雅臣と輝紀
ここにある君
※高校生※
〔輝紀視点〕
「輝紀ー!」
「っ!?」
外は大雨に大風が吹き荒れている、いわゆる『台風』がきていた。
雨と風のせいでぐんと気温も下がっていて、部屋の気温と同時に俺の身体も冷えてしまっていた。
その冷えた身体を温めるため、俺がお茶を啜っていた時、突然玄関の扉が開き、とてつもなく聞き覚えのある声が俺の耳に入ってきた。
今ここで聞こえてくるはずもないその声が、なぜ俺の部屋の中で聞こえてくるのか……。
「……何か用があるのか?」
「輝紀、タオルタオル! もー、外すっげーの! 俺びしょびしょになっちゃったよー」
俺の質問には答えることもせずに、突然の来訪者である雅臣は、自分の言いたいことだけをのたまってくださいました。
なんとも苛ただしいことだったが、玄関にびしょ濡れのまま立っていられるのも迷惑なので、仕方なくタオルを持ってき、ソレを雅臣に手渡した。
「ありがと、輝紀」
「……で、何でこんな大荒れの日にわざわざこんな所に来たんだ?」
俺が手渡したタオルで頭を拭いている雅臣に再度訊く。
「んー? だって、今日は大台風じゃん? 大荒れでしょ? こんな日に一人だなんて、心細いかと思ってさー」
……うん、やはりコイツの考えることはよく分からない。
心細いって誰が? ……いや、この場合それは俺のことなんだろうが。
そりゃまあ、大荒れの夜はいつもの夜よりは……いや、考えるは止めよう。前はそうだったかもしれないが、今はそれほどでもないと思えているんだから。
「……やっぱ、来て正解だったかな?」
頭を拭き終えた雅臣がいつになく優しげな微笑を浮かべながら、つい顔を俯けてしまっていた俺の頭に、ポンッと手を置いてきた。
不意な雅臣のその行動に俺はつい和んでしまい、顔が熱くなっていくのを感じた。
「と、とりあえず、理由はどうでもいいから上がれ」
「んー」
何が面白いのか、雅臣は弛みっぱなしの顔で俺に促されるまま部屋の中に上がった。
この大荒れの中、傘もささずにここまで来たのか、雅臣の全身は文字通りにびしょびしょだった。
まあ、どっちみちこの雨風の中、傘をさしたところで役に立つはずもなく、結果的には同じことになのではないかとは思うけれど。
しかし、今はまだ夏だとはいえ、雨に濡れてしまえばさすがに寒いはずだ。
雅臣の身に着けている衣服は上下どちらとも十分に濡れていて、上のシャツは身体にピッタリとくっついてしまっているし、下のジーンズは水を含んでいるせいでとても動き難そうだ。
それに心なしか雅臣の肩が震えているように見える。おそらくそれは気のせいではないだろう。
このままでいたら、雅臣は風邪を引いてしまうに決まっている。別に俺が来てくれと頼んだわけでもないのだが、俺の所に来たせいで風邪を引いてしまったなんてことになったら、俺もさすがに後味が悪く感じてしまう。そんな思いをするのはちょっとごめんだ。
「雅臣、お前そのままの格好でいると風引いくから、風呂入ってこいよ」
「え? 一緒に――」
「お前だけだ」
雅臣がすべて言い終える前に俺はピシャリと言い放つと、雅臣を風呂場の方に押す。
「何でー? せっかくなんだから一緒に入ろうよー」
雅臣は俺に背を押されながらも、首だけを俺の方に向けて言ってくる。
「何が『せっかく』なんだ? 第一、俺はもう風呂には入った」
「それでも――」
ごねる雅臣をようやく脱衣所まで押してきた。
「二度も入るつもりなんてない」
またも俺が冷たく言い放つと、雅臣は多少ヘコんだように肩を落とした。
そうなりながらも今度こそ雅臣は大人しく、濡れた衣服を脱ぎ始める 。
それを見た俺は、フイッとさり気なく目線を逸らしながら、「着替え持ってくる」と言い、脱衣所を後にした。
今さら、俺は何を恥ずかしがっているんだろうか。雅臣の裸なんて、今までに何度も見たことがあるというのに。
何だか、今日の俺は調子が狂っている気がする
そんなことを考えながら衣装ケースのある場所まで移動し、その中から替えの下着とスウェットを取り出す。
この部屋は俺しか住んでいない部屋だというのに、いつの間にか俺の衣装ケースの中には雅臣の着替え一式までもが揃っているようになっていた。
初めの頃はこっそり雅臣が忍ばせていたのだが、今となっては俺は雅臣の着替えを置くことを認めるようになっていた。というか、認めざるをえなくなったというか、何度注意しても懲りずにしつこく諦めることをしなかった雅臣に呆れ、どうでもよくなってしまったというか……。
