記憶の中にあるもの
れんあいの始まり
オレと相澤の間には、それはもう色々とありました。でも今は、それまでのことはいい経験になったとして仲良く過ごしています。
――なんて、こんな簡単な言葉で片づけてしまっていいほどオレたちの間に起きたことは単純な問題じゃないが、昔はそんなことがあったなー……。と思い出話にしてしまえるほど時間は経っていないので、これまでの詳しい経緯は割愛させてもらう。
あの日、オレが寝不足と風邪で倒れて有給を使って会社を休んだ日は、互いに動揺がなかったわけではなかったが、それでも平常通りの態度で他愛もない話をして一日を過ごした。
予想外に穏やかな時間を過ごせたおかげか、その夜オレは久しぶりに夢も見ずにぐっすり眠りにつき、次の日には体調も頭の中も全快していた。
たった一日でダメージが回復してしまう体調と頭の中の構造に、我ながら苦笑しか出ないが、解決は一応したのだから細かいことは気にしても始まらない。
その後、会社で顔を合わせた時に多少気まずくなったりはしたが、互いに互いのことを考えて行動をした結果、オレたちの関係は以前よりは良好なものになっていった。
だからといって、オレと相澤が恋人とかそういう関係になったかというと、それはまた別の話。
今のオレたちの関係は、会社の同僚以上、友人よりはちょっと一線を越えてるかもしれないけど恋人未満――という関係。
オレの相澤を好きだという気持ちは特別な状況下で生まれた錯覚などではなく、確信として心の中で大きく育っている。それに対して相澤の方は、あの時言っていたようにオレに対して抱いてる感情は、まだ不確定でよくわからない気持ちだということなので、これといった進展はなにもない。抱擁も、キスも、躰が触れ合うことはなにもなし。
先の関係に進みたいと思う気持ちは抑えなければいけないとわかってはいるが、ちょっと物足りないというのも本音だったりする。
しかし、相澤といるとただ一緒にいるだけで居心地がいい。今はそう感じられるだけでいい。そう思い先への思いは奥に仕舞いこむようにしている。
相澤とは会社で前より会話をするようになったし、時間が合う時は昼食は必ず一緒に摂っている。
条件の話は当然のことながらすっかりなくなり、週末には普通に飲みに行くようになった。あとは一番大きな変化として、休みの日に突然相澤がオレの部屋に押しかけてきて、部屋が汚れてないかのチェックをしに来るようにもなった。
ちょっと関係の境界線を計りかねる時があるものの、問題もない穏やかな付き合い。外から見たらただの友人としか見えない関係だが、まあこういうのも悪くはない。
――いいと思っていても、納得をしているといっても、それでもやっぱりちょっと欲が出てなんとか先に進むように努力はしていたりするオレだった――。
「名取、変な顔して突っ立て考え事なんかしてないで、さっさと部屋の掃除をしろ」
「別に変なことなんて考えてないし。つか相澤、洗濯干してー」
「自分でやれ。だからいつまで経っても上達しないんだ」
「嫌いなもんはそう簡単に上達なんてしないんだよ。それに、アンタがやってくれればいいだけの話だ。オレは今から掃除機かけるから忙しい」
それまでキッチンで何かをしていた相澤をジッと見ながら立っていたオレは、掃除機を取るためにクローゼットに移動した。オレが掃除機を取り出そうとしているところを見た相澤は、文句を言いつつも区切りのいいところでそれまでしていた作業を止めて、オレが洗濯機の中から取り出してきた洗濯物を持ってベランダに出て行く。
今日は三連休の初日。最早恒例になりつつある、相澤のお部屋チェックが今日もなされていた。
相澤が前に来たのは三週間前。オレ的にはそこまで汚れているとは思っていないのに、ネチネチと文句を言われるのは毎回のこと。小言を言われるのはもう慣れた。それに小言を言ってる相澤も可愛い。
