記憶の中にあるもの

きもちの始まり 6

 あれだけ色々言っていたくせに、あっさりと帰って行った男に疑問ばかりが募るが、関わり合いにはなりたくないから気にしない。
 去って行く男の背中を目で追ってから、相澤に視線を戻すと、相澤は潤次と言う男の方は見ておらずジッとオレのことを見ていた。
 一切オレから目を逸らさないガン見。異様な圧力を感じる。睨まれてるとは違う、圧力。――怖いです。
「……あーと、中、入るんだったか?」
「……ああ」
 正直相澤を中に入れるのは躊躇われたが、気まずい空気の中いつ誰が通るかも知れない玄関先で、ずっと立っているというわけにもいかない。オレが促せば、相澤は目をようやく目を逸らして中に入る。
 相澤が中に入ったのを確認し、ドアを閉める。
 他人の、しかも初めて足を踏み入れる部屋だというのに、相澤はなんの遠慮もなく、律儀に靴を揃えてからずかずかと中に進んで行く。それに関しては最早ツッコむことはしない。それが相澤。もう、そう納得をしてしまうくらいになっていた。
 オレもサンダルを脱ぎ、中に入る。靴は揃えない。
「おい、相澤?」
 一LDKのそこまで広くもない部屋では、玄関を上がってすぐが部屋になっている。扉は閉めていないから、玄関から部屋の中は丸見えになっている。相澤はすぐそこで立ち止まっていた。声をかけても、無反応。
 不審に思いもう一度声をかけると、相澤は勢いよく振り返ってきた。
「ど、どうした、アンタ?」
「名取。私に一時間……いや、三十分でもいい。時間をくれるか?」
「は? なんで?」
「耐えられないからだ」
 相澤はそう言うや否や、足元にあった、読み終わりそのまま置いていた漫画を拾い始めた。
 ――掃除するのか、コイツは?
 まあ、汚い部屋だと言われるのは予想はついていたが、まさか掃除をするなんて思いもしなかった。そんなに耐えられない部屋なのか、オレの部屋は?
 見る見るうちに片づけをしていく相澤を呆然と見ながら、手を出すことなんてできないオレは、部屋の入り口で突っ立ったまま、片づけられていく部屋の中を眺めていた。
 漫画や文庫本を、入るだけ本棚に入れ、あぶれたものは本棚の横の床に積み上げる。
 散らばっていた空の袋や、纏めて置いてあったゴミ袋を指定袋を取り出してその袋の中に、オレの確認を取りながら放り込む。――というか、指定袋、どこから見つけた。
 仕事関係の書類が床に散らばっていたのを見つけた時、怒鳴られはしなかったが、静かに睨まれた。それに関しては弁解もなく、オレが悪かったので頭を下げる。
 洗濯物は全て拾ったと思っていたのだがまだあったらしく、相澤は纏めてそれらを手に持つと、洗濯機のところに行く。
「名取! これはなんだ!」
「…………?」
 怒鳴られ、気づく。そういえば、第二陣の洗濯をそのままにしてあったんだった。そこでようやく、オレは動き出した。オレの突っ立っていた隣に置いてあった籠を手に持ち、相澤のところに行く。
「もう一度回すぞ。これなら、一緒に回しても大丈夫だろう」
「……まかせる」
 オレにはどうすることもできません。お任せしますから、ご勝手に。
 相澤は、お人好しという奴なんだろう。いくら、汚いのが嫌だからといっても、ここまでする人間はいないだろう。他人の……まあ、色々あったが、会社の同僚の部屋の掃除をして、洗濯までするなんて、ちょっといき過ぎだろう。
 ……結果的には助かったんだが。礼なんて言ってやらないが。
 洗濯機を回した相澤は、再び部屋に戻る。
「名取、掃除機はあるか?」
「あーと、そこのクローゼットの中?」
 クローゼットを開け、雑多になっている中身に相澤はあからさまに眉を潜めたが、さすがにその中までは手をつけようとはしなかった。
 掃除機を取り出し、かけ始める。
 時計を見ていなかったから正確にはわからないが、まだ三十分も経ってない気がする。掃除機をかけ終え、洗濯物を干せば三十分は過ぎるだろうが、一時間もかからないだろう。本当に短時間で掃除を終わらせるなんて、さすがというかなんというか。
 そんなに広くはない部屋なので、掃除機をかけるのにそんなに時間はかからなかった。相澤は掃除機を元の場所に戻し、ベランダに目をやる。
「アレは、さっき干したヤツだ」
 訊かれるより前にそう言うと、「そうか」と言ってから部屋の隅に移動していたオレの横を通り過ぎて洗濯機のところへ向かう。あと何分で洗濯が終わるのかを確認すると、オレを見てきた。
 また圧力のかかった視線。しかし、さっきとは意味合いが違うのはわかった。呆れられている。心底、呆れているという視線。
「……なんだよ」
「お前、よくあんな部屋で生活ができたな。嫌にならないのか?」
「嫌になってないから、生活してんだろ? ただ散らかってるだけだし、生ゴミとか食い散らかしはないんだ。特に気にすることでもないだろう」
「充分気にするべきことだと思うぞ」
 オレの言い分に、相澤は大様に溜め息を吐いてみせた。
 あまりにも手際のいい部屋の掃除を見ていたおかげで忘れそうになっていたが、今日の目的は出張掃除屋を頼んで来てもらったわけじゃない。
「……なあ、相澤。なんでいきなり今日になったんだ? それに、わざわざデートすっぽかしてまで来る必要なんかなかったんじゃないのか?」
「私の都合だろう、お前には関係ない」
「なんだよその言い方。自分勝手すぎるんじゃないのか? オレにだって、予定ってのがあるの、わかるだろ?」
「なにを言っている。週末のお前の時間は、私のもののはずだろう」
「…………それ、まだ有効だったのかよ……」
 あまりにもサラリと言われた言葉に、頬が引きつる。
「期限は決めていなかったんだから、まだ有効に決まっているじゃないか」
「だったら、なんでオレのこと避けてたんだよ。週末なにも無し、会話も、メールも電話もしなくなった。いきなりあんな態度取られたら、さすがのオレでも戸惑うってんだよ。普通、もう終わったんだって思うだろ」
「私がいつ、終わらせるなんてことを言った」
「だから、態度がそうだったって言ってんだよ! 急に突き放されたら、言われなくても終わったって思うのが普通だろ! 二週間もあんな態度取られ続けられた挙句、潤次って奴とイチャついてるとこも見せつけられて、ああ、これは完全にオレには興味が無くなったんだって考えちまうだろうが!? オレに興味が無くなったんなら、それは嬉しいって思うぞ!? でもよ、そんな急に切り替えなんてできねえよ! どうしたらいいのかわかんねえじゃねえかよ! 前みたいに戻ればよかったのか!? アンタと話すことができない、前のオレに戻っておけばよかったのか!?」
「落ち着け名取。お前、自分がなにを言っているのか、わかっているか?」
「知るか! オレは馬鹿なんだよ!!」
 相澤の自分勝手すぎる発言を引き金に、怒りのまま思いついたままに口を衝いて出た言葉が相澤により清掃された部屋に響き渡る。
 知らない。オレはなにもわからない。自分がなにを言ってるのかも、自分の言葉にどんな意味があるのかも、自分の気持ちも、相澤の考えてることも、全部全部知らないしわからない。
「……名取、怒っているんだな」
「たぶんな!」
 怒鳴って言ったオレに、相澤は顎に手をあてながらオレとは正反対の落ち着いた調子で言う。