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報われない恋 新しい恋
報われない恋が悲しいとか、虚しいとか言う人は大勢いると思う。
確かに、報われないと思いながらも恋をし続けるのは、虚しいことなのかもしれない。
──でも、俺はそうだとは思わない。
報われない恋だって、恋をしていることには変わらないんだから、それはそれでいいことだと思うから。
恋することは良いこと。恋することは大切なこと──俺はそう思っている。実際に俺は今、報われない恋をしている途中だったりする。
俺のこの恋は、とても難しいものだと思う。
報われないことは、この気持ちに気づいた時に覚悟をした。例え報われないとしても、俺はこの恋を続けていきたい。
続けることは、結構辛いこと。時には諦めてしまいそうになる……。でも、今以上の恋が見つかるまではこの恋をしていたい。
──この恋は俺の初恋。
叶うはずもないと分かっている、儚い初恋。俺の恋の相手は──六歳上の義理の兄……。
もちろん兄は俺の気持ちは知らない。絶対に知って欲しくない。
俺がこの気持ちに気づいたのは、四年前。俺たちが義兄弟になって二年目の年だった。
あの時俺はまだ中学二年で、精神的にまだ幼かった。だから、この気持ちに気づいた時、俺は異常なんじゃないのかと思ってしまった。
それでもこの気持ちは変えることなんてできなくて、考えれば考える程好きな気持ちは強くなっていった。
──この気持ち、誰にも知られたくない。自分の胸の中だけに仕舞い込んでおきたい……。
なのに、俺の気持ちに気づいてしまった奴が現れた。それは兄の幼い頃からの友達であり、俺もよく慕っていた人物だった……。
「いるかー?」
そう言いながら、俺の部屋をノックもせずに勢いよく開けて、一人の男が入ってきた。
毎度毎度、この人はなんでノックもせずに入ってくるんだか……。
もう慣れてしまったので、いまさら『ノックしてから入って来てください!』と言うのも面倒になっている。
「なにか用ですか」
ベッドに寝ころびながら本を読んでいた俺は、部屋に入ってきた男に見向きもせずに訊く。
「冷たいなー。用がなきゃ来ちゃいけないような言い方だな」
男は不服気に言うと、ドアを閉めて俺の寝ころんでいるベッドの端に腰をおろしてきた。なので俺は、さり気なくベッドから降りて側にあった椅子に場所を移す。
「なんで離れるかなあ?」
男は俺の行動を見て、苦笑混じりな声で訊いてきた。
「特に理由はありません」
俺は本に目線を落としたまま答える。
「俺のことを、警戒してるのか?」
「そんなわけありません。そもそも、警戒する理由がありませんから」
「いや、絶対に警戒してるな。前までは『元希(もとき)兄ちゃん』って、そりゃもう可愛かったのにさー。最近は急によそよそしくなったじゃないか?」
可愛かったって……。一体いつの話をしているんだか。
「よそよそしくなったわけではありません。大人になっただけです」
俺は読んでいた本を閉じて、男を一瞥して答えた。
警戒しているかと言われれば、強くは否定できない。というか、正直言うと少しだけは警戒している。
だってこの人は、誰にも知られたくない俺の秘密を知っている人だから……。
「そんなに警戒しなくても、忠志(ただし)には言わないって……」
「元希さん!!」
男の…元希さんのその言葉に、俺は声をあげた。そして、ついでに側にあったクッションを投げつけてやった。
なんであなたは俺の気にしていることを、そうも平然に言うんだ?元希さんのその無粋さに、俺は苛ついてしまう。
「うおっ!危ねえ!」
そう言いながら元希さんは、すんでのところでクッションをかわした。ぶつかってしまえばよかったのに。と、俺は本気で思った。
「物を投げるなよ!危ないだろう!?」
「あなたが変なことを言うのが悪いんです」
「変なことって……。俺はただ、恭二(きょうじ)が俺のことを警戒してるみたいだから、安心できるように……」
「それが変なことだって言うんです!」
今度は本気で怒鳴りながら、手にしていた本を投げつけてやろうと腕を振り上げた。
「わ、分かった。俺が悪かったよ!だから、それは投げるな!な!?」
俺の行動を見た元希さんが、顔をひきつらせながら必死な声で謝ってきた。
謝るくらいなら、最初から言わなければいいのに……。まったく、本当にこの人は何を考えているんだか。
「それを言うためだけに来たのであれば、早く出て行ってください」
「つれないなー」
「つれなくて結構です」
「……お前さあ」
元希さんはため息をつきながら、ゆっくりと俺の目の前まで移動してきた。
「な、なんですか?」
「なんで……なんであいつなんだよ……?」
「何が…ですか……?」
言いながらなおも近づいてくる元希さんに、俺はたじろぎながら訊いた。
「あいつのことなんて、もう諦めろよ……」
元希さんは低く呟くと、俺のことを抱きしめてきた。
元希さんの突然のこの行動に、俺は訳が分からなくて硬直するしかなかった。
―なんでそんな事言ってくるんだ? 諦めろって言うなんて、冗談にも程がある……。しかも抱きしめてくるなんて……。からかうのもいい加減にして欲しい。
