SS
沢山の苦しみ
意識が薄れてゆく中、あいつの必死な声が聞こえてくる。
すごく怒っていて、それでいて、すごく悲しんでいる声……。
その声を聞いて、なぜだか俺は、涙が出てきた──。
『何で、何でこんなこと繰り返すんだよ!?』
俺だって分からないよ。
『お前、自分が何をしてるのか、ちゃんと解ってんのか!?』
ああ、解ってるさ。でも、止められないんだよ。
『何で…もっと自分を大切にしねえんだよ!』
自分を大切に……?こんな俺を大切にしたって、意味ないだろ?
『意味はある!お前がいなくなったら俺は……っ!』
俺は何だよ?てか、何でお前が泣いてんだよ?
『ぜってぇお前を死なせはしねえ!』
……何で?何でお前は、そこまで必死になってるんだ?
何で、俺なんかの為にそこまでしてくれるんだ?
何で……俺なんかの為に涙を流してくれるんだ……?
『決まってんだろ!?お前は俺にとって、いち…………』
いち……何…………?
俺の意識は、そこで途切れた……。
目が覚めて、一番最初に目に映ったのは、真っ白な天井だった。
そして、躰は柔らかな感触に包まれていて、周りからは微かに薬品の香りがする。
俺は今、病院にいるらしい。
意識がなくなった後、ここに運ばれたんだろうな。俺はまだ醒めきらない頭で、そんなことを考えた。
躰を起こそうとしてみたが、鉛のように重くて起き上がらなかったので、首だけを動かして周りを見てみることにした。
右手に何か違和感を感じたので、そちらの方をまず最初に見てみると……。
「──っ!?」
目線に入った顔を見て、俺は小さく息を呑んだ。
馨(かおる)……?
俺は頭の中だけで、その人物の名前を呼んだ。
馨は、俺の手を握りながら、静かな寝息をたてていた。
黒くて艶のある髪が、開けられていた窓から吹く微かな風に揺られ、なびいている。
俺は握られている手とは逆の手で、馨の髪を梳くように触れた。
柔らかく、指通りのいい感触を手で感じながら、馨の寝顔を見てみる。
無防備なその寝顔は、いつもの馨からは全く想像ができなくて、少し笑ってしまう。
「何でお前は、ここまでしてくれるんだか……」
「そんなん決まってんじゃん」
「なっ!お前、起きてたのかよ!」
俺の言葉にすぐ応えた馨に驚いて、髪を梳いていた手を離そうとした。
が、俺が手を離すよりも早く、馨が俺の手を掴んできた。
「ちょっ!」
振り解こうとするが、躰にうまく力が入らないため、無駄な抵抗に終わった。
俺の両手を掴みながら、馨の真剣な瞳が、俺を真っ直ぐ見つめてくる。
その視線の強さに、俺は金縛りにあったかのように、馨から目が離せなくなった。
こいつの、この瞳は反則だと思う。そんな強い瞳で見られたら、抵抗なんてできなくなってしまう。
「俺が何でここまでするのか、教えて欲しいか?」
真剣な瞳に比例するように、すごく真剣な声で、馨は訊いてきた。
「別に…教えて欲しくなんか……」
俺はそこまで言ってあることに気づいた。
俺の手を掴んでいる馨の手が微かに……震えている……。瞳と声とは裏腹に、両手が小さく震えていたのだ。
それに気づいた俺は、なぜだか胸が締め付けられるような想いになった。
なぜそんな感覚になるのか解らず、俺は驚いて黙ってしまう。
俺が何も言わずにいると、馨が俺の上に覆い被さってきた。
馨の腕は俺の背中に回され、俺は馨に抱きしめられるという形になった。
その行動に驚きはしたものの、少しも嫌悪感は感じられなかった。逆に、安心するような、暖かな感じが広がってきた。
「……俺は、お前にいなくなられたら困るんだよ」
前にも聞いたことのある言葉を、馨は先ほどよりも弱い声で言ってきた。
「な…んで?」
俺はその言葉の理由が知りたくて、馨に訊ねる。
「さっきも言ったけど、お前は俺にとって、一番大切で、一番愛しい奴なんだ……」
馨が言った瞬間、意識の無くなる寸前の馨の言葉が思い出された。
最後の聞き取れなかった言葉は、これだったんだ……。
「だから、お前にいなくなられたら、困るんだ」
馨は言って、俺の背中に回していた腕に、ぎゅっと力を込めた。
痛いくらいの締め付けの中、俺は馨の言った言葉を噛みしめていた。
──一番大切で、一番愛しい。だから、いなくなったら困る……。
こんな俺を、大切で愛しいなんて、思ってくれる奴なんていたんだ……。
こんな、苦しみだけしか残っていない俺なんかを……。
俺は嬉しいような、切ないような複雑な気持ちになり、自然と涙を流していた。
「──っ。おま、えは、こんな俺でも、本気、で、愛しいなんて、思って、くれるの、か?」
「ああ。本気に決まってるだろ」
馨は顔だけを上げて、俺を見てきた。
馨の表情は、これまでに見たことのないくらいに優しいもので、至近距離で見たその顔に、俺の胸は高鳴ってしまった。
「それと、あんまり自分を卑下するなよ。お前はお前で、お前にしかないものが沢山あるんだから」
微笑みながら言ってくれる馨の言葉に、俺は涙が止まらなくなった。
こいつなら、信用してもいい……。こいつなら、ありのままの俺自身を、ちゃんと受け止めてくれる……。
俺は心からそう思い、
「ありがとう……」
と、小さく呟いた。
「どういたしまして」
馨は言うと、近くにあった顔をもっと近づけてきて、触れるだけの短いキスをしてきた。
男の馨にキスをされたというのに、全く嫌な感じはしなかった。むしろ、嬉しかった……。
馨は俺に回していた腕を放し、俺の頬を伝い流れていた涙を手で拭い、額にかかっていた前髪を梳いた。
「もう、苦しむ必要はないんだぜ?これからは俺がいる。苦しいときは、いつでも俺に頼れ。すぐに駆けつけてやるから。だから…今はゆっくり眠れ」
馨はそう言って、優しい目線を向けてきてくれた。
優しく、見守ってくれているような、暖かな視線。
長い間向けてもらえることの無かったその視線に、俺の心に安心感が広がっていき、徐々に瞼が重たくなってきた。
もう、一人で苦しみ続けることはない……。俺の側には、馨がいてくれる……。
俺はそんなことを思いながら、久しぶりに深い眠りへと落ちていった。
【END】
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