記憶の中にあるもの
へんかの始まり 2
そう皮肉を言いながら、残り少しになっていたウイスキーを呑み干すと、次を注文していた。
マジで気に食わん奴。こうも知ったような口を聞かれるのは、本当に気に食わない。
オレを小馬鹿にして遊んでいる相澤と、それをスルーできずについ相手になってしまうオレ。
続いているようで続いていない会話を交わしながら何杯かグラスを空け、その日はバーでそのまま別れた。どんなことをされるのかとドギマギしていたが、相澤から突きつけられた条件の初日を、無事終了したのだった。
それからも毎週末、オレの時間は相澤の言う通りになっていた。といっても、正確には金曜の夜の時間だけなんだが。
会社が終わり、バーなり居酒屋なりで酒を呑んで話す。最近では、少しずつちゃんとした会話が成り立つようになってきていた。
仲がいいとは言いがたいが、なんとなく相澤の性格がわかるようにもなってきている。ただの鼻につく嫌な奴だと思っていたが。ちょっと天然というか抜けてるところがあったり、酔い過ぎると甘えた感じになったりするなど、こういう付き合いがなければ知ることができない一面が見えてきたりした。
まだまだ謎なところは多いし、理解に苦しむ言動があったりするが、オレが素直に言うことを聞いているおかげか、会社でオレのことをバラすこともないし、そんな素振りを見せることもない。
本当は、相澤ってばいい奴なのかも知れないと感じ始めていた五回目の週末の今日。オレはそんなことを感じていたせいで呑みすぎてしまった。
「名取、しっかり歩け」
「ん……、わりい。なんか今日は、やけに足にくる……」
いつものバーで呑んでいたオレたち二人。珍しく相澤と話が弾み、それに比例するように酒も進んだ。
その結果、オレは気をつけていたにも拘わらず、酔っ払ってしまい、相澤に連れられるまま店の近くにあるというホテルに来ていた。
相澤の肩を借りてようやく部屋に辿り着き、オレはベッドに投げられた。
「ぐはっ」
スプリングのよく効いたベッドだったからといっても、躰に衝撃がないわけじゃない。背中からベッドに投げられると、肺から出ていく空気と共に声を出した。
「スーツ、脱がないとシワになるぞ」
足元から聞こえてきた相澤の声にそっちに目をやれば、相澤はスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めていた。
脱いだ上着を持ちながらクローゼットの方に歩いていく相澤を目を追ってから、部屋の中を見渡す。
白と黒で統一された内装。オレの寝転んでいるクイーンサイズらしいベッドを中心に、左側にはマジックミラーのバスルームと、おそらくトイレがある扉。右側には、SMのなんちゃらチェアと、壁にX十字架。
「………………………………」
ホテルに入る時から、ここがどういう場所なのかはわかっていた。……わかってはいたが、改めて認識すると、不快な感覚に酔いが醒めてきそうになる。
「……ラブホ……」
なんでラブホなんだ。この前みたいに、ビジネスホテルでもよかったんじゃないのか? それとも、近くにはラブホにしかなかったのか?
なんで、ラブホ……。しかも、よりによってSM部屋って……。
これはアレか? こういうのが、相澤の趣味なのか? そうだとしたら、もしかするとオレは貞操の危機に陥ってんのか……!?
冷や汗を流しながらぐるぐると考えていると、背後でギシッとベッドのスプリングが軋む音がした。その音に、大袈裟に躰をビクつかせる。
相澤がベッドに乗り上げてきた。どうしよう。オレ、ヤられちまうのか!?
目を見開きうるさい心臓の鼓動を感じながら、緊張に躰を強張らせ、感覚を研ぎ澄ませて相澤の次の行動を伺う。
「……名取」
「――!!」
名前を呼んでくる相澤に、よけいに躰が硬くなる。
オレが返事をしないことに、相澤の溜め息が耳に入ってきた。
なにか返事をしなければいけないんだろうが、どう答えたらいい? オレは、変に意識しすぎなのか? ここは、どうするべきなんだ!?
「…………おい、この単純馬鹿」
「ああ!? 誰が馬鹿だ!?」
人がせっかく考えているというのに、理由もなく馬鹿呼ばわりされて、躰を反転させて怒鳴る。
こういう風に簡単に乗ってしまうところが、単純なんだろうが頭で考えるよりも先に躰が動いてしまうんだから、しょうがない。
馬鹿と言われたことと、それに敏感に反応してしまった自分への自己嫌悪を八つ当たりにすり替えて、ベッドの端に座っていた相澤を睨む。
「……ホント、わかりやすすぎだなお前。言っておくが、今はなにもする気はないから、安心しろ」
「なにも、しないか……?」
「しないしない。それより、風呂はどうする? 私はこれから入ってくるが、動けないようなら起きてからにするか?」
オレの頭を、ガキを扱う時みたいにポンポンと叩きながら訊いてくる相澤。その手を払い除けながら、「明日」とだけ答えると、寝返りをうった。
「それじゃあ、私はシャワーを浴びてくるから、その間にちゃんとスーツを脱いでおけ。その辺に投げるんじゃなくて、ちゃんとハンガーに掛けてクローゼットに入れるんだぞ? それが無理なようなら、なるべくシワにならないようにベッドの端にでも置いておけ」
「……うっせー。アンタはオレのおかんか」
細かく言ってきた几帳面相澤に、うっとうしいと思いながら返すと、相澤は笑いながらバスルームへと消えて行った。
一時だが、一人になって静かになった部屋の中、ごろんと寝返りをうって天井を見つめる。
スーツ、脱ぐのめんどい。頭の酔いは醒めてきたが、躰がどうにも言うことを利かない。足に酔いがくるなんて滅多にないことだから、もしかしてオレ、結構疲れ溜まってた?
年を取ったせいだという現実を認めたくないオレは、酔いを仕事の疲れのせいと自分に言い聞かせると、無駄に広いベッドをごろごろと転がる。ベッドから落ちるなんて無様なマネにはならないように注意しながら、端の方まで移動した。
床に足を下ろし、上体を起き上がらせて座ると、面倒だと思いながらスーツの上着に手をかける。ふと聞こえてきたシャワー音に顔を上げ、スーツの片腕を脱いだところで固まった。
「――ぬおっ!!」
オレがなにも考えずに転がった方向にあったのは、相澤の消えたバスルーム。
すっかり失念していたが、バスルームの鏡はマジックミラー。ということは、こっちから中が見えてしまう。そして、バスルームの中にはシャワーを浴びている全裸の相澤。
「……見てない。見てない見てない。オレはなにも見てない……」
ぐるっと思い切り顔を逸らすと、ぶつぶつ言いながらスーツを脱ぐ。
相澤は、バスルームに入ればオレの方からは丸見えになるって、気づいてないのか? いや、そんなはずはないだろ。いくら相澤でも、部屋に入った時に気づいていたはずだ。知っていながらアイツは、平気でシャワーを浴びてんのか? 肝が据わってるっていうか、オレがゲイだってこと忘れてんのか? いや、忘れていないから、オレは相澤とこんな時間に一緒にいるんだ。
じゃあきっとアレか。オレがアイツみたいないい躰したイケメンは好みじゃなくて、ぷよぷよぽっちゃりが大好きって知ってるから、危機感は感じていないってヤツで、平気って思ってんのか。
そっかそっか、それなら納得だ。……つか、相澤なんて好みじゃないって言っときながら、どうしてこんなに動揺してんだよ! タイプじゃないんだから、見たって支障はないはずじゃないか!
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