記憶の中にあるもの
れんあいの始まり 3
「……覚えていたのか、お前が」
オレの言ったことが意外だったのか、相澤は目を丸くしてオレを見てきた。そして目を伏せて考える様子を見せた。いったいなにを考えてるのかと思って言葉を待ってみてみれば、
「そうか……食い意地が張ってるから覚えてたのか」
「納得したように言うの止めろ! オレは別に食い意地は張ってねえっつの」
嬉しいとかそういった類の言葉を期待してたわけじゃないけど、こんな時にまで皮肉を言うのかと脱力してしまった。多少憤りながらもオレから目を逸らしてあざ笑うかのような笑みを浮かべている相澤に抗議の声を上げてから、丁度目線の位置にある相澤の耳が赤くなっているのに気がついた。
……そうか、そういえばコイツがこんな嫌味なことを言う時は、本当に呆れている時か、照れていることを隠している時だったということを思い出した。普段はクールにすましてるのに、こういうところは普段からは想像もつかないくらい可愛い。
あー、なんだろうこの感覚。今すぐキスがしたい。力いっぱい抱きしめたい。可愛いと言いながら相澤の体中を撫で回したい。でもそんなことしたら、確実に今作ってくれてる料理を食べさせてもらえなくなりそうだ。それは困る。相澤の手料理食べたいし、空腹も限界に近い。うかつな行動をしてお預けを食らうのはごめんだ。
「……後どれくれいで出来る?」
オレたちは今【友達】。そう何度も頭の中で自分に言い聞かせ、湧き上がってきた衝動を抑える。
こういう風に衝動を抑えるのは、もう何度目になるかわからなくなってる。もともと性欲などの欲を我慢しない性質のせいで、今の禁欲生活は結構負担がかかっていたりする。
相澤のことを想って一人で処理をしたりは当然するが、それだけじゃやっぱり物足りないし、虚しくなる。
一人でするだけじゃなくて、他人の体温も感じたいし、自分の手で感じさせて反応を見たい欲求は誰にだってあるはずだ。
相澤もちょっとでもオレと同じことを考えてくれていたらいいなとか思いながら、手際よく手を動かし続けている相澤を見る。
「後もうちょっとで出来上がる。持っていくから座って待ってろ」
オレの問いかけに目線を合わせないまま、相澤は言った。それに素直に従い、テーブルに戻ることにした。
元の座っていた位置に戻り、数分して、相澤が料理の盛られた食器をテーブルに並べ始めた。
並べられていく料理を眺めながら、感心した。並べられた料理は、さっき味見したきんぴらごぼうに、野菜炒め、鰹節のかかったほうれん草のおひたし、それと白米に味噌汁。そんなに時間をかけて作ってはいないだろうに、短時間でこれだけの品目を作るなんてなんて手際のいいことだ。さすが、よく料理をしてるだけはある。下心無しで本気で毎日オレの食事の管理してくれないかな、なんて思ってしまった。
「……ん? そういえば、この部屋って炊飯器あったっけ?」
「ないな。だから、レンジで温めるだけのヤツだ」
「あー、納得」
「なんで炊飯器がないんだ。一番無ければならない物だろう。炊飯器を持っていない人間なんて、私は初めて見た。まったく、普段からどんな物を食べているんだお前は」
「どんなって、適当にコンビニとか牛丼屋に食いに行ったりとか、マスターに作ってもらったりとか」
「……よくそんな乱れた食生活で今まで生きてこれたな。それに、体型もどうやって維持していたんだか」
「どうやってって、そんなの聞かなくてもわかるんじゃないのか?」
嫌みったらしく訊いてきた相澤に、言われ放題ってのは我慢ならないと反論するかのようににやりと訊き返した。
最初はオレの言ったことがわからなかったらしい相澤は無反応だったが、ちょっと経った時、急に顔を赤くしてキッとオレを睨んできた。
「下品なことばかり言っていると、その口を塞いでやるぞ」
「どうやって?」
「こうやってだ」