「元希さん、放してください……」
「諦めるか?」
「何を言ってるんですか!? とにかく放してくださいってば!」
「「嫌だ……」
元希さんはつらそうな声で言うと、さらに俺を抱きしめる腕に力を込めてきた。
「嫌だとか、子供じゃあるまいし……」
「子供だって思われてもかまわない……。あいつのことばかり見てないで、いい加減、俺の気持ちに気づいてくれよ……」
元希さんの低い囁きが耳に響いてきた。
元希さんの、気持ち……? なんだよそれ? そんな言い方って、まるで……。
俺はなぜだが、顔が熱くなるのを感じた。
元希さんは、俺が兄さんの事を好きだって気づいたから、今までずっとからかって面白がっていたんだと思っていたのに……。
「元希さん……」
「なんだ……?」
元希さんが喋ると息が首筋に当り、ゾクリと背筋に何かが走った。
……なんか、もう嫌だ……。早く放して欲しい。
この腕から離れる方法はないかと必死で考えて、ある方法を取ることにした俺は、心の中で元希さんに謝った。
ごめん、元希さん。
「――っ!?」
元希さんが小さく唸って、俺から離れた。それは、俺が元希さんの鳩尾を殴ったから。だから、さっき事前に謝ったのだ。……心の中でだけど。
「からかうのはやめてください! あなたの気持ちなんて……解りません! 解りたくもありません!!」
俺は怒鳴ると、床に崩れ落ちている元希さんをその場に残して、急いで部屋を出て行った。
元希さんのある意味での告白を聞いてから、一週間が経った。まだ確かなことは分からないけれど、元希さんの気持ちはなんとなく分かった…ような気がする。
あれから元希さんは、何事もなかったかのように俺に接してくる。その行動が理解できなくて、俺は何もすることができないでいた……。
──それ、とつい最近…兄さんに彼女ができた。
このことは直接兄さんから聞かされた。けれど、不思議とショックは受けなかった。おそらく、ある程度覚悟していたことだったからかもしれない。
その話を聞いて、俺は兄さんに『おめでとう』と言った。でも、それを素直に祝福できない自分がいたのも確かだ……。
複雑な心境……。
この心境は元希さんにも伝わったらしく、最近ますます元希さんが俺にちょっかいを出してくるようになってきた。迷惑なはずなのに、それに安心感を覚えてしまう自分が不思議でならない。
毎日のように自分に逢いに来る元希さん。俺は、それが楽しみにさえ感じるようになってきた。
こんなこと感じるなんてあり得ない。どうかしている──。
最近ふと気づけば元希さんのことを考えている。
元希さんが、あんな変なことを言ってきたから?だから、こんなにも気になるのだろうか?
この気分は一体なんなんだ……。理解できない、この気分は──?
部屋の外から、元希さんの声が聞こえてきた。
「恭二、入るぞー」
俺の返事も待たずに、元希さんは部屋の扉を開ける。これはいつものことのはずなのに、なぜか今日はそれがとても気にくわなかった。
「誰が入っていいって言いましたか?勝手に入って来ないでください」
「なんでだよ?いつもなら何も言わないのに?」
「口にはしていませんが、心の中では思っていました」
「なんだ?いまさら反抗期か?」
元希さんがおかしそうに言いながら、俺の側にやってきた。
反射的に遠ざかる俺。
今は、元希さんに近づいて欲しくない気分だったんだ……。
「また逃げたー」
元希さんは苦笑を浮かべながら、その場に立ち止まり俺を見てきた。
「用件はなんです?」
「んー?お前に逢いに来たあ」
「それだけなら、もう逢ったでしょう?帰ってください」
「……なんか今日のお前、変だぞ?」
心配そうに元希さんが俺を見てくる。
「あなたには関係ないことです」
俺は自分でも冷たいと感じる言い方で、元希さんに言った。
俺の言葉を聞いた元希さんは、一瞬片眉をつり上げて、何も言わずに俺に近づいてきた。離れようとするのだが、部屋は狭いため、逃れられる空間は決まっている。そのため、すぐに元希さんに捕まってしまった。
壁と元希さんに挟まれる形になって、ようやく元希さんが口を開いた。
元希さんの俺に向けられている顔は、怒っているようだった。
あんなことを言ったのだから、当たり前だとは思うけど……。
「俺に八つ当たりとかはしても構わないけど、関係ないって言われると、すごく腹が立つ」
「な、なんでですか。俺は本当のことを言ったまでです」
俺は元希さんの強い視線に耐えられずに、ふいっと顔を逸らした。
「顔逸らすなよ」
元希さんは言うと、俺の顎を掴んで、俺を自分の方に向かせた。そのせいで、嫌でも視界に元希さんの顔が入る。
「まだ気づかない振りをするのかよ?」
「何をですか……?」
「……俺の気持ちを、だよ」
元希さんは、俺の耳元に口を近づけながら言ってきた。逃げ出したいのに、躰が動かない……。
「俺は、恭二が…好きだ……」
耳元で低く囁かれた言葉……。その言葉が俺の胸に突き刺さる。
なんとなく気づいていた……。気づいていたけれど、直接言われると胸が変にざわつく。
元希さんのことは、嫌いじゃない。でも、好きでも、ない……。だって、俺が好きなのは…兄さん…なんだから。……そうなんだよな?
