記憶の中にあるもの

れんあいの始まり 2

「何を食べてないんだ? これから行くところの話か?」
「相澤、予定変更だ。これからスーパーに行く」
「何? なぜ?」
「アンタの手料理が食べたい」
 コードを巻き取った掃除機をクローゼットに仕舞いながら言い、振り返ったオレは内に込み上げてきた衝動をぐっと堪える嵌めになった。
「……そ、そんなの、食べたっておいしくはないだろうに、本当にお前は物好きだな……」
 軽く赤面しながら、床に置いていた洗濯カゴを持ち上げて抱きしめながら言う相澤。可愛い。どうしてそんなデカい図体してるくせに、そんなに可愛い行動が似合うんだアンタは。……しかし、あのカゴいくら柔らかい素材だからっていっても凄く変形してるんだが……壊れてないよな?




 予定変更とか言っていたが、実はオレは今日の予定なんてたいして立てちゃいなかった。
 ただ、外で飯を食って、どっかふらっと買い物にでも出かけて、後はその時思いついたことでもしてのんびり過ごしたい。そんなことしか考えてなかったから、この予定変更の結果は、我ながらいい案だったと思う。
 大きな変更をしたわけじゃないし。まあ、相澤にとったら、いきなり料理を作れなんて言われて不本意なことかもしれないが、文句を言わないから良しとしておこう。
 ――というわけで、スーパーに出かけて一通りの調味料と食材を買って、オレたちは部屋に帰ってきていた。食器はもらい物とかが適当にあるから、その心配はする必要はなかった。
 オレはまったく料理なんてしないから、部屋にはろくな調味料は置いていない。それについて文句を言われたが、使わないのに置いておくわけもないと聞き流した。
 しかし、調味料を揃えたところでオレはおそらく使わないだろうから、駄目にしてしまいそうな気がして勿体ない。絶対に使わなさそうな物は、相澤に持って行ってもらえばいいか。
 買い物から帰ってき、相澤はさっそくキッチンに立った。オレも手伝った方がいいかと思ったが、しかし料理の経験なんてまったくないオレが手伝ったところで邪魔をするだけなのは容易に想像がつく。だから袋から材料とかを出すのだけを手伝って、オレは大人しく座ってキッチンに立っている相澤の背中を見ながら待ってることにした。
 キッチンに立った相澤は、オレの部屋のどこかにあったのか、それとも買い物に行った時についでに買っていたのか、良く似合う深緑色のエプロンを身に着け、手際よく作業をしていく。
「……アンタ、毎日自分で作って食べてるのか?」
「たまに外食の時もあるが、ほとんど自炊をしているな」
「面倒じゃないのか?」
「何日か分を一度に作って、冷蔵なり冷凍をしておけば手間じゃないし、コストも抑えられる」
「……主夫だな」
 そんな細かいこと、女でもしてる奴は少ないんじゃないだろうかと感心した。
「…………昔は料理は趣味だったが、今は栄養バランスが崩れて、また太るのが嫌だから……」
「あー……。なんか悪い」
 完全にとはいかないまでもヤスのことを思い出していたりするが、昔の体型のことをつい忘れがちになってしまっているオレは、単純に感心してしまったことを申し訳なく思い、暗い声音で言った相澤に謝った。
 痩せてしまえばそれでお終いじゃなくて、ちゃんと努力を続けてるんだな。凄いな、相澤。
 謝ったオレに、包丁で野菜かなにかを切っていた相澤はチラリとオレの方を見てから、
「……別にたいしたことじゃない。お前もそろそろ気をつけないと、近いうちに見るも耐えない姿になるぞ」
「ま、まだそんな歳じゃねえよ!」
「その油断が命取りになるんだ。だいたい、お前は普段から外食ばかりで、健康に気を使うことなんてしてないんじゃないのか? 毎日飲んで遊んで歩いて、そんな生活を続けていたら、誰もお前を相手にしてくれない醜い姿になるに違いない」
 視線を手元に戻し次々に食材を刻み、火にかけてある鍋にその食材や調味料を入れながら説教をする相澤。言ってることは間違ってないから、耳が痛い。そして、不健康そうにぽっこりと腹の出てしまった自分の姿を想像してしまい顔を引きつらせる。
「前はそうだったかもしれねえけど、アンタだって知ってるだろ。オレは最近はほとんど遊んでないし、酒だって酔いつぶれるまで飲まなくなった。つーか、そんな説教するならアンタが毎日オレの食事の管理でもしてくれたらいいんだ!」
 【もしオレのこと誰も相手にしてくれなくなっても、アンタならオレがどんな姿になったって相手してくれるだろ?】なんてことを思ったが、そんな小っ恥ずかしいことはさすがに言えなかった。そこまでオレはキザじゃないし、そんなこと言ったら相澤がどんな反応を示すかわかったものじゃない。戸惑うならまだしも、引かれたらショックは大きい。
 胡坐を掻いていた足を崩して片足を前に伸ばしながらテーブルに頬杖をつき、相澤の背中を見つめる。
 相澤は今度のオレの言葉には相澤は反応を示さず、なにも聞こえていないかのように黙々と作業を続けていた。
 無視をされるのにも慣れてきていたから特に不満も思わず、突っ込むこともせずに、なにを作ってくれるのかと考えながら背中を見続ける。
 二人とも黙ったまま、時間がどんどん進んでいく。テレビもつけていない部屋の中には、相澤の料理をする小気味いいリズムと時計の針が時を刻む音だけが響いている。
 しかし、なにもせずにただ座って待ってるのは暇になるだろうかと思ったが、そんなことはなかった。暇なんかじゃなく、むしろ楽しく感じる。
 オレが無理に相澤に頼んだわけだが、自分のために誰かが食事を作ってくれている姿を見るっていうのは、なんていうか、こう……、
「……すげー幸せ……」
 みぞおちの辺りがむず痒いような感覚に、そこから広がる暖かさ。部屋の中の温度はさっきから変わってはいないはずなのに、なんか暖かくなってきている感じがする。心の底でオレの求めていた幸福っていうのは、こういう形だったのかもしれない。
 小さな声で素直な感想を呟いた時、相澤がこっちを振り向いた。もしかして今の小さい声が聞こえたのかと思って焦ったが、違ったようだった。
「名取、ちょっとこっち来てくれ」
「な、なんだ?」
 まさか呼ばれるとは思わなくて、無意識に姿勢を正して構えていたオレは少し反応に遅れたが、すぐに立ち上がって相澤の元に行く。
 狭いキッチンスペースは、大柄な男二人が並んで立ったら圧迫感がある。相澤の隣に並び、なぜ呼ばれたのかと問いかけた。
「ん」
「なに?」
「味見」
 ずいっと目の前に突き出された箸と素っ気ない言葉に、驚きつつも素直に従い口を開けた。
 なにを差し出されたのか特に確認をぜずに、口の中に入れて咀嚼する。
 あまじょっぱい味と、シャキシャキとした食感。この食感と味から察するに、相澤がオレに食わせたのはごぼう。この料理はきっときんぴらごぼうだろう。そして、なによりこの味付けは――。
「……食ったことある」
「そりゃあ、きんぴらごぼうなんてどこにでもあるモノだからな」
「そうじゃなくて、この味を食ったことあるって言ってんだよ」
「…………そうか」
 オレの言った言葉に、相澤は苦笑を浮かべる。その表情を見つめながら目を細めた。
 どこで食べたことがあるのか、なんで知ってる味なのか。頭では覚えていなくても、躰が覚えているみたいな感じで舌はちゃんと覚えてるもんなんだなと思った。
「アンタ、昔もコレを作ってくれたことあるよな」