SS
涙を湛える
君を腕に抱いて、君を奪い去り、なぜか僕は悲しくなった。
君は僕には過ぎた人で、僕が奪ってはいい人ではない。
何も知らないような無垢な横顔。穏やかに静かに眠る、汚れのなかった君の寝顔。
君を汚してしまったのは……僕……。
何も知らない君を、こんな道に引きずり込んでしまったのは僕なんだ……。奪ってしまった後で後悔したって、すでに遅い。
「ごめん……僕のせいで」
僕はそう言って、君の柔らかな髪に指を通した。
すると、君は薄く目を開けて僕を見てきた。その真っ直ぐな目を見ると、僕の中の罪悪感がよりいっそう強くなる。
「どうしたんだ、そんな顔して?」
僕のほんの少しの表情の変化を読みとった君は、上体を起こして僕に訊いてくる。
どうして君は、僕なんかを心配してくれるんだろう。君をこんな風にしてしまった、僕なんかを……。
「ごめんね、僕……」
「何で謝るんだ?」
「僕が君を好きになったばっかりに……」
僕は君に見られることに耐えられなくなり、君から視線を逸らした。
「何言ってんの?もしかして、俺としたことを言ってんのか?」
「君は、僕のこと本当に好きじゃなかったのに、こんなことしちゃって……」
「ヤったもんはヤっちゃったんだから、別に気にすることなくね?」
「でも……」
「でも何だよ。俺としたの、後悔してんのか?」
君の言葉に僕は何も返すことができず、黙ってしまった。
「……何だよ、それ」
そんな僕を見て君は怒ったような声で呟くと、僕の顔を自分の方を向かせ、キスをしてきた。
「──!?な、何して……!?」
「お前、馬鹿だろ」
突然の君の行動に僕が目を丸くしていると、君が、決して大きくはないけれどしっかりとした声でそう言ってきた。
「確かに俺は、お前のことが本気で好きかどうかは解らない。でも、嫌いな奴に俺が大人しく抱かれるとでも思ってんのか?」
君の言っていることがよく理解できずに、僕は目を丸くしたまま君を見ていた。
「俺は、その……。お前に抱かれて、別に嫌な感じはしなかった」
照れたように少し頬を染めながら、君は言葉を続ける。僕はそれをただじっと聴いていた。
「最初はやっぱり、初めてだからかなり不安はあった。でも、お前は、すごく……優しくしてくれたから、なんつーか……」
君はそこまで言って照れたように頬を染めると、小さく、くそっと言ってから、
「とにかく、お前が悪く思う必要はないんだよ」
と、ぶっきらぼうに言ってくれた。その言葉に隠された優しさが嬉しくなり、思わず涙をこぼしてしまった。
「な、何で泣くんだよ?」
「君の言葉が、嬉しくて、つい……」
僕のその言葉に、君は一つため息をついてから、ぎゅっと僕を抱きしめてくれた。
「俺、まだ自分の気持ちはよく解んないけど、いつか、お前を本気で好きになる日が来ると思う」
お前、すごく優しいから……。と君は言うと、僕に回している腕に力を込めた。
君を奪い僕は悲しくなったけれど、君の一言で、僕の中からその悲しみが消え去った。
やっぱり君は僕には過ぎた人だと思わされたけれど、そんな君に合うように、僕はもっと努力をしようと思った。
君は汚れてなんかいない。僕が汚してしまったと思っていたけれど、君は汚れてなどいなかったんだ。
僕は抱きしめられている暖かさを感じ、涙を湛えながら君を抱きしめ返した。
【END】
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