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知らない内に奥にいた
人の肌の温もりが、こんなにも気持ちのいいものだと知ったのは、君と出逢ってからだった。
君に触れられるまで、俺は他人に触れられることを、極端に嫌っていた。
俺以外の人間が俺に触れるなんて……。そう考えるだけで、全身に鳥肌が立つくらいだった。
その理由は、俺が人間不信だったからだろう。
人と関わるのを恐れ、人から関わられるのを恐れていた。だから俺はいつも、わざと他人を寄せ付けないようにしてきていた。
──それなのに君は、そんな俺にしつこく付きまとってきた。
最初はただウザイだけだった。けれど日が経つにつれて、俺は君のことを『怖い』と感じ始めていた。
いや、君のことが怖かったんじゃない。俺自身が知らぬうちに、君を受け入れようとしていたことが、怖かったんだ。
だから俺は、君を遠ざけるために、これ以上俺の中に踏み込んでこないように、心にもない言葉を君に浴びせかけた。
俺の言葉を聞いた君は、今までに見たことのない悲しい顔をして、『そう……』と一言呟いて、俺の前から立ち去って行った。
君が俺の前からいなくなり、ほっとしたはずだった。なのに、それなのに、なぜか俺の胸は苦しくて、息が詰まりそうだった。
その時俺は気づいた。俺はすでに、君のことを受け入れてしまっていたんだと。
怖いと恐れていたはずなのに、俺は知らずと君を受け入れ、君を必要としていた。
目の前の景色が滲んでゆく。暖かいものが頬を伝い、地面に落ちた。それは俺の涙だった。
俺は、自分のしたことを後悔しているらしい。
なぜそんなことを思っているのかは分からない。自分の心が分からなくなっている。
俺は流れてゆく涙を止めようとせず、静かに目を瞑ると、涙の落ちていった地面に両膝をついた。
俺の中にあるこの空虚感を、どう説明したらいいのだろう。
君に戻ってきて欲しいと思う、俺のこの気持ちを、どう理解したらいいのだろう。
今の俺は、どうなっているのだろう──。
「君は、何で泣いているの?」
俯いていた俺の前に、光を遮るように誰かが立った。
俺は、その聞き覚えのある声にはっとして、慌てて顔を上げる。そこにいたのは、やはり──。
「な…んで……?」
「決まっているだろう?君に呼ばれたからだよ」
俺の目の前にいたのは君で、微笑みを浮かべながら俺を見ていた。
君は確かに去っていったはずなのに、なぜここに……?
俺はそんなことを思いながら、君を見上げていた。
「さっき君が言ったことは、本心じゃないよね?じゃなきゃ、泣いたりなんか、しないよね?」
君はそう言うと、俺の前にしゃがみ込み、俺の顔を覗き込んできた。
その君の顔には穏やかな笑顔が浮かんでいて、なぜか俺はひどく胸が苦しくなった。息苦しいとかそんな苦しさじゃない、嫌じゃない苦しさだった。
「……俺は、お前なんて呼んでねえ。呼ぶはずが、ねぇだろ……」
「そうかな?僕は呼ばれたと思ったんだけど?」
「……アホか。俺はちゃんと言ったはずだ……」
「だからあれは、君の本心じゃないだろう?」
「あれは……」
君の言っていることは当たっているから、俺は何も言い返すことができなかった。
確かに、さっき俺が君に言ったことは本心じゃない。本当は本心だと思いたいのだが、それを言った後にこんなざまじゃ、そんな風に思えるはずがなかった。
俺はそれが悔しくなり、君から目線を外しながら下唇を噛みしめた。
「君の本当の気持ち、僕に聞かせてくれないかな?」
君はそう言いながら、俺の肩に手を置いてきた。一瞬それに驚き肩を震わせたが、振り払うことはせずに、恐る恐る君を見る。
「……お前は、どうして俺に付きまとう……?」
「僕?僕は…君のことが……」
好きだからだよ──。
君はそう言いながら、俺をふわりと抱きしめた。
暖かい……。これが、人と触れ合う温もり。
安心するという思いと同時に、怖いという思いが胸に込み上げてきた。それなのに、君の腕を振り解くことができないのはなぜなんだ……?