小さくため息をつきながら、取り出した衣服を手に俺は脱衣所に向かう。
脱衣所に入ると、風呂場の中から雅臣の鼻歌が聴こえてきた。
「……こんな天気の中来てびしょ濡れになったくせに、どうしてあんなに上機嫌なんだか……」
下手くそな鼻歌であれば文句の一つでも言ってやるのだが、どうしてなのか妙に上手い。それのせいか、俺はつい雅臣の声に聴き入ってしまった。
いったい何の歌なのかは分からないが、曲調は優しい感じのものだった。
その曲調と程よく低い雅臣の声に、つい俺はシャワーの止む音に気づくのが遅れてしまい、俺がその場を離れるよりも先に雅臣が風呂から出てきてしまった。
「あれ? 輝紀? ……っは! もしかして覗き!? キャーッ、輝紀のエッチー!」
「……お前じゃあるまいし、俺がそんなことするわけがないだろう」
ハイテンションで面白くもない冗談を言う雅臣に、俺は至極冷静に、わざと大きなため息をつきながら雅臣の方をなるべく見ないように、脱衣所に置いてあったタオルを投げつける。
今度のものは気恥ずかしかったというよりは、ただ単に目のやり場に困ってしまったと言う方が正しい。
俺にタオルを投げつけられた雅臣は、「輝紀ってばホント乱暴さんなんだから」などとふざけたことを言いながら、湯上りで濡れている身体を拭き始めた。
俺もいつまでもそこにいるというわけにもいかないため、クルリと踵を返す。
「あれ、輝紀行っちゃうの」
「当たり前だ。俺には男の着替えを見る趣味はないからな」
「そーんなこと言っちゃって、本当はただ恥ずかしいだけなじゃないのー?」
雅臣に図星を突かれてしまい、ヒクリと頬が引き攣ってしまうが、丁度雅臣に背を向けたところだったので、雅臣に俺のその表情は見られずにすんだ。
もし今の表情を雅臣に見られていたとしたら、何と言われるか容易に想像がつく。雅臣のことだから、『かわいい』などといった、男にしてみたらなんの褒め言葉でもなんでもないことを言うに決まっている。
男である俺のどこをどう見たらそんな発言が出てくるのかは分からないが、雅臣はよく俺のことを『かわいい』と言ってくる。絶対に雅臣は一度眼科に行って一から十まで全部の検査を受けてきた方がいい。いや、この場合は眼科ではなく精神科か?
最近になっては、もうすでに言われ慣れてしまい、あまつさえ、その、時々、あの、えーと、う、嬉しい、だなんて、思って、しまったり、する時も、なくは、ないのだが……。
……何だかもう、俺の方こそ病院に行った方がいいのかもしれない。
バカなことを考えている自分に対して盛大なため息をつく。
少し気を落ち着かせよう。ただでさえ夜という環境は混乱しやすいのだから、これ以上おかしなことを考えるのは止めておこう。頭が痛くなってしまいそうだ。
だがまあ、雅臣のせいで混乱させられているという点を考えてみると、それほど、いや、まったく苦ではないのかもな。
俺が苦笑を漏らした時、不意に背中に重みがのしかかってきた。
「雅臣、お前も何か飲むか?」
「んー。ココア」
背中に寄りかかってきた雅臣に訊ねると、俺の首に軽く手を回してきながら雅臣は答えた。
まだ濡れている雅臣の髪が頬にあたりくすぐったい。だが、背中に感じる雅臣の体温を跳ね除ける気にはなれず、俺は雅臣を背中にくっつけたまま台所内を移動する。
「てるきー」
「何だ?」
二人分のカップを取り出し、自分にもココアを淹れようとしている俺に、雅臣が甘えるような声で俺の名を呼んできた。
「輝紀さ、最近どう?」
「何が?」
カップに注がれたココアから、甘い香りと温かな湯気が立ち昇る。
「何ってさ、ちゃんと眠れてる?」
「……まあ、な」
淹れ終えたカップを両手に持ち、背中の雅臣をそのままに、テーブルのある方に移動しながら俺は雅臣の問いかけに対して少し曖昧な答えを返す。
別に嘘をついて、曖昧に答えているわけではない。すぐに眠れるようになったかと問われれば肯定はできないが、以前よりは沢山眠れるようになっていることは確かなのだから。ただ、ちゃんと肯定ができるわけではなかったので、つい曖昧になってしまったいとうだけだ。
「……うん、それならいーんだ」
雅臣は俺の返事から何か感じ取ったのか、珍しくしつこく訊いてくることをせず、俺から離れて一つ頷いた。
完全に安心できたわけではないのであろうということは、雅臣の表情を見れば明らかだった。もっとも、今の俺の答え方で安心しろと言う方が無理なのであろうが。
