記憶の中にあるもの

れんあいの始まり 5

「なんで」
「な、なんでって、そりゃ……」
 素直な疑問を口にすれば、相澤はオレから顔を逸らしてなにかを小さく呟いた。
 本当に小さな声すぎて、オレの耳にはまったく聞こえてこなかった。
「なんて言ったんだ、今?」
「べ、別になにも……」
「言っただろ。オレに言えないような暴言でも吐いたのか?」
 直感で大事なことを言っていたと思ったオレは、相澤の顎に手をかけて無理矢理こっちを向かせた。
 顔はオレの方を見たが、視線は逸らされたまま。そこまで頑なになるなんて、本当にどんなことを言ったんだ? こんな態度見せられたら、逆に聞かないわけにはいかなくなってくるじゃないか。
「相澤、なんて言ったんだ? ん? 言わないなら――」
 そう言いながら、相澤の顎を掴んでいない方の手をシャツの裾から中に進入させる。
 こういう関係になってから、初めて触れる相澤の素肌。あますことなく隅々まで触りたいが、それは後にして、今は相澤を吐かせるための愛撫をしていく。
 程よく引き締まった腹筋を撫で回し、手を上に移動させる。
 まだ柔らかい突起を指先で触れ、軽く押しつぶす。
「ば、名取!」
「吐けよ……。別にたいしたこと言ってないんだろ? どうしても言わないってんなら、ずっと乳首だけ触り続けるぞ?」
「そんなの、嫌だ……」
「嫌なら、言えって……」
 小さく主張を始めた突起を人差し指と中指で挟み、左右に揺らす。相澤は突起が敏感なのか、刺激を与えてやるたびに唇を噛み、快感に耐えるかのような様子を見せる。その反応がたまらなく可愛くて、今度は親指と人差し指で摘み、引っ張る。
「くっ――。や、め……」
「アンタが正直に言ったら止めてやるから。……ほら、ほら……」
 くにくにとすっかり固くなった突起を捏ね、撫で、引っ張る。その度に小さく躰を震わせる相澤。
 相澤がこのままなにも言わないで、ずっとこうしてるってのも悪くないかもしれない。そんなことを思い始めていた時、相澤はようやく観念したのかオレを睨んで言ってきた。
「わっ、わからないからっ、名取の好きに、すればいい……!」
「わからない?」
 オレの好きにしていいってのはものすごくありがたい申し出だが、わからないってのはなにがだ?
 相澤の発言に、突起から手を離してやり首を傾げれば、言い難そうに顔を歪めながら答えた。
「……私はお前以外と、その、こういった行為をしたことがないから、なにもわからないんだ」
「……え? マジで? オレと別れてからヤってないだけじゃなくて、それ以前も経験なかったってことか?」
 じゃあ、童貞? という言葉はすんでのところで飲み込んだ。
「わ、悪いか! 前も言っただろ! 僕は本来こういった行為は好きじゃないんだって! でも、名取が望むなら、僕は……」
 なにをされてもいい。と小さな声で言った相澤に、一気に体温が上がり軽く眩暈がした。
 そんな、怒りながらも今にも泣き出してしまいそうな瞳で見つめられながらグッとくる台詞を言われたら、理性が吹っ飛んでしまいそうだ。しかもまた【僕】に戻ってるし。
 たぶんわざと言ってるわけじゃないんだろうが、仕事をしてる時の相澤の様子をよく知ってるせいで、もしかして計算して言ってるんじゃないかって疑いたくなる。
 それにしても本当になにをしても怒らないのか? さすがに限度とかあるだろうけど、どこまで許してくれるのか試してみたい気もする。
 据え膳食わぬはなんとやら。そう思い、相澤の顎から手を離して服を脱がせようとした。
 ……ん? でもちょっと待て。あの時同じことを聞いた時は寝不足のせいもあって頭がちゃんと働いてなかったからすんなり納得したが、よくよく考えてみたらコイツ、会社の帰りに女と一緒に帰る所とか、オレを始め風汰とか何人もの人間に目撃されてたよな。それなのに、経験がまったくないって、ちょっとおかしいんじゃないのか?
 ふとそんなことを思いつき、こんな時にまぜっかえすのは野暮だと思いながらも手を止めて疑問をぶつけてみた。
「なあ、相澤。アンタ、会社帰りにデートとかしてたよな?」
 相澤の服には手をかけたまま問いかけたオレに、相澤は不思議そうな顔をしながら答える。
「……まあ、デートというか、食事に行ったというか……。それがどうした」
「そん時、誘われたりしなかったのか?」
 オレの質問に、相澤はバツの悪そうに顔を歪めた。
「……そりゃ、そういう流れになったことは何度かあったが、……断っていた」
「どうやって」
 間髪いれず問い詰めると、相澤は自分の服にかかっていたオレの手を跳ね除けて不機嫌そうな顔をした。
 叩かれた手をさすり、突っ込みすぎた内容だったかと顔を顰めた。相澤が誰と関係を持っていたとしても、それをオレが責められる立場じゃない。オレだって両手で数えても足りないくらいの男と関係を持っているんだから、そこをつっこまれたらかなり気まずくなってしまう。
 そこのところは相澤も承知してくれてるだろうが、複雑なことに変わりはないだろう。
 言い渋っている相澤に、悪いと思いつつもジッと見つめながら相澤の言葉を待った。
「……好きな人間がいるとほのめかして……」
 オレの視線に耐え切れなくなったのか、口を尖らせながら小さな声で言った。
「それで断れたのか?」
「……そうだ。悪いか……?」
「別に悪くはないが」
 それで皆納得してくれるもんなのか。女のことはオレにはまったくわからないからなんとも言えないが、そういうもんなんだろうか。オレだったら好きな人間にそんな断り方をされても、引き下がりはしないだろうなと思った。
「……質問は終わりか? それで、どうするんだ……」
「え? ああ、まあ、今回はオレに任せておけ。悪くはしないから」
「……………………」
「……なんだ、その不満そうな顔は?」
「そんな満面の笑みで言うなんて、不安と不満以外しか感じないだろう」
 睨むように見る相澤に指摘され、なんとなく自分の顔を触ってみる。触ったところで笑ってるかどうかなんてわからないが、口元を引き締めておいた。
「じゃあ、ヤるぞ」
「……雰囲気もなにもあったものじゃないな」
「オレに甘い雰囲気を求めるのは間違ってるだろ」
「確かに」
「そう簡単に納得されるのも、それはそれで複雑だな」
「それだけ私はお前のことを見てるってことだろ……」
「……………………」
 ふいに相澤の口から出てきた言葉に、不意打ちを取られてしまいギュッと心臓を鷲づかみにされた。
「どうした、名取?」
「アンタのせいだよ……」
 苦笑をしながら、相澤の言った通り雰囲気作りはしないまま、再び服に手をかけた。
 言葉は交さない。なにか気の利いた言葉でもいいながら行為に及べばいいんだろうが、そんな余裕は今のオレにはなかった。
 さっきまで笑ってたのに、今では緊張で手が震えそうになっている。
 シャツをまくり、相澤の素肌を空気にさらす。
 今まで、セックスをするという名目で相澤のような引き締まった躰を見たことはなかった。いつもはぷにぷにと、触ると弾力がある躰しか相手にしたことがなかったから、凄く新鮮だ。