雅臣と輝紀

限界突破

※【思惑】の続き※


「ただいまー」
 部屋に着き、鍵を開けて先に入った雅臣に、輝紀は内側から鍵を締めながら「おかえり」と言うと、雅臣と自分の脱いだ靴を端に寄せ、雅臣の後を追ってリビングに入って行く。
「うー、疲れたー」
 一升瓶二本とチューハイの缶が数本入ったコンビニ袋を床に置くと、雅臣はグッと背伸びをした。
「んな、大袈裟な」
「大袈裟なんかじゃないから。これ二本と缶何本も入ってんのは意外ときつかったんだからね?」
 袋の中を指差しながら、雅臣は言う。
「お前はできる子だから、それくらいは平気だろうが」
「いや、意味分かんないからね輝紀」
 床に座り、自身の持っていたつまみ類の入っている袋から中身を取り出し、それをテーブルに置きながら言う輝紀に、雅臣は微妙な表情を浮かべながら輝紀に言う。雅臣の話など当然聞いていない輝紀は、袋の中からすべて取り出し終えると、次いで、酒の入っている袋から瓶たちを取り出し始めた。
「……輝紀が俺の話を聞いていないのはいつものことだから、悲しくなんかないんだからね!!」
 雅臣は口ではそう言いながらもいじけ、相手にしてくれない輝紀の動きを見ながら床に座る。そんな雅臣をチラッと見、輝紀は小さな声で「アホが」と言うと、空になった袋を縛りながら立ち上がり、流しまでコップを取りに行った。
 しばらくして戻ってきた輝紀は、自分の前に取ってきた二つのコップを置くと、一升瓶を一本手に取り、栓を開ける。そして、両のコップになみなみと酒を注いでいく。
 雅臣はその様子を見ながら、
「……この酒、全部飲むの?」
 テーブルに所狭しと並べられている酒類を指差して、輝紀に問いかける。
「当たり前だろ? というか、半分以上はお前のだし」
「え!?」
 さも当然。とでも言うように言い放った輝紀に、雅臣は目を見開いて輝紀をジッと見る。
「お、俺、そんなに飲めないって!!」
「何だよ。俺の酒が飲めないってのか?」
「そんなベタな台詞聞きたくない。それに、俺の酒って、買ったのは全部俺だから!」
「そうだったか?」
「そうだから!」
 まあ、そんな些細なことはどうでもいい。と、輝紀は会話の内容に興味を失くしたように素っ気なく言うと、酒を注ぎ終えたコップの一つを雅臣の前に置く。そして自分の前に置いてあるもう一つのコップを手に取ると、
「じゃあ、題して『雅臣の限界に挑戦しよう!』に乾杯ー」
「ええーっ!? 俺の限界に挑戦って何!? 嫌だよ!! というか、本当に今日の輝紀のキャラ違いすぎない!?」
「もう、お前に酔ってんだよ」
「うまくない! キザすぎる!! そんなの輝紀じゃない!!」
 叫びながら言う雅臣の発言は軽く流されてしまい、コップを傾ける輝紀を虚しい気持ちで見ながら、しかたなく輝紀に倣いコップを傾けるのであった。
 こうして、雅臣の限界の挑戦、もとい輝紀の日頃の鬱憤晴らしという名の酒盛りが始まったのであった。



