記憶の中にあるもの
きもちの始まり 5
相澤に問いかけようとしたオレの言葉を遮り、相澤が剣呑とした顔つきで警備員――潤次という男に言い放った。
「貴様、ときましたか。これはキツイお言葉ですね。僕がなぜここにいるのかというと、徒歩で来たからです。それともどうしてこの場所を知っていたのかということを、訊きたいのでしょうか? もちろん、僕は知りませんでしたよ。そちらの彼のことも、当然僕は知りません。それなのに、僕はここにいる。なぜなのか。その答えは簡単です。保弘さんの後をつけて来たんです。無防備極まりない保弘さんの後を、付かず離れずの距離を保って、探偵気分よろしくついて来ました」
この説明でご満足いただけるでしょうか? とでも言うように、腕を組み壁に寄りかかっている男が、オレも相澤も口を挟む隙もなく捲くし立てた。
ついて来たって、尾行してきたってことだよな。それは、一歩間違えたら犯罪になるんじゃないか? なんのためにそんなことをする必要があるんだ。相澤とは親密な間柄なんじゃないのか? それなら、尾行なんて怪しい行動なんてしないで、堂々と隣に並んで歩けばよかったんじゃないのか?
……いやまあ、隣に並んで歩いて来られたら、それはそれでどういうことだよと、ツッコミたくなるが。ドアなんてすぐに閉じてしまっただろうが。
呆れているオレに対して、相澤は怒ってる様子だ。相澤の怒る気持ちもわからなくはない。黙って後ろからついて来られたら、オレも怒りたくなる。同じことをされたら、オレだったら有無も言わさず追い返すが、相澤はそうしないだろうな。潤次という男は、相澤のいい仲の男なんだろうから。
しかし相澤の反応は、オレの予想に反していて、怒気を孕んだ声で潤次という男に言い放つ。
「――帰れ。今すぐ、消えろ」
これまでに聞いたことのない、底冷えする程低い声。
自分に向けて言われたわけじゃないのに、つい萎縮してしまうくらいに怖いと感じる声だった。しかし、その声を向けられた張本人は、なにも感じていないようで、軽く肩を竦ませただけ。
以前にこの声を聞いたことがあるのか、それとも何事にも動じない性格をしてるのか。どちらにしても、肝が据わってるのは確かだろう。
たった今あったばかりの人間に対して失礼かもしれないが、オレはコイツのことが嫌いだと感じた。嫌いというか、絶対にソリが合わない。会話が噛み合わないどころか、すれ違いまくりになるに決まってる。
相澤に冷たく言われた男は、壁から背中を離して相澤の目の前まで近寄った。
「保弘さん、僕が帰らなければいけない理由は無いはずですよ? なんといっても僕は、ドタキャンをされた立場なわけですし。あんなにも楽しく会話をしていたのに、いきなり帰ってしまわれるなんて、酷いにも程があります。とても譲れない、僕を放って置いてしまうくらいの急用だったのなら、仕方がないと諦めて帰るつもりでしたが、これはどう見ても急用には見えません。お話を伺ったところ、アポイントもろくに取っていなかったらしいですし。そちらの方はそれについて、大変ご迷惑をしている様子。ならば、僕が身を引く理由は、遠慮をする理由はないですよね。だって、僕たちは――付き合っているのですから」
また捲くし立てた男の発言に驚く。この男の話し方が、これが通常だということにも違う意味で驚いたが、オレの方をチラリと見ながら言われた最後の言葉が一番衝撃的だった。
――付き合っている。
オレの予想通りの発言だったが、こうも面と向かって言われるとは思わなかった。
これでようやく本当に相澤が、ノンケではないということがわかったというのに、全然スッキリしない。頭ではわかったのに、気持ちが納得をしてくれない。
相澤が男と付き合ってると知って、これでオレは安心じゃないか。約束を破られるリスクは無くなったわけだし、条件をオレが呑む必要はなくなった。一件落着。そうだっていうのに、どうしてオレは戸惑っているんだ。
素直に納得をすることができないんだ……。
「名取! ボクはコイツとは付き合ってないからね!!」
「お、おう!?」
突然の声に、思考が遮断される。
というか、今の誰が言ったんだ? いや、誰って、声は相澤だったんだが……。……【ボク】? 【からね】……?
