記憶の中にあるもの

へんかの始まり 3

 オレは男なら誰でもいいっていう節操無しじゃないんだ! だから、相澤が視界に入ったって全然平気だ!
 我ながら動揺しすぎで笑えてくるが、なんとか平静を取り戻しながらスーツを床に投げ捨て、ネクタイを解きつつチラリとバスルームに視線をやってみた。
「……っ」
 相澤の茶色い髪が、整った横顔が、長い手足が、薄く筋肉のついた上半身が、引き締まった下半身が、シャワーから勢いよく出てくる水で濡れている。
 アイツの裸を見るのは、今日で二回目。
 そういえば、社員旅行で温泉に言った時、大浴場で相澤と鉢合わせたことはなかったな。まあ、オレがあまり人のいない時間を選んで入ってたってのもあるんだろうけど。
 大浴場は、裸の男がうようよいるところ。そんなところにオレが入っていくのは、ノンケの男が女湯に入っているのと同じようなものであって、ある意味楽園である意味地獄な状態なわけだ。しかし、オレは温泉というかデカい風呂に入るのが好きなので、なるべくオレ好みの奴はいないだろう時間帯を選んで入っていた。
 そんなことを考えながら、オレは相澤から視線を逸らすことができないでいた。
 引き締まった躰も、長くスラッとした手足も、イケメンな顔もすべて、まったくオレの好みじゃないはずなのに……、それなのになんで……。
「……ごく」
 目が逸らせないどころか、生唾まで呑んでしまった。
 いったん意識し始めてしまうと、冷静になるのが難しい。
 目を逸らそうと違うことを考えるが、そう躍起になればなるほど、鼓動が早くなって言うことを聞いてくれない。
 あの躰を、もしかしたらオレは、一度抱いたのか……?
 アイツはいったい、どんな風に乱れるんだろうか……。
「う……」
 変なことを想像してしまい、下半身に熱が集まっていく。
 これはマジでヤバイ! この愚息! なんで反応なんかしてんだ! 相手はあの相澤だぞ!?
 ネクタイに手をかけたまま、最悪にも想像してしまった相澤の官能シーンのせいで反応した愚息をなんとか落ち着かせようと、上体を折りたたみ躰を縮こまらせる。
 なんとか、相澤が戻ってくる前に沈めなければ。
 目を硬く瞑り、必死に煩悩を追い払うべく独り言を言っていたせいで、オレは相澤がシャワーの水を止めた音に気づかなかった。
「おさまれ、おさまれ、おさまれ……」
「……お前、なにをしているんだ?」
「――!? あ、相澤――!?」
 頭上から聞こえてきた声に、勢いよく顔を上げる。そこには、バスローブ一枚でタオルで髪を拭きながら、蹲っているオレを怪訝そうな顔で見下ろしている相澤の姿があった。
 湯上りのせいでほんのり高潮している肌。バスローブの合わせの部分から見える胸元を目にした瞬間、オレの中の熱がいっそう増した。
「酔いすぎたのか?」
 オレの姿は、相澤の目にはどう映っているんだろう。相澤は少し心配そうに言うと、手を伸ばしてきた。
「――――!!」
「………………。本当、なにをしているんだ?」
「あ、いや、別に……?」
「いきなりベッドの反対側まで飛ぶように移動しておいて、『別に』はないだろ」
「いいいいや、ホントになんでもないし?」
「目、泳いでるんだが?」
「い、いやなんていうか……。あああ、熱くないか?」
「私は風呂上りだから多少はそう感じるが、お前はそう――」
「ちょっと空調入れるぞ!」
 言いかけた相澤の言葉を遮り、ヘッドボードに置いてあった空調のリモコンを手に取る。スイッチを押せば、静かに動き出す機械。冷たい空気が頭にかかる。
「涼しい……」
「……それはよかったな」
 熱くなっていた躰に当たる冷たい風に素直な感想を漏らすと、相澤は問い詰めるのを諦めたのか短く言った。そして、床に放り投げてあったオレのスーツを見て溜め息を吐くと、それを取ってクローゼットの方へと向かった。
 離れて行った相澤にホッと溜め息を吐きながら、もっとよく躰を冷まそうと風のよく当たる場所に移動する。
 相澤を視界に入れないようにするために、風の流れてくる天井を見上げる。
 視界にこそ入ってこないが、さほど広くはない部屋の中に一緒にいるから動いている音は聞こえてくる。
 ハンガーにオレのスーツを掛ける音、扉を閉める音、髪を拭いている音、こっちに近づいてくる音。
 冷房のおかげで躰の表面は冷たくなっていくが、中の熱はなかなか冷めることはない。早くなっている鼓動も、いっこうに落ち着く気配を見せない。
「お前、酔って動けないとか言っていた割には、さっきはすごい速さで動いていたな。もう酔いは醒めたのか?」
「え? あ、そうなのかもな?」
「それなら、泊まらずに帰るか? ……あー、でももう終電は出た後か」
「そ、そうだな?」
 会話をしながら、ベッドが軋む音が聞こえてきた。
「酔いが醒めたなら、今のうちにシャワー使っておくか?」
「あ、ああ……」
 【シャワー】という単語に、さきほどの相澤のシャワーシーンが頭の中でフラッシュバックする。
「うぁぁ……」
「………………。名取、本当にどうしたんだ? 具合が悪いのか?」
 思い出したついでにまた熱くなってきた下半身のせいで蹲ったオレに、相澤が本気で心配している声で問いかけてくる。そして、ベッドが揺れる。
 嫌な予感がして顔を天井から視線を外せば、相澤が近づいてきていた。
 オレの体調を心配をしての行動なんだろうが、珍しく見せたその行動は今のオレにはありがた迷惑でしかない。
「あああ相澤、マジ平気だからっ」
 近づいてくる相澤にあからさまに動揺しながら、オレはなんとか少しでも相澤から離れるためにベッドの上を後ずさる。
 しかし移動をするには狭いベッドの中。すぐに背中はベッドヘッドにつき、退路を断たれてしまう。それに、やはりまだ酔いは完全には醒めていないようで、ベッドから飛び降りで逃げることはできなかった。
 逃げたオレは相澤の目にはかなり不審に映ったことだろう。相澤は動きを止めて顔を歪める。
 四つんばいの状態で止まった相澤の胸元に目がいってしまう。目を逸らそうにも、釘付けになってしまった視線は動くことはなかった。
「…………?」
 オレの視線に相澤が気づく。視線の先を追い、オレがどこを見ているのか悟った相澤は、ニヤリと口の端をつり上げてオレに顔を戻す。オレの顔を見ていた視線が、徐々に下に下がっていく。
「……ほう、そういうことか……」
「な、なにが……?」
「とぼけたって、もう無駄だ。お前もしかして、私の裸を見て欲情をしたのか?」
「ななな!? な、なにを根拠に、んなこと言ってんだよ!」
「お前の動揺の度合いと、その股間の膨らみがなによりの証拠だろう」
 そう言いながら手を伸ばせば届く距離まで近づいてきた相澤は、熱が集まり収まっていなかったオレの股間をギュッと掴んできた。
「――――っ!!」