「お前が忠志のことを好きなのは分かってる…それでも俺はお前が…恭二が好きなんだ……」
俺の考えていることが分かったかのように、言ってきた。その元希さんの声は、どこか辛そうだった。その声を聞いて、俺はなぜか苦しくなってしまった。
「……どいてください。元希さんのことは…好きになれません……。俺が好きなのは、兄さんです……」
「恭二……!」
俺の言葉を聞いた元希さんが、ばっと顔を上げた。
その表情は悲しそうで、俺の胸を罪悪感が襲いかかってくる。
「俺が好きなのは…兄さんなんです。だから、あなたのことは好きになれません……」
これは本当のこと……。そのはずなのに、このことを口にした時、苦しくて息が詰まりそうになった。
「……なんでだよ……。なんでお前は、そんなことを言うんだよっ!?なんでわざわざ、自分が辛くなるようなことを言うんだよっ!?」
「別に辛くなんかありません。俺は本当のことしか言ってません。俺の気持ちは解ったでしょう?どいてください」
冷たい言葉が口から次いで出てくる。こんな、元希さんを傷つけるような言葉を言いたいわけじゃないのに……。
「……ならその顔はなんだよ?俺に嘘をつくのはいいが、自分に嘘をつくんじゃねえよ!」
元希さんは怒ったように言うと、拳で壁を殴った。
「嘘は…言ってません……」
「──っ」
元希さんの辛そうな、悲しそうな顔が俺に向けられる。そして次の瞬間、俺は元希さんに顎を掴まれ、不意に唇を重ねられていた。
「──!?」
俺はただ驚くだけで、抵抗するのを忘れていた。
角度を変えながら、元希さんは何度も唇を合わせてくる。
突然のキスに驚いていた俺だったが、元希さんの舌が侵入してきたとき、はっと我に返って元希さんを突き放そうとした。が、その前に、部屋の入り口から声が聞こえてきた。
「おいっ!お前ら何してんだよ!?」
元希さんと俺はその声に驚いて、同時に入り口の方に目をやった。そこには、驚きに立ち尽くす兄さんがいた──。
そういえば、部屋の入り口は開いたまま……。
元希さんとキス…しているところを、兄さんに、見られてしまった……。
「言い争いをしている声が聞こえてきたから来てみたら……お前ら、一体何してんだよ!黙ってないでなんとか言えよっ?何をしてたんだ!?」
兄さんは、相当怒っている様子だった。
それも当たり前だろう。自分の弟と自分の友達が──キスをしている現場を、目撃してしまったのだから……。
「……何って、見れば分かるだろ?」
元希さんは兄さんの問いに、さらりとそう答えた。
そんな言い方をしたら、ますます兄さんが怒ってしまうじゃないか?俺はそう思ったけれど、俺たちの間に流れる空気に気圧されて、口を開くことができなかった。
「み、見れば分かるって……っ!」
兄さんは元希さんに言われて、少し顔を赤くした。
「俺は恭二が好きなんだ。だからキスをした。別に、お前が気にすることじゃないだろ?」
「なっ、何言ってんだよお前っ!?冗談……」
「冗談じゃない」
元希さんの告白を聞いて動揺をする兄さんとは裏腹に、元希さんは妙に落ち着いていた。
「恭二!お前はどうなんだ?!」
「え?どうって?」
いきなり兄さんに話を振られて、俺は逆に訊き返した。
「お前は元希のことを、好き…なのか!?」
兄さんにそれを訊かれて、俺は複雑な気持ちになった。
「俺は……」
俺が好きなのは……。
「おい忠志、それを恭二に訊くなんて、どうかしてるんじゃないのか?」
答えに詰まっている俺を見て、元希さんが怒気をはらんだ声で兄さんを咎めた。
「分かってて言ってるんだったら、お前、相当たち悪いぞ」
「元希……」
元希さんは、兄さんに何を言っているんだろう?
