雅臣と輝紀
放課後
※高校生※
「あーあ。なーんで俺が資料運びの手伝いなんてしなくちゃなのかな? おかげでこんなに遅くなっちゃったじゃないのさー」
日も暮れかけた放課後の廊下。雅臣はぶつぶつと文句を言いながら、だらだらと歩いていた。
「輝紀、まだ待っててくれてるかなあ?」
そんな淡い期待を抱きながら、雅臣は輝紀が待っているだろう教室の前までやって来た。
教室のドアに手をかけようとした時、教室の中から話し声が聞こえてきたため、思わず伸ばしていた手を止めた。
「ん? 輝紀と……、拓斗(たくと)の声?」
雅臣は無意識のうちに息を殺して、教室の中の二人の会話に耳を澄ましていた。
『……お前、やっぱり本気なのか?』
『そりゃあ、まあ?』
輝紀が訊ねると、拓斗が少し笑ったような声で答えた。
『お、俺、やっぱりよしておくって』
『大丈夫だって、そんなに痛かったり怖かったりしない……、と思うからさ』
『なんだよその最後の言葉!? やっぱ止める!』
輝紀の叫んだ声が聞こえたと思ったら、ガタガタという机が動いているらしい音が聞こえてきた。
い、一体俺の輝紀に何をしてるんだ!? 本気とか、怖いとか。も、もしかして、いかがわしいことか!?そうなのか!? でも、拓斗は相手がちゃんといるんだから、そんなことをするはずないし……!
「まーさおみ? 何してんだ?」
雅臣が一人心の中で叫んでいると、不意に後ろから声をかけられた。
「っ!?」
突然のことに驚いた雅臣は、声にならない悲鳴を上げて、ばっと後ろを振り向いた。
「……驚きすぎ」
雅臣に声をかけた人物が、彼のその様子を見て呆れたような声を出した。
「お前がいきなり声をかけるから悪いんだろう!?」
「そりゃそうだけど……。で、何してんだこんなところで? 中入ればいいじゃん」
「ちょっと待て!」
教室の扉を開けようとした、雅臣に声をかけてきた人物、彩(さい)を、雅臣は慌てて止めた。
「なんで止めるのさ?」
「いや、なんとなく……」
「中に誰がいんの?」
雅臣の様子がおかしいと思った彩は、耳を澄ましながら扉に近づいた。
『だからさ、逃げんなって。今時男でもこれしてる奴はたくさんいるんだからさ』
「ん? 拓斗の声?」
教室の中から聞こえてきた声を聞いて、雅臣に訊ねる。
「そう。輝紀もいる」
「ふーん。ならこんなところにいないで、さっさと入っちゃえばいーじゃん」
「いや、その、なんて言うかー……」
「なんだよ」
「そのさ、二人の会話が怪しくて、入るに入れないって言うか……?」
珍しく口ごもっている雅臣に、彩は呆れたため息をついて、
「いつものお前なら、『俺の輝紀に気安く触るなー!』とか言ってるくせに」
「そうだけどー。輝紀と一緒にいるのは拓斗だし……」
雅臣がそう言った瞬間、教室の中からガタンと大きな音が聞こえてきた。
その音を聞いた雅臣と彩の二人は一旦会話を切り、教室の中に入ればいいものを、反射的に扉にくっついて耳を澄ませた。
『観念したか、輝紀?』
『……もう、わかったよ! やる、やるよ!』
『よく言った、さすがは男! いさぎいい! じゃ、じっとしてろよ? 痛いのはたぶん一瞬だけだと思うから』
『だから、『たぶん』とか言うなよ! 不安になるだろ!?』
『だって、俺はやる方だったから痛さは分かんないし。ま、大丈夫だろ。彩もやってるし』
『……彩ならやりそうだな』
『まあな。それより、もうちょっと前開けて。てか、全部脱いじゃえ』
『全部脱ぐ必要がどこにあるんだよ! ほら、これでいいだろ。やるんならとっととやれよ』
輝紀は拓斗の言葉に不機嫌そうに答えると、促すように言った。
「中で一体何してんだろ? 何か、痛いことらしいな」
「それに、彩もやってること? しかも、服を脱ぐこと? ……や、やっぱりいかがわしいことか!? ナニをやっているのか!?」
「なんでそこに辿り着く」
おかしなことを言った雅臣を、ジト目で見ながら彩は言う。
「だって、拓斗は彩の恋人だし」
「お前、それ理由になってねえよ。それに、それだったら変な心配する必要はないだろ?」
彩は小さくため息をつくと、そのまま教室の扉を開けた。
そして、教室の中の光景を見た雅臣と彩は、驚きの表情を浮かべたまま硬直してしまった。
教室の中には二人の予想通り、輝紀と拓斗がいた。だが二人は、微妙な体勢でそこにいたのだった。
輝紀はワイシャツの前をはだけさせている状態で、机の上に足を広げて座っており、拓斗は床に膝立ちで輝紀の足の間にい、お互い近い距離で向かい合っていたのだ。
