。普段あまり考えることがないせいで、なにから考えていいのかわからないってのもある。
 ……一番優先して考えなければいけないのは、なんなんだろうか……。相澤の正体か、それともオレの気持ちなのか……。
 そんなことを考えながら、オレはゆっくりと帰路についたのだった。





【六話 ぎもんの始まり END】