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相容れぬ瞳



 その瞳を始めて見た時、綺麗だと思った反面、冷たく寂しいとも思った。
 吸い込まれていきそうな、深く濃い赤。血のように鮮やかな赤……。辺りの雰囲気さえも、瞳と同じように赤く感じられる。
 普通の人間では、そんな瞳になるわけがない。そんな雰囲気を、醸し出せるわけがない。
 ──こいつは人間ではない。
 直感的に俺はそう思った。いや、そう思わざるを得なかったのだ。
 俺が瞳に魅入っていた時だった。一瞬空耳かとも思った。
『汝、我を恐れぬのか?』
 高くもなく低くもない、妙に透き通った音が俺の耳を撫でた。
 その音……。その声を聞いた俺は、一瞬何を言われているのか分からなかった。言葉よりも、声の方に注目がいっていたためだ。
『汝、我の声が聞こえておらぬのか?』
 俺が声に聞き惚れていると、怪訝そうに眉を顰めながら問いかけられた。
 俺の目を覗き込んでくるそいつに、俺は驚き少し身を仰け反らせた。
「あっ!?き、聞こえてる!聞こえてます!」
 慌てて返す俺に、そいつはフン、と鼻を鳴らして姿勢を正すと、初めと同じ質問を繰り返す。
『再度訊く。汝は、我を恐れぬのか?』
「へ?恐れる?」
 訊かれた意味が一瞬では理解できず、俺は首を傾げる。その俺の様子を見て、そいつは驚いたように目を見開くと、フッと呆れたような、面白がっているような微笑いを漏らした。
『汝、おかしな奴だな』
 目を細めて喉で笑うそいつに、俺はなぜか顔が熱くなるのを感じた。
 なぜだろう。冷たい印象を持つ瞳なのに、微笑みの形に細められたそれは、冷たいなどとはまったく感じさせず、逆に暖かいと思ってしまった。
 不思議でたまらなくなり、俺は熱くなっている自分の頬に手を当てながらジッとそいつを見つめていた。
『……先程から我を見ているが、何か気にかかることでもあるのか?』
 そいつはスッと俺に近づき、俺より高い位置にある顔を俺の高さまで持ってくる。
 目と鼻の先にきた顔に、俺は心臓がうるさいほどに高なるのを感じた。
 普通ならば、こんなに近くに寄られたら不快感を抱くはずなのに、何の不快感も感じない。それどころか、こんなにも胸が高鳴ってしまっているのは異常だと思う。
『………………』
 俺が目を逸らすことができず、変わらずそいつを見ていると、そいつもジッと俺の瞳を見てきた。そして何を思ったのか、口元を弛めてこう言った。
『汝が気に入った。我は、汝に憑くことに決めた』
「は……?つく?」
 意味の分からない発言に、俺はポカンと口を開けて間抜けな声を出した。
『そうだ。汝に憑き、我は我の目的を果たす』
「もく…てき……?」
 それはいったい何なのだろう?それより、憑くとはいったいどういう意味なのか。
 いくつか疑問が浮かんでくるが、それをそいつに問いかけるよりも前に、俺はそいつにいきなりキスをされていた。
「──っ!?」
 突然のそいつの行動に、俺は思い切り目を見開く。
 柔らかく啄むそいつの唇には温度がない。冷たいとかではなく、感触だけで、本当に何の温度もなかった。
 キスはそれ以上は激しくならず、暫く啄まれた後、スッとそいつは顔を離した。
「──っあれ!?」
 そいつが離れると同時に、俺は膝から力が抜け、立っていられなくなりその場に膝を突いた。
『すまぬな。我が身を具現化させるため、汝から力をいただいた』
 俺がどうしたのかと不思議に思っていると、そいつは事もなげに言ってくる。俺がどういうことだ!とそいつに問いかけようとした瞬間、そいつの周りに黒い霧のようなものが立ちこめてきた。
 霧はそいつを包み込むように一気に広がる。
 何がなんだか分からない俺は、目を見開いたままそれを見ていた。
 そいつを包み込んでいた霧は少しずつ消えてゆき、完全に消滅する。そこに残ったのは、そいつだけ。
「……何?」
 俺がやっと小さく呟きを漏らすと、そいつが膝を折り、俺に手を伸ばしてきた。
 伸ばされた手は俺の頬に触れ、スルリと撫でてくる。意外に温かい手に少し気が弛んだ。
「これで、汝に触れることができる」
 そいつは頬にあった手を頭へ移動させると、優しい手つきで俺の長めの髪を梳く。
「あんた……何?」
 今さっき目の前で起きた状況が何一つ飲み込めない俺は、掠れる声でそいつに問いかける。
 すると、そいつは目を細め、少し寂しそうな顔でハッキリと答えた。
「我は魔物だ──」



【END】