「……ふざけんな」
「ふざけてはいないよ。僕は本気だ」
「頭おかしいんじゃねぇ」
「何で?」
「……俺なんか…好きになったって……」
「自分のことを、『なんか』なんて言ったらだめだよ?」
そう言った君の腕に、最初よりも力が籠もった。
少し苦しいと感じるけれど、なぜかその苦しさが丁度いい──。
「僕は君の過去とかが、どんなものなのかは知らない。君の苦しさも、全然理解できていないと思う。でも、全部を一人で抱えてきていた君の姿はよく知ってる。僕はそんな君の姿を、ずっと見てきてたから……」
君が話すのに、俺はじっと黙って耳を傾けていた。
俺を好きだなんて正気じゃないと思っていたけれど、君に抱きしめられて躰がくっついているせいで、君の躰の震えが伝わってくる。
その震えを感じて、君がこの告白をするのにどれだけの勇気を振り絞ったのかということを考えさせられた。
逃げることは簡単。人を避けることも簡単。
俺は今までずっとその簡単な道ばかり選んでいて、人と関わるという大切なことを拒んでいた。
それじゃあいけないって何度も思った。それでも、裏切られるのが怖くて、必要にされなくなるのが怖くて……。不安になるのなら、いっそのこと初めから人と関わらなければいいと思ってきた。
だから何度も君を拒んできたのに、君はずっと俺に付きまとってきた。
本当は──凄く嬉しかった。
いつの間にか俺の中には君がいて、気づけば君のことを考えている俺がいて。
その時に感じていた感情は、決して嫌なものじゃなかった。
俺も、知らないうちに君に特別な感情を抱いていたのかもしれない。だから他の誰よりも関わるのが怖くて、早く遠ざけようとしていたんだ。でも──。
「……認めたくねえ」
「何を?」
「俺が……、お前に…気があるなんて──あり得ないのに。……何で、思いっきり拒めねぇんだ?何で、突き離すとが、できねえんだよ──」
また涙が溢れてきた。
悔しくて苦しくて……。涙を流すことでこの感情がなくなってくれるのなら、どんなに泣いたって構わない。だから、俺からこんな感情を取り除いてほしい──。
俺は唇を噛みしめ、漏れそうになる嗚咽を堪えた。
自分が今、どんなにみっともない姿になっているかなんて分からない。分かるのは、君に縋ってしまっているということ。
「……君は、一人じゃないんだよ?君が許してくれるなら、僕はずっと君と一緒にいるし、僕以外にだって君の周りには沢山の人がいるんだもん。無理に一人でいる必要なんて、どこにもないんだよ?時には、人と関わってみるのもいいと思うんだ」
余計なことだったらごめんね?と君は言うと、少し距離をとって俺の顔を覗き込んできた。
真っ直ぐ見てくる君から、俺は目を逸らすことができないまま呟いた。
「……怖い」
「うん。僕も怖い。でも、逃げてるだけだったらその怖さは増すばかりだから、僕は自分からその恐怖の中に入っていくようにしてる。それが僕の糧になってくれるって、信じているから」
「俺には──」
「僕がいる」
俺の言葉を遮って、君は力強く言った。
「一人が怖いのなら、二人になればいい。二人でも怖いのなら、もっと人を増やせばいい。今からでもちっとも遅くない。でも、その前に──」
君は言葉を切ると、俺から少し視線をはずして、
「告白の返事をくれたら、嬉しいな……」
と、頬を赤く染めて言ってきた。
そんな君の変化がおかしくて、俺は少し笑うと、
「お前の努力次第だ」
と、答えになっていない答えを返した。
俺の返事に君は目を見開くと、次の瞬間には笑顔になり、俺に抱きついてきながら言ってきた。
「頑張るから」
今度の抱擁は、さっきのような包み込まれているよいな感じではなく、ただ無邪気に抱きついてきているという感じだった。
最初は本当にうっとうしいだけの存在だったのに、いつの間にか君がいるのが当たり前になっていた。
俺の知らないうちに、君は俺の奥にいたんだ。
【END】
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