記憶の中にあるもの

きもちの始まり 2

 なんでそんな奇妙な行動をしたのかというと、――相澤がいたのだ。
 オレよりも一時間は早く帰ったはずの相澤が、オレが真っ直ぐ向かおうとしていた出入り口のところにいた。
 ただ相澤がいたというだけならば、別に隠れなくてもいいんだが、――いや、条件反射として隠れていたな。それは今はよしとして、アイツは一人じゃなかった。誰かと、同じ年くらいの男と二人でいた。
 オレには疚しいことはなにもないのに、隠れる。おかしなことだと笑えばいい。
 息を潜め、隠れた柱の陰から二人の様子を伺う。
 相澤と一緒にいる男は、スーツを着ていなかった。着ていたのは、警備の制服。アレは警備会社の制服だ。ということは、あの男は風汰の同僚なんだろうか。
 警備員と二人でいる相澤。もしかして、アイツなにか問題を起こして捕まってんのか? いや、それにしたって雰囲気が違う。
 仮に問題を起こして、それについての話をしているのなら、もっと険悪な雰囲気が漂っているはずだし、第一、二人がいるのは出入り口。大事な話を人がいつ通るかも知れない場所で話すわけがない。悪事を働いたなら、警備室にでも連れて行かれているに違いない。
 ならあの二人は、あんなところでなにをしてるんだ? あの警備員は相澤の知り合いで、アイツが帰る時にちょうどあの警備員が通って、それから世間話を始めたとかか? 一時間以上も? 女子じゃあるまいしそんなに話すことなんてないだろう。
 なにを話しているのか、なにをしているのか、すごく気になる。
 ……この気になるって意味は、ただの好奇心であって、相手が相澤だから気になってるわけじゃない。野次馬根性旺盛なだけだ。
「……くっつきすぎなんじゃないのか?」
 オレの見ている角度のせいかもしれないが、男同士では……というか、男女間でもそうだが、誰が通るかわからない往来の場所で、二人は近すぎる程に近い。
 向かい合っていて、たぶん額と額が近づきそうに見える距離。あのくらい近づくなんて、どういった関係なんだ。いくら友達だったとしても、あそこまでは近づかないだろう。いくらオレがゲイでも、風汰もそうだとしてもアイツとはだってあんなに近づくことはしない。というか、友達とあんなに近づくのは願い下げだ。
 それなのに、あの二人の距離は、もしかして……?
「――なっ!?」
 相澤はノンケだろうからありえないと、思いついた考えを否定しようとした時、警備員の男が相澤の頬にキスをした。
 軽く触れる程度ではなく、唇を押しつける感じのキス。
 …………いやいやいやいや。シチュエーションというか、知らない奴のそういうシーンを目撃したのなら、おお!! と、いいモノを見たなと思えるんだが、一人は相澤という、知っている人間なだけに、冷静に受け止められない。
 警備員にキスをされ、相澤は嫌がっていない様子。ということは、やっぱりアイツはノンケじゃなかったっていうことなのか? バーに連れて行った時は結局解決できなかったが、オレの予想は当ってたってことなのか?
 ……なんだろう。疑問が晴れてスッキリすると思ったのに、全然そんな感じがしない。もっとモヤモヤとしてしまった。こういった感情は二十七年生きてきた中で初めてなので、言葉で表すことができない。
 自分のことなのに、自分の気持ちが理解できず、説明できないことがあるなんて初めて知った。
 思考の中に潜りそうになったが、とっさに柱の陰にもっと身を隠した。相澤と話していた警備員の男が、こっちに向かって歩いてきたのだった。
 オレがちょっと放心状態になっている時に、二人の会話は終わっていたらしい。そしてきっと相澤はもう外に出ていて、警備員は仕事に戻るためにエレベーターに乗りに来たんだろう。
 警備員に絶対に見つからないように必死に隠れる。
 緊張感を持ちながら耳を澄ませて音をよく聞き、警備員がエレベーターの中に姿を消すのを待つ。
 エレベーターの前まで歩く靴音、エレベーターが降りてくる音、到着を知らせる音、扉が開く音、中に消えて行く足音、扉の閉まる音、動き出す音。それら全てを聞いてから、オレはようやく柱の陰から出た。
 うまいこと隠れることができたみたいで、幸い警備員には気づかれずに済んだ。
 隠れていたことで顔はよく見えなかったが、だいたいの容姿はわかった。
 身長は相澤より少し低いくらいで、オレよりは高いだろう。髪の色は黒。制服を着ていたから確かじゃないが、躰は細め。雰囲気は軽い感じだった。今度廊下などですれ違った時に、注意して見てみよう。
 ……しかし、顔を見たところでどうしようというんだ。そうだ。あんなに相澤と親しそうにしていたんだ。もしかしたら、アイツの恋人かもしれない人間。それなら、興味があって然りというもんだよな。そうだよな。
 ――もしあの男が本当に相澤の相手なら、相澤が条件を実行しなくなったことにも納得がいく。
 恋人ができたから、オレに向いていた興味が無くなり、アイツの都合でオレは解放された。
 ……それなら、オレに一言あってもいいんじゃないのか。そうすれば、オレだってこんなにおかしな気持ちにはならなかったというのに。
 ここのところオレの調子が狂っていたのは、全部アイツのせい。オレがどっかおかしくなってたんじゃなくて、相澤のせいだったんだ。
 それに、相澤の新しい恋人は男。だったら、アイツもオレと同じということで、オレの性癖をバラされる心配はない。もしバラすようなことがあったら、オレだって同じことをしてやるまでだ。
 ……全部オレの仮定でしかないから、本当のところはわからない。相澤はきっと駅に向かったんだろうから、今から追えば追いつくだろう。気になるなら、話を聞きに行けばいい。
 いや、そんなことをすれば、オレが隠れて覗いてたことがバレてしまう。
 それなら電話? ……駄目だ。電話だったらうっかり漏らしてしまいそうだ。
 残る手はメール。ポケットに入れていた携帯を取り出し、メール機能を立ち上げる。
 なんて書いたらいい。とりあえず、訊きたいことがある、でいいか?
 色んな文を頭の中で考えつつも、最終的にはシンプルに、【条件について訊きたいことがある】と短く打ち、メールを送信した。
 ただのメールを送るだけだっていうのに、異様に緊張した。
 送信完了の画面を確認してから、勢いでメールを送ったことに少し後悔しながらも、携帯をポケット仕舞う。
 返信はすぐには返ってこないだろう。もしかすると、メールを無視される可能性もある。そんなことを考えながら、駅で相澤と鉢合わせないようゆっくりと、帰るために歩き出した。
 ……今さら気づいたが、オレの行動は受付から丸見えだった。しかし救いだったのは、もう受付には誰もいない時間だということ。もしもう少し早い時間でまだ誰かいたのなら、オレの不審な行動全てが筒抜けになっていたところだった。
 そんなことすら考えつかないくらいに、周りがまったく見えていなかった自分に苦笑いしか出てこない。
 歩いてる途中も、駅についてホームで電車を待ってる時も、電車に乗って家の最寄り駅に着いた時も、携帯がメールの受信を知らせることは無かった。
 これは、本格的に相澤はオレへの関心を無くしていて、無視をしているんだろうか。
 アイツのことが好きじゃないといっても、無視をされるのはちょっと凹む。
 家についても、やっぱり返信は来ない。期待をしていたわけじゃないが、もう待つだけ無駄なのかもしれない。今回のことは、オレが勝手に解釈して納得してしまおう。
 だいたい、メールの返事を今か今かと待つなんて、馬鹿らしかったんだ。オレらしくなかったんだ。そもそも、メールをしたのが間違いだった。
 自分のした行動を根本から否定し、オレは、帰宅早々にスーツも脱がずにベッドにダイブしたのだった。




 翌日の土曜日。なんの予定も立てていなかったオレは、太陽が真上に昇った頃、目を覚ました。
 予定がないのなら、二度寝という手もありかと考えながらも、頭の中にチラついた、【洗濯】という文字に寝すぎて重くなっていた躰を起こした。
 着たまま寝たせいでシワになったスーツを脱ぎ捨てて、風呂に入る。
 熱い湯を頭から浴びて、目を覚まし、ジャージに着替えて髪もろくに乾かさないままソファに座りながら一服する。