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幸せは不安



「寂しい」
 俺の服の袖を引っ張りながら、春樹(はるき)がぽつりと呟いた。
 滅多にそんなことを口にするような奴じゃないから、俺は何かの聞き間違えなんじゃないかと耳を疑った。
 しかし、春樹の目を見て、決して俺の聞き間違えではないということが分かった。
 いつもはやる気がなさそうな目をしている奴が、今は強い意志を持っているような、そんな目をしている。
「どうしてだ?」
 俺は思わずそう訊いていた。
「……達哉(たつや)が、遠くに行っちゃうみたいだから」
「遠くに?俺はどこにも行かないぞ?」
「そんなのは分かってるんだけど……」
 春樹はそう言うと袖を掴んでいた手を離して、
「達哉はこの先自分が何をしたいのか決まっていて、毎日が充実しているのに、オレは先のことよりも、今自分が何をしたいのかすら分かっていないから、オレだけ置いて行かれてるみたいな感覚になっちゃってて……」
 寂しそうに、悔しそうに呟き、窓の外に視線をやった。
 秋風に吹かれ、外に生えている木から枯れ葉が舞い落ちている。
「春樹……」
 俺はそんな春樹を背中から抱きしめ、肩口に頬を押しつけて言う。
「俺だって、毎日が充実しているわけじゃない。不安になったり、本当にこれでよかったのかって後悔することだって多い。でも、それが生きてるってことだろ?不安にならない人間がいたら逢ってみたいぜ」
 そうだろ?と、微笑みかけながら春樹に問いかける。
「……オレは、達哉みたいに賢くない……」
「うん」
「柔軟な考えだって持ってない……」
「うん」
「……だから──」
「俺はそんなお前が好きなんだ」
 春樹の言葉を遮って言う。
 それに春樹は目元を朱に染めながら、眉根を寄せて俺を見てきた。
 その表情は困惑しているような、それでいてひどく照れているようなものだった。
「いつもやる気なさそうで、ぼーっとしていて、あまり器用ではないけれど、やる時は最後まで貫き通す、決めたことは頑として曲げたりしない。そんなお前が好きなんだ」
「それって、貶してんの?褒めてんの?」
「両方かもな」
 それってひどくない?と口を尖らせながら言う春樹の表情は、先ほどよりも柔らかくなっていた。





 生きていれば誰だって、いつだって不安にもなるし寂しくもなる。それらの感情が生まれない奴なんて、この世にはいないと思う。
 春樹が不安になっても、側には俺がいる。
 俺が不安になった時も、側には春樹がいる。
 一人で抱え込まずに、すぐ側で頼りにできる存在がいることは凄く幸せなこと。
 だから、少しでも不安だと感じたらすぐに俺に話してほしい。そうすれば、二人でその不安を分かち合えるから。



【END】