二人にしか分からない会話が、俺の前で交わされている。
元希さんに咎められた兄さんからは、さっきまでの勢いがなくなっていた。
「兄さん?一体なんの話をしてるの?」
兄さんと元希さんの態度を見て疑問を覚えた俺は、兄さんに訊いてみた。けれど、兄さんは俺の問いには答えずに、俺のことを見ているだけだった。
「元希さん、なんの話?」
今度は何も答えてくれない兄さんの代わりに、元希さんに同じ疑問を投げかけた。
「恭二、あのな──」
「元希っ!」
元希さんが口を開こうとした時、兄さんが元希さんの名前を叫んだ。
「忠志、黙ってろよ」
「うっ……」
兄さんは、元希さんに睨まれて口をつぐんだ。それを見て、元希さんは俺に向かって話し始めた。
「お前が好きなのは…忠志なんだよな?」
「元希さんっ!?」
兄さんが目の前にいるのに、なんでそんなことを言うんだよ!?
俺は元希さんに怒鳴ってやりたかったのだが、口を開く前に俺はあることに気づいた。
今の元希さんの言葉を聞いたはずの兄さんが、驚いた様子もなく、ただ、自分の足下を見つめていたのだ。
普通なら、このことを聞いたらひどく驚くはずなのに、兄さんはいたって平静だった。
それを見て、俺は今までの兄さんと元希さんの会話の意味を、すべて理解した。
──兄さんは、分かっていたのだ……。俺の気持ちを……。
それじゃあ、今までこの気持ちを必死で隠していた俺って……?
今までの自分を思い返して、俺はおかしすぎて顔が歪みそうになった。それと同時に、疑問が浮かんできた。
……分かっていて、兄さんはさっきの質問を俺にぶつけてきたってことか?
それって……。
俺は、泣きだしたいような、笑いだしたいようなそんな気分になって、頭を抱えた。
「馬鹿みたい……」
二人はずっと知ってたってことか?知らなかったのは、俺だけ……?
俺は大きなため息をついて、ベッドに腰をかけた。
「恭二……」
俺の様子を見た兄さんが、心配そうに声をかけてきた。
「兄さん…知ってたんだね?」
「……ああ」
「そっかあ……」
俺は手で目を覆いながら、ベッドに横になった。
なんだかか、もう何もかもどうでもよくなってきて、すべてぶちまけたくなってしまた。
「なら、もう隠す必要なんてないんだねー」
俺はわざと大きめな声を出して、兄さんに語りかけた。いや、一方的に話し出した。
「兄さんも知っての通り、俺が好きなのは兄さんなんだ。それを兄さんに知られたくなくって、ずっと隠してきてたんだけどね」
「ごめん、恭二……」
兄さんは、本当にすまなさそうに俺に謝ってきた。
謝られると、なんだかムカつく……。知ってて知らない振りをしていた上に、彼女まで紹介してくるなんて……。
「恭二…あのな──」
「……兄さん、お願い、出てって」
俺に何かを言おうとした兄さんに、俺はそう言った。
今は何も聞きたくない……。今聞いたとしても、何も受け入れることなんてできない。
「恭二──」
「忠志、今は一人にしてやろうぜ」
口を開きかけた兄さんを、元希さんが遮った。
「そう…だな」
兄さんは元希さんの言葉に素直に頷くと、部屋を出ていった。
「……忠志の部屋にいるから、気分が良くなったら、声をかけろよ?」
そう言って、元希さんも部屋を出て行こうとした。
「待って……」
俺は、そんな元希さんを引き止めた。
理由なんて分からない。ただ、行かないで欲しいと思ったんだ。
「どうした?」
「……話を、聞いてください……」
俺はぽつりと呟いた。
「分かったよ」
元希さんはそう言うと、部屋のドアを閉め、俺の横になっているベッドの端に腰を下ろした。
「……知ってたんですよね?」
「忠志が気づいてたってことか?」
「はい……」
「ああ、知ってたよ」
「いつから……?」
「一年前に、忠志に相談をされた」
「そう…なんですか」
「ああ……」
一年前か……。結構前からだったんだ。
「言っとくけど、俺は何も言ってないからな」
元希さんが、強調するように言ってきた。
「あなたがそんなことする人じゃないのは、分かってます」
俺は元希さんの言葉に、少し笑いながら言った。
元希さんは、すべて知っていた。俺が兄さんを好きなことも、兄さんが俺の気持ちに気づいていたことも、すべて……。