*****



「……輝紀、結構飲むんだね」
 ちびちびとコップに口をつけていた雅臣は、ぐいぐいと飲み進めていく輝紀を見ながら、関心ともつかぬ口調で言う。
 雅臣と輝紀が酒盛りを始め、一時間が経過しようとしていた。その間、輝紀はすでに一升瓶の一本を雅臣に注いだ以外、全部一人で空けていた。
「そうか? 基準が俺には分からないから、そう言われても知らん」
 雅臣に言われた輝紀は、空になったコップに開けた二本目の瓶から酒を注ぎ、つまみを口に入れながら雅臣に答える。
「というか、お前もっと飲めよ。まだそれ二杯目だろ?」
 輝紀は手に持っていたあたりめで雅臣のコップを差して言う。
「だーかーら。何度も言うけど、俺はそんなに飲めないんだってば」
「なら、口移しで飲ませてやろうか?」
「……え?」
 怒りそうになっていた雅臣に、唐突なことを言い出した輝紀。雅臣は輝紀の顔を見つめ、固まった。そして、次の瞬間には頬を紅く染め、恥らうように輝紀から視線をずらした。
 輝紀からのありがたい、とてつもなくありがたい提案であったのだが、不意打ちを食らってしまった雅臣は、いつもの調子で言葉を返すこともできずに、まるで純粋な乙女のような反応を見せ、輝紀のことを直視することができなかった。
 そんな雅臣の様子を見て、不覚にも可愛いなどと思ってしまった輝紀は、そんなことを考えた自分自身を殴りたくなった。
「……何赤くなってんだよ気色悪い。冗談に決まってんじゃねえか」
 輝紀はそう言い、心境を悟られぬよう、コップの中身を一気に煽った。
 雅臣は上目遣いにちらりと輝紀を見ると、とても残念そうな声色で、
「本当に、冗談? これっぽっちもそんなこと、思わなかった?」
「何期待してんだよ」
「そりゃ、期待もするでしょ。輝紀くんから口移し……。想像しただけで鼻血出そうなほど嬉しすぎる」
「鼻血って……。汚い奴」
「まだ出してないからね!? 汚いはひどいよ!」
「うるさい。いいから飲め」
 輝紀は空になった自分のコップに次を入れると、半分ほどしか減っていなかった雅臣のコップにも酒を追加する。
「もー。輝紀ってば、俺のこと酔わせていったいどうするつもり?」
 自分のグラスに注がれていく液体を見ながら、雅臣は口を尖らせて冗談めいた口調で言う。雅臣のコップ一杯に酒を注いだ輝紀は、自分のコップに口をつけながら、瓶をテーブルの上に置いた。
「お前、何言ってんの?」
 雅臣にジト目を送りながら、輝紀は雅臣に疑問を返す。
「俺が飲めないの知ってて、こんなに飲ませようとしてるんだもん。何か裏があるに決まってる!」
 雅臣は自信満々に言い切ると、先ほどの輝紀の行動を真似してなのか、コップ一杯に入っていた中身を一気に飲み干した。
「ちょ、お前」
「げほっ、げほっ」
 酒が飲めないと言っていた雅臣は、当然ながら、喉を通ってゆく焼けるような感覚にむせ返った。
「……お前、アホだろ。んな一気に飲み干したら、むせるに決まってんじゃねえかよ」
 軽く涙目になりながら咳き込んでいる雅臣を見て、輝紀は呆れたという風に大きくため息をついた。しかし輝紀は空になった雅臣のコップに酒のお代わりを注ぐことを忘れはしなかった。
 再び一杯になってゆくコップを目で追いながら、
「それでも、まだ、注ぐ輝紀くんは、鬼ですか……」
「ん? 何のことだ?」
 雅臣のコップに酒を注いだ輝紀は、瓶を振り残りを確かめ置くと、つまみを片手に酒に口をつける。
 まだ少し咳き込んでいる雅臣は、口直しにと新しいつまみの袋を開けて食べ始めた。
 輝紀が、何を考えているのか分からない。雅臣は輝紀の様子をジッと見つめながら、口を動かす。
 そんな雅臣の視線などまったく気になっていない輝紀は、酒とつまみをどんどんと進めていく。
 しばらく沈黙をしながら輝紀を見つめていた雅臣だったが、一言も喋らずに酒を空けている輝紀に拗ねながら、トイレに行こうと立ち上がった。
「うぉ? あれれ?」
 立ち上がった雅臣は、急に立ち上がったせいか頭がクラリと揺れ、たたらを踏んだ。
「何だ、酔いが回ったか?」
 ふらついている雅臣に、輝紀は面白そうに笑いながら言った。
「うー。真っ直ぐ歩きづらいー」
「まぁ、飲めねえっつってたのに、一気なんてしたんだから、足にキてもおかしくはねえよ」
 笑いながら言ってくる輝紀に、雅臣は「わーらーうーなー」と言うと、おぼつかない足取りでトイレへと向かって行った。
 トイレの扉の閉まる音を聞き、輝紀は口元を抑えた。
「俺も酔いが回ってきたのか? さっきから、あいつの言動すべてが可愛いなんて感じるなんて……」
 いつもならそんなこと……まあ、少しばかりは思ったりはするが、こんなにツボにはまることなどないのに。輝紀は本当にどうしちまったんだ俺は? そう思いながら手に持っていたコップを荒々しく置くと、その中身がまだ残っているにもかかわらず、チューハイの缶を一つ手に取り、そのプルタブを開けた。そして、自分の考えを払拭するかのように、その中身を一気に煽る。