「雅臣? 彩?」
「おう、雅臣お帰り。彩、いたんだ」
固まっている二人を見て、不思議そうな声を出す輝紀とは対照的に、拓斗は陽気な声で二人に声をかけた。
「お、おま、な……?」
「……拓斗お前! 俺という奴がいるってのに、何やってんだよ!?」
「は?」
彩の言葉に不思議そうな声を出す拓斗。そして、輝紀と顔を見合わせてしばらくしてから、二人は同時に笑い声をあげた。
「お前ら、もしかして何か誤解してないか?」
動揺しているような雅臣と彩を見ながら、輝紀が笑いを押し殺した声で言う。
「誤解……?」
輝紀と拓斗の様子に、彩は眉をひそめながら訊く。
雅臣の方はというと、まだショックを受けたままなのか、輝紀のことをじっと見ていた。
「そう。お前ら、俺たちが何かよからぬことをしていたとでも思ってんだろ?」
違うか? と輝紀が問いかける。
「違うかって……。そうじゃないのかよ?」
「全然違うって。つーか、あり得ないだろ」
「じゃあ、なんでそんな格好してんだよ?」
「それは、これをするためさ」
彩の問いに対して、拓斗が、手にしていた小物を彩に見せた。
「ニードル?」
拓斗の手に握られていた物のは、ピアスの穴を開けるための器具だった。
「俺が、輝紀にヘソピを開けてやろうとしてたんだよ」
「そうそう。半ば無理矢理な」
「そんなことはないだろ。お前だって乗り気だったじゃん」
「いや、乗り気にはなってない」
拓斗と輝紀はそんな小言の言い争いを始めた。
彩はその言い争いを聞きながら、未だに声も出さずに輝紀をじっと見ていた雅臣に声をかける。
「やっば、俺たちの勘違いだったみたいだな」
彩のその言葉に、雅臣は答える気配がなかった。それを不思議に思った彩は、ひょいっと雅臣の顔を覗き込む。
「雅臣? もしかして、まだ固まってんのか?」
「……………んで」
「え?」
「なんで俺に言ってくれなかったんだ、輝紀!」
いきなり叫んだ雅臣に驚き、彩は一歩後ろに下がった。
驚いたのは輝紀たちも同じらしく、言い争いを中断して二人同時に雅臣の方を見た。
「ま、雅臣? 何言ってんだ?」
輝紀は慌てたように机から降り、雅臣の方へと駆け寄る。
それに合わせるように、拓斗も彩の隣へ歩いて行った。そして、二人で顔を見合わせてから輝紀と雅臣の方を見た。
「お前は、なんで俺以外の人間に躰を触らせてるんだ! 俺だけじゃ不満だってのか!?」
「は!? お前、さっきから言ってることが意味不明なんだけど!」
輝紀の肩を掴み揺さぶりながら怒鳴るように言ってきた雅臣に、輝紀もつられて声を荒げて言った。
「俺以外の奴に躰をさわらせるなんて、俺は許さないからな! そんなに触って欲しかったんなら、俺に言ってよ! そうすれば好きなだけ触ってあげるから!」
「だーかーら! お前は何が言いたいんだよ! つーか、さり気に変態発言してんじゃない! ……って、おい! お前! 何してんだぁぁぁ!」
「何って、ナニをしようかと思って。輝紀は欲求不満だったから、俺以外の奴に躰を触らせたんでしょ? だから──」
「ちーがーうって言ってるだろう!! 何を勘違いしてるんだお前は! さっきの話聞いてなかったのかよ!?」
雅臣は輝紀の腰を抱き寄せると、脱ぎかけのワイシャツを取り払い、輝紀の肌を撫で回し始めた。
「ちょっ! まじやめ──っ! ここを、どこだと思って──んっ!」
輝紀の制止を聞かずに、雅臣は手を動かし続けた。
「……なあ、俺たち忘れられてないか?」
「……ああ。絶対に忘れ去られてる」
横で二人のやりとりを見ている拓斗と彩は、完全に二人の世界に入ってしまっている輝紀たちを見て、同時に呆れたようなため息をついた。
「彩。俺たちも帰ってラブラブしますか?」
「そうしますか」
拓斗の提案に彩は頷くと、言い争いをしながらいちゃつく輝紀たちを残して教室を後にした。
「……てかさ」
「ん?」
「なんでヘソピなんて開けようとしてたんだ?」
「んー? 輝紀が、『ピアス開けたいなー』とか言ってたから、『じゃあ、夏も近いことだし、ヘソに開けるか!』ってな話になって、昨日買ってたニードルが鞄の中入ってたから、早いうちに開けた方が楽だからってことで、やろうとしてたわけさ」
「夏も近いからって、どんな理由だよ……」
「ま、いーじゃん。お洒落をしたいお年頃なんだよ」
「いや、何か違くねーか?」
拓斗の発言に、彩はつっこみをいれながら帰路についた。
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