俺は手にしていたカップを両方ともテーブルの上に置き、床に腰を下ろす。
次いで雅臣も俺のすぐ横に座ってきた。
普段の俺ならば、そこですぐさま『何で隣に座る』と文句を言っていただろうが、今日はそれを言う気分にはなれなかった。今日だけは特別に、何も言わないでおいてやろう。そんな風に思った。
頼んではいないが、今日の雅臣は俺のことを心配してこんな天気の中、俺の所に来てくれたのだから、これくらいは大目に見てもいいだろう。
少しの間、二人とも一言も喋らず静かにココアを啜っていた。
黙っていると、自然外の音がやけに大きく耳に入ってくる。
雨が窓を打つ音、風の唸る音。何かが飛んでいったのか、ガッタンという大きな音。
……今は一人じゃない、すぐ側に、手を伸ばせば届く距離に、ちゃんと人間が、雅臣がいてくれるんだ。だから、大丈夫だ。
そう思った途端、ほとんど無意識に俺の左手が隣の雅臣の服の端を掴んでいた。
「ん?」
服を掴まれた雅臣が、手にしていたカップをテーブルに置き、俺の髪をまぜながら俺を見てきた。
その目は暗に「どうした?」と語りかけてくれていたが、別に俺は雅臣に用事があったから服を掴んだわけではなかったので、特に何も言わずにカップを傾け続けた。
そんな俺を見て雅臣がフッと微笑ったのが横目で分かった。
笑われたことは少しばかり癪ではあったが、それを表に出すことはしなかった。今はとても心が穏やかだから、怒る気などまったく起きなかったから。
安心する――と言って間違いないだろう。いつの間にか雅臣は俺にとってそれほどまでに大きな存在となっていた。
しかし、安心すると同時に、それと同じくらい不安に感じてしまう心も存在していた。
大切に思っているからこそ、もし失ってしまったら、あの人たちみたいにいなくなってしまったら……。そんな仮定をついつい俺の頭は考え出してしまう。
「……輝紀、俺を見て」
すっかり自分の世界に入ってしまっていたようで、雅臣に声をかけられるまで、自分の手からカップが無くなっていたことに気づいていなかった。
雅臣が俺の手からカップを取り上げ、テーブルの上に移動させ置いたのだろうということは明らかだが、それに気づかなかったなんて。
不覚だったとを思いながら、俺は雅臣の言葉に従い、首を動かして雅臣の方を見やる。
見やった雅臣の顔には、なぜかは分からないが笑顔が浮かんでいた。
なぜそんな笑顔を浮かべているのか当然ながら疑問に思ったが、特別問いかけるということはしなかった。
何というか、何となく理由が分かったというかなんというか。
「大丈夫だからね」
にっこりと微笑いそれだけを言う雅臣。
……俺の予想は当たっていたらしい。
おそらく雅臣は、俺を安心させてくれようとしているのだろう。そんな風に気を使わせてしまうだなんて、俺はそれほどまでにひどい顔をしていたのか……。
気を使わせてしまったことを少し申し訳ないと思い、まだ掴んでいた雅臣の服を放し、雅臣に両腕を回した。
珍しく俺の方から抱きついたことに雅臣は驚いた様子だったが、すぐに嬉しそうに息だけで笑うと、雅臣も俺の身体に腕を回してきた。
抱き合い、雅臣の体温を身体全体で感じながら、俺は一言「ごめん」とポツリと呟いた。
「ははっ、輝紀はバカだなあ」
「は?」
その雅臣の言葉に俺は怒りを覚え声を荒げたが、次の雅臣の言葉で、その怒りなどどこかへ飛んでいってしまった。
「ここは『ありがとう』って言うところだからね?」
間違えないように。そう言って微笑む雅臣の顔は、例えるならば太陽のようだった。
夜の闇に溶けてしまいそうな俺を照らしてくれる、眩く明るい太陽。雅臣は、俺にとってはそんな存在。なくてはならない大切な奴。
失ってしまうことを今考えたって仕方がない。今、雅臣は俺の目の前にいる。俺を抱き返してくれている。それで十分じゃないか。先のことなんて今考えるだけ無駄なこと。
見えない未来より、見えている現実が、今の俺のすべて。あの人たちはもう過去の人。
それに、雅臣は離れろと言っても俺の側から離れることはないように思える。何となくだがそんな風に感じるんだ。
「雅臣……」
「はーい?」
「……ありがとう」
「ふふふ、どーいたしまして!」
俺は今、すごく幸せだ。
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