 缶の中身はあっという間に輝紀の喉を通り過ぎてゆき、数秒も経たぬうちに缶は空になった。中身の無くなった缶を輝紀は握り潰すと、テーブルの上に無造作に置く。
 輝紀が一息つき、髪を掻きあげた時、トイレの扉が開く音がし、雅臣が戻ってきた。
 先ほどよりもしっかりとした足取りで戻ってきた雅臣は、潰れている空き缶に目を留め、
「この缶、今開けたの?」
 と、座りながら輝紀に訊いた。
「ああ。お前のせいでな」
「はっ!? 俺!? 俺、何か悪いことした!?」
 輝紀から帰ってきた予想外の返答に、雅臣は大袈裟に驚くと自分のことを指差した。
「お前がほとんど飲まねえからだよ」
 輝紀のほとんど八つ当たりの言葉に、「えー」と言いながら、雅臣はつまみを口に入れた。
 その雅臣の様子を頬杖をつきながらジッと見ている輝紀に疑問を覚えた雅臣は、座りながら輝紀の横まで移動して輝紀の肩をつつく。
「どーかしたの?」
「何が」
「機嫌、悪くねえ?」
「気のせいだろ」
 自分自身にイラついているとは言えない輝紀は、酒に口をつけながら素っ気なく言った。
「……酔った?」
「は?」
「輝紀ってば、もしかして酔うと酒乱?」
「あぁ?」
「な、何かいつもより凄みがあるような……?」
 輝紀に睨まれた雅臣は、引きつった笑みを浮かべると、テーブルに身を乗り出して自分のコップを取ると、ちびりと舐める。
「俺、何かしたの? 輝紀が怒ってる……。いや、輝紀はいつもこんなだけど、何か今はそれとは違うというか……」
 小さな声でぶつぶつ言っている雅臣に、輝紀はふと何かを思いつき、自分のコップの中身を口に含むと、雅臣の手にあるコップを取り上げてテーブルの上に置く。そして、雅臣に顔を近づけていった。
「え? 輝紀??」
 何の前触れもない輝紀の行動に、雅臣はたじろぎつつも近づいてくる輝紀の顔をジッと見つめていた。
 輝紀の顔はついに雅臣との距離を失くし、雅臣の口を自分のそれで塞ぐ。
「んっ……。ふぅ……」
 口を塞がれると同時に流れ込んできた液体に、雅臣は小さく声を漏らす。口に入りきらなかった液体は雅臣の顎を伝って流れ、雅臣の服を濡らした。
 しばらく唇を重ねあわせ、輝紀は雅臣から離れると、まるで何事もなかったかのように再びコップを傾ける。
 普通に酒を飲んでいる輝紀を、呆けた顔で見ていた雅臣であったが、しばらくしてハッと意識を取り戻す。
「て、輝紀! いきなりどうしたっていうの!?」
「うっさい。近所迷惑だ」
「そりゃ声も大きくなるでしょ! 輝紀があんなことするなんて!!」
 俺そんなに酔った!? それとも夢!? 幻覚!? 雅臣は喚きながら、赤くなった顔を抑える。そして、ゆっくりとその場に仰向けに倒れた。
「……何やってんだ?」
「いや、興奮したら、酔いが一気に回ったみたいで眩暈が……」
 雅臣は苦笑して言う。
 その雅臣の様子を見た輝紀はため息をつきながら立ち上がると、冷蔵庫へ水の入ったペットボトルを取りに行き、それを雅臣に渡す。
「ほら、水飲めよ」
「…………」
「どうしたんだよ、早く受け取れ」
「……口移し、してくれないの?」
 おずおずと言った口調で雅臣は言うと、輝紀の様子を伺う。
「…………?」
 てっきり『調子にのんじゃねえ!!』という返事が返ってくると予想していた雅臣だったのだが、雅臣の発言に対して何の反応も示さず、自分の手にある水をマジマジと見ている輝紀に疑問を覚え、雅臣は肘をついて上体を起こす。
「て、輝紀、どしたの? もしかしなくても怒った……?」
「…………………」
「てーるきくーん」
 不安気に輝紀の名を呼ぶ雅臣に、ようやく水から目を放した輝紀は、ニヤリと口の端を上げると、ペットボトルのキャップを開け、その中身を口に含んだ。
「えっ! マジ!?」
 水を口に入れた輝紀は、先ほどとは対称的に雅臣に素早く顔を近づけると、驚いている雅臣に口移しをした。雅臣は輝紀の行動に、歓喜に心震わせながら、口腔内に流れ込んできた水を喉に通していく。
 輝紀はその行為を三、四回続けると、手にしていたペットボトルのキャップを開けたままテーブルの上に置き、雅臣の膝の上を跨ぐように乗っかった。そしてそのまま、おもむろに上着を脱ぎ始めたのであった。
「え? てる、き?」
「何だ?」
「ど、どうして服を、脱ぐのかな?」
「暑いから」
「……さいですか。てか、だからって俺の上に乗る必要あるの?」
 雅臣は少しの期待を胸に輝紀に問いかける。
「……そんなの、決まってんじゃねえか。ヤるんだよ」
 雅臣の問いかけに、輝紀は雅臣の耳に口を近づけ、囁くように低い声で答えた。
「えっ!?」
 自分の期待通りの輝紀からの返答に、雅臣は嬉しさを堪えられずに口を緩めながら驚きの声を上げる。
 輝紀は脱いだ上着を無造作に放り投げると、雅臣の首にキスをし、雅臣の上着の中に手を忍び込ませた。
「輝紀からヤる気になるなんて、珍しいね」
 首元に顔を埋め、吸いついてきている輝紀の髪を撫でながら、雅臣は心底嬉しそうに言う。
 輝紀の表情など当然見えていない雅臣は、嬉しそうにしている雅臣に輝紀が不敵な笑みを湛えているということなど、知る由もなかった。



【END】