淡い禁断の心2




****



「……ホントに手伝ってくれる気あるんだろうな?」
 家に着くなりソファにダイブした兄さんにジト目を送りながら訊く。
「んー? だいじょーぶ。ちゃんと手伝うから」
 兄さんはそう言いながら、ブレザーを脱ぎ、ネクタイを緩める。
「上着はちゃんとハンガーに掛けろよ」
「分かってまーす
 返事は返すが、ブレザーはソファの上に投げ出された。それを見ながら俺は溜め息をつく。
 ネクタイをシャツから引き抜き、ブレザーの上に投げる。そして靴下も脱ぎ、また投げた。
「……なんで家に帰るなりそんなだらしないんだ?」
「陽一しか見てないから」
「……あのなあ」
 本気で呆れながら言った俺は、ふとあることに気づいた。
「そういえば、母さんたちがいる時はこんなだらしなくないよな? 服を脱ぐにしても、ちゃんと自分の部屋で脱ぐし。……よくよく考えてみると、兄さんがこんなだらしなさすぎるのって、俺と二人の時だけか?」
 独り言のように呟いた俺に、兄さんはどこか嬉しそうな表情をしながら俺の方に近づいてきた。
「今さら分かったの? こんな姿を見せるのは、陽一だけにだって」
「当たり前だろ。別に気にしたことなんかなかったんだから」
「ひどいなー。オレは結構分かりやすくしてたつもりなんだけど?」
「は? なんのために?」
 兄さんの言っている意味が分からずに眉を寄せる俺に、兄さんは不満気な顔をする。なんでそんな顔を向けられなければいけないのか分からず、眉間の皺を深くする。
「陽一は特別だってこと」
「弟だから、だらしない姿を見られても気にしないって意味か?」
「違うよ。特別だから、オレの全部を見て欲しいんだよ」
「……まったく意味が分からないんだが?」
 兄さんの言葉が理解できない。本気で頭を悩ませる俺に、兄さんは俺との距離を詰めると爪先立ちをして俺の耳元に口を寄せてきた。
「陽一が好きなんだ。だから、特別……」
「――っ!?」
 今までに聞いたことのない、甘く低い声を耳に吹き込まれ、俺はとっさに兄さんから離れる。
(今なんて言った? 俺の聞き間違いか?)
 耳を押さえながら兄さんを見れば、兄さんは顔をほんのり赤く染めながら微笑んでいた。
「兄さん……?」
「ついに言っちゃった」
「いや、言っちゃったじゃないし。……あー。好きって、兄弟としてだよな?」
「違うよ。オレは、一人の人間として陽一が好きなんだ」
「でも、俺ら兄弟……」
「知ってる」
「しかも男同士……」
「それも嫌っていうほど知ってる」
「でも、だけど……」
 あまりに突然の出来事に、うまく頭が働かない。俺は混乱する頭を押さえながら兄さんを見る。
 混乱している俺とは対照的に、兄さんはすごく落ち着いていた。こんなたいそうな告白をしておいて、落ち着き払っている兄さんが少し怖くなる。
「……冗談」
「じゃない」
「いくらなんでも、あり得ないだろ?」
「あり得てしまうんだから、しょうがないよ?」
(何がしょうがないんだ! 頼むから冗談だと言ってくれよ……!)
 この状況を理解したくない俺は、兄さんから視線を逸らして目をつむる。目を開けたら、すべて夢だったと言うことになっていて欲しい。しかし現実とは残酷なもので、願い通りにはいかないものだ。
「陽一はオレのこと嫌いか?」
 現実が何も変わっていないことに分かっていながらもがっかりしている俺に、兄さんは俺との距離を縮め、顔を覗き込みながら訊いてきた。
「いや、嫌いも何も……」
「兄弟だからじゃなく、一人の人間として、オレは魅力はないか?」
(いきなりそんなこと言われても、分かるわけないじゃないか)
 答えられない俺に、兄さんは何を思ったのか顔を近づけてきた。俺とあまり似ていない、整った顔がどんどんと近づいてくる。俺と兄さんの瞳は、ずっと交わっていた。
「……?」
 ふと、柔らかく温かい感触がした。それが兄さんの唇だと言うことに気づいたのは、兄さんの顔が俺から離れていった時だった。
 あまりにも唐突だったため、俺は驚くのも忘れてしまっていた。離れていった温度の触れていた唇を指でなぞる。そして、今も残っているような感覚の温度の元に視線をやる。
(今、俺は兄さんとキスを……)
 はっきりと自覚をしてしまうと、羞恥心が一気にこみ上げてくる。兄さんと触れ合った唇から、躰全体に熱が広がっていく。
 赤くなってしまっているだろう顔を片手で覆い、俺の反応をジッと見ている兄さんから目を逸らす。
「……気色、悪かった?」
 不安そうな声で兄さんが聞いてきた。そんな声をするくらいならしなければいいのにと思ったが、口にはできなかった。
「に、兄さんこそ……」
「オレは嬉しい。ずっと、オレはずっとお前とキスしたいって思ってたから」
 その言葉の通りに微笑む兄さんに、なんだか俺は毒気を抜かれた気分になった。
 おかしいことなのに。怒らなければいけないことなのに、どうして俺はできないんだろう。
「……ホントに、本気なんだな……?」
「ああ、本気だ。兄弟だから、男同士だからおかしいってのはオレが一番よく分かってる。それについて悩んできたし、正直今も悩んでる。……けどな、この気持ちは消えないんだ。いくらなくそうと他のヤツを見ようとしても、どうしてもお前を見てしまう」
 兄さんは真摯に胸の内を告白する。
 真剣な兄さんの表情。全校生徒の前に立って話をする時でさえ、こんな顔の兄さんを見たことはない。初めて見る兄さんの新しい顔に、俺は本気なんだと納得をしてしまった。
 だからといって、俺が兄さんの気持ちを受け入れるのかといったら、それは違う話だ。
 真剣だから答えてあげたい気持ちがないわけじゃない。でも、こんな常識からは考えもつかない告白、そう簡単に受け入れられるほど、俺は柔軟な思考を持ってはいない。