それらを知っていた上で、今までこうやって過ごしてきたのだから、元希さんはそうとうすごい人だと思う。その上、俺のことを好きになってくれたのだから……。
「……さっき、元希さんとキスしてるところ、兄さんに見られたじゃないですか?」
「おう」
「あの時、正直言って、そんなにショックを受けなかったんですよね。ただ、『あ……見られた』って感じで……」
「おう」
「それと、兄さんに、あなたのことを好きかって訊かれた時……」
「あれは、仕方ないだろう……。普通は答えられないって」
「答えられないのは、そうだったんですけど…違う想いもあったんです」
俺はゆっくりと上半身を起こして、元希さんを見る。そして、元希さんをじっと見据えた。
俺は変だ。どうにかしている。
俺が好きなのは兄さんのはずなのに、あの時兄さんに問われて、すぐに否定することができなかった。
普通ならその場で、『元希さんのことは好きじゃない』と言えるはずなのに、それができなかった。
「俺、絶対変です。あの時、兄さんの問いを否定することができなかった……。元希さんを…好きじゃないとは、言えなかった……」
最後の方は、声が掠れてしまい、上手くしゃべれなかった。
俺はシーツをぎゅっと掴むと、唇をかみしめた。それでも、元希さんからは目を逸らさなかった。
「それって、俺を好きってことか?」
元希さんに訊かれて、俺は首を横に振った。
「なんだよそれ?」
元希さんが呆れたように、苦笑をもらす。
元希さんが呆れるのも仕方ない。俺だって、こんな俺自身に呆れているのだから。
自分のことなのに、自分の気持ちなのに、全く分からない。まるで霧がかかっているかのように、自分の気持ちが見えない……。
「……なあ、恭二」
元希さんがシーツを握りしめている俺の手に、自分の手を重ねてきた。その手の温もりを感じて、俺はどこか安心するような気持ちになった。
「忠志への報われない恋なんかやめて、俺との新しい恋を選ばないか?」
優しい声で言ってくる元希さん。でも、俺はそれにまたも首を横に振った。
「どうしてだよ?」
「……元希さんのことは、好きにならないって言いました……」
「お前なー」
元希さんがおかしそうに笑い声をあげた。けれど、すぐに真剣な声で俺に言ってきた。
「俺を好きになれよ」
「嫌です」
それでも俺は、頑なに『はい』とは言わなかった。というか、言えなかった。
「なんでだよ」
なんでって言われても……。
やっぱり、まだ俺は兄さんのことが好きな気持ちがあるからか?それだから、元希さんを好きになることはできない…のかな?
「ちゃんとした理由を言えよ」
元希さんが訊いてくるけれど、俺にだってはっきりした理由は分からない。だから、なんて答えていいのか言葉に詰まってしまう。
「えーと…その…元希さんが……男だから?」
「は?忠志だって男じゃないかよ?」
「それもそうですね……。じゃあ、元希さんを好きにならないって言ったから?」
「なんだよそれ?なんかな傷つくんだけど。しかも、どっちも疑問形だしよ」
拗ねたように眉を寄せる元希さんの顔を見て、俺は思わず笑ってしまった。
「笑い事じゃねえよ」
「すみません」
俺がなおも笑っていると、不意に元希さんが俺を抱きしめてきた。でも、今回は抵抗することはせず、その腕の中に大人しくおさまっていた。
「ぜってえ、俺のことを好きにならせてやる」
耳元で低く囁かれた声に、俺は顔が熱くなるのを感じた。
「好きになりません」
俺は反射的にそう答えていた。
「あほっ。嘘でも『はい』って言えよ」
「嘘はつきませんから」
俺は微かに笑顔を浮かべながら、元希さんに言った。
──元希さんなら、まだ兄さんを好きな俺を、何も言わずに受け止めてくれるような気がする。
俺は、少しだけど、元希さんを好きになりかけているのかもしれない。けれど、今はまだ、はっきりそうだとは言い切れない。
まだ当分、自分の気持ちの答えが出そうにもないな……。
俺は元希さんの腕に抱かれながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。「あっ!」
突然声を上げた俺は、元希さんの腕から抜け出して立ち上がった。
「なんだよ?せっかく、いい