言うや否や、相澤は箸を取って白米をたくさん掴むと、オレの口の中に箸を突っ込んできた。
「むごっ」
「これで静かになっただろう」
口の中に大量に押し込められた白米のせいで声を発することは敵わなかったが、代わりに視線でなにをしやがるんだと訴えてやった。
「なんだその目は。私はちゃんと宣言をしてからやっただろう」
「おんあおおいっえおおあえ、あうあういあおうあ!!」
「……まったく、なにを言ってるのかわからないぞ? 話すのなら口の中の物を無くしてから喋れ」
アンタがやっておいてそんなことを言うなんて理不尽だ。そんなことを思っていても、今のオレは話をすることが物理的に不可能な状況にあるため、口の中にあるモノを咀嚼しながら相澤を睨み続けた。
オレが頬を膨らまして相澤のことを睨んでいるのがおかしかったのか、相澤は小さく笑いながら食事をし始めた。
不服に思いながらも、口の中の白米を飲み込んだオレは、相澤同様食事をし始めた。
味噌汁を一口飲み、さっき味見させられたきんぴらから食べ始める。次にほうれん草。どれもこれも懐かしい味がして、相澤に白米を大量に口に突っ込まれ危ない目にあったことなど忘れ、ほんわかとした気持ちになった。
本当に懐かしい味。人の味付けの好みは、そうそう変わるものではないんだなと思いながら、黙々と食事をしていく相澤に視線を注ぐ。
相澤と最初に定食屋で飯を一緒に食った時も思ったが、こいつは本当に綺麗に食事をする。
箸の持ち方も、食い物を口に持っていく時の動作とか、こういう食事のマナーってのは後から直すことはできるけど、やっぱり小さい頃からの癖ってのはでるものだ。ここまでちゃんとできるのは、親の躾の賜物ってやつだろうな。いい親を持ってるってことか。……羨ましいことだ。
「……なにか用か、名取」
「ん? 別に……。ただ、美味いなと思ってよ」
「…………そうか」
【美味い】と言ったオレの言葉に、ピクッと箸を持っている手が反応した。今度は耳は赤くならなかったが、少しは照れたのかもしれない。
最近、ほんの些細な反応すら愛おしいと感じることが多すぎる。このままじゃ、近いうちに相澤への想いが、衝動が抑えられなくなってしまいそうだ。
欲求不満になっている自分に苦笑しながら、相澤の作ってくれた料理を相澤を見ながら平らげていく。
オレが食べ終わるのと同じくらいに、相澤も食べ終わった。空になった食器を重ね、シンクに持っていく。手伝わなくてもいいとは言われたが、さすがに後片付けくらいはオレにだってできるので手伝った。
相澤が洗い、オレが拭く。狭い台所に立ってのこの一連の作業が、同棲でもしてる恋人同士みたいでちょっと笑えた。
洗い終えた食器を棚に仕舞い、インスタントのコーヒーを淹れ始めた相澤の隣に立つ。
「相澤、調味料とか持って帰れよ」
「なぜだ」
キッチンに並べられている、さっき買ってきたばかりの調味料を眺めながら言えば、手を止めて相澤がコッチを見る。
「だってオレまったく料理しないし。置いておいたら駄目にしちましそうだからさ」
醤油くらいは使えそうだけど、と言いながら肩を竦めれば、相澤は視線を手元に戻して呟いた。
「……置いておけばいい。また、気が向いたら作りに来てやるから」
「……可愛いこと言うなって」
「可愛い? そんなことは言ってない。お前、近頃よくそういうことを言うな」
コーヒーの入ったカップ二つに視線を注ぎながら、呆れたような言い方をする相澤。
照れてくれるのならばまだしも、呆れられるなんて心外だ。
「オレは正直な感想を言ってるだけ。アンタのことは可愛い。好きだから可愛いって感じる。だから言う。オレなりの愛情表現だ」
「……私は……」
「知ってるって。アンタはオレのことを好きじゃな――」
「私は、好きじゃないとは言ってない……」
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