一時期はオレもちゃんと部屋を綺麗に維持しようとしていたが、掃除嫌いはそう簡単には直らなかった。物を放り投げることは少なくなったが、床掃除とかはしない。洗濯も溜まったらしかしない。以前に比べたらちょっとは成長してるんだから、ネチネチ言うのは少なくして、褒めてくれてもいいんじゃないかと思うが相澤だから仕方がない。
「名取、手が止まってるぞ。早く終わらせろ」
「別にいいじゃん、休みなんだし。ゆっくりやったって問題ねえし」
「……お前が昨日、出かけたいって言ったんじゃないか」
「……確かに言ったけど、急に可愛くなるなよ」
掃除機のスイッチを入れようとした時に聞こえてきた相澤の呟きに、ベランダにいる姿に目をやる。
相澤はオレに背を向けて洗濯物を干してるから表情は見えないが、きっと赤くなってるに違いない。
最近見せてくれるようになった、可愛い一面。オレよりデカい男が赤面してるところなんて、今までのオレだったらなんとも思わなかっただろうが、むしろ引いたかもしれないが、相澤はもう特別な奴だから、好みじゃなくても可愛いところを見るのは楽しいし、嬉しい。けど、ちょっと困ったりもする。――襲いたくなるから。
しかしちゃんとそこんところは弁えてる。オレたちの今の関係は【お友達】。いくら相澤のことが可愛くても、襲うことなんてできるわけもない。
前のオレなら躰から陥落させようと考えたかもしれないが、今のオレは今までのオレとは違うから、そんなことはしない。オレは紳士になったんだ。紳士の定義がなんなのかは知らないが、野獣のオレはおさらばしたんだ。
こっちを見てくれないかとしばらく相澤のことをジッと見ていたが、オレが見てることに気づいてるのか相澤がこっちを向く気配はまったくない。もう少し反応を伺っていようかとも思ったが、いつまでも掃除をしないで機嫌を損ねられでもしょうがないので、さっさと掃除機をかけることにした。
オレが床に掃除機をかける音と、時たま聞こえてくる相澤が洗濯物を叩く音。
休みの日の朝から男二人が家事をしてるだけなんて、色気なんてまったくないシチュエーション。そういえば、昔もこういうことをしていたなとふと思い出した。
相澤とこういう付き合いを始めるようになって、だんだんと昔のヤスのことを思い出すようになっていた。もちろん、思い出したからって相澤に言ったりはしない。そんなことオレの口から聞かされたって、相澤は楽しくもなんでもないだろうし。
ただちょっと思い出しては、懐かしいと思いながら、変わったところ変わってないところを見つけては一人で笑っていたりする。しかし、最終的に思うのはいつも、【相澤は相澤】ということ。
ヤスはヤスだし、相澤は相澤。やっぱりどこかが違う。同じ人間なのに違うと感じるのは、オレの感じ方なんだろうな。
掃除機をかけ終わり、どけていた物を元に戻しながら、昔ヤスがオレの家に来た時にしていた行動を思い返していた。
あの時はオレは掃除はしていなかったが、というかさせてはもらえなかったが、ごくたまに休日にオレの部屋に来たヤスは必ず部屋の掃除をしていた。
床に散らばってる物を片づけ、掃除機をかけたりたまに雑巾を持ち込んで床を拭いたり、洗濯物が干しっぱなしになっていた時はそれを畳んで仕舞って、そして食事を作ってくれて二人で食べた。
……ん? 食事? そういえば、ヤスは料理が得意だったんだよな。
しゃがんで掃除機のコードを巻き取り、ちょうど洗濯物を干し終わり部屋の中に入ってきた相澤のことを見上げながら、最後に人の手料理を食べたのはいつだったか思い返してみた。
「……数年食ってねえな」
「は?」
実家には滅多なことがない限り帰らないし、手料理を作ってくれるような男とは付き合いはなかった。オレのために作られた【誰かの手料理】というものは、数年食べたことがなかったことを思い出した。
相澤を見上げながら呟いたオレに、相澤は洗濯カゴを床に置いて首を傾げる。
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