とても相澤の口から出た言葉とは思えなくて、戸惑っているオレの反応に、相澤はハッとしたように口を噤むと、潤次という男を睨みつけた。
「いやいや保弘さん。僕を睨むのは、まったくもってお門違いというものではないですか? 今のは完全に、保弘さんがドジを踏んだだけですよ。僕は僕の思ったことを言っただけであって、それを聞いただけで、ちょっと動揺したくらいでボロが出てしまうなんて、それは僕の見込み違いでしたが、まあ、そんなところが保弘さんらしくていいんじゃないですか? いいところというか、可愛いところですよね。人とはそう簡単に完全にはならないとう、いい証拠ですよね。ますます好きになりました。キスでもしませんか?」
「……するわけないだろう。お前がいると話ができない。早く帰れ」
「おや、もう元に戻ってしまわれたんですか、せっかく可愛かったというのに勿体ない。もう少しの間は取り乱してくれるかと思ったのですが、なるほど、固いですね。強固ですね。僕程度では保弘さんの中に形成された壁を壊すことはできないと、そう仰りたいんですか? それはそれは、僕も見くびられたものですね。僕だって色々と努力は惜しんでいないつもりなんですが。とりあえず、ハグでもしませんか?」
…………なんなんだろう、この男は。人を小馬鹿にしてる口調というか、からかっているだけというか。人の反応を楽しんでいるのは理解できた。マスターとは違う意味で、掴みどころがない人間だ。ますます嫌いになった。……まあ、コイツがわかりやすい人間だったとしても、好きにはなれないだろうが。
この男がいるせいで、話がややこしくなっていく。元々、本来の道筋から外れていたが、それが益々酷くなっている。
潤次という男の話からわかった、この男の言いたいことは、相澤がこの男の約束をキャンセルして、オレのところに来たということ。あれだけたくさん話していたが、重要なのはその点だけだろう。……と思う。あまりにいっぺんに話されたせいで、半分以上は聞いていなかったが。
男は、相澤にデートをキャンセルされたから怒っている。それは理解した。だからといって、ストーキングをしてきて、オレの前にわざわざ姿を現すだろうか。それをしたのは、なにか理由があってのこと――。そうだとしか思えないんだが、その真相が、オレにはわからない。もしかしたら、今の話の中に真相のヒントがあったのかもしれないが、さっきも言った通り話はほとんど聞いていなかったから、話を思い返して真相を導き出すことは不可能だ。
もうちょっとオレでもわかるように話してくれないだろうかと思い、眉を潜めながら潤次という男を見ていると、目が合った。
「……ふっ」
……目が合った瞬間、鼻で笑われた。ホント、コイツ嫌いだ。
「そんな目で見ないでください。僕は、貴方に危害を加える気はありませんから。まあ、多少ちょっかいはかけるかもしれませんが、それ以上はなにもしませんし、するつもりもありません。そんな義理は、僕にはありません。僕はあくまで保弘さんの味方であって、保弘さん以外の人間はどうでもいいんです。それに貴方はもっとどうでもいい存在。貴方には僕の気持ちは関係ないかもしれませんが、知っておいても害はないですよね。保弘さんという接点がある以上、貴方と僕はただの赤の他人という間柄ではなくなったわけですし」
「……その話し方は、通常なのか?」
「なんのことですか?」
矢継ぎ早な口を挟む隙を見せない男の言葉に、我慢できずにツッコんでしまった。オレのツッコミに首を傾げた男に、それ以上はなにも言わなかったし、言う必要もないと思った。
男にオレとは赤の他人ではないと言われたが、オレとしたらずっと赤の他人のままでいたい。関わらないのが正解。オレの直感がそう告げている。……嫌いだからという理由も、少なくもないが。
「……潤次。お前の言いたいことはわかった。今日の埋め合わせは後でするから、本当にもう帰ってくれ」
「それは、お願いですか? それとも、命令でしょうか? 命令だったら聞けませんし、聞く気もありません。もしお願いなのでしたら、他でもない保弘さんのお願いです。叶えないわけにはいきません」
「……お願いだ」
「そうですか、わかりました。保弘さんのお願いを、僕が聞かないわけにはいきませんので、今日のところは身を引きます。しかし、次はありませんから、それは覚えておいてくださいね」
不機嫌そうに言った相澤に、潤次という男は胡散臭く感じる笑顔で答えると、オレに軽く会釈をしてから、踵を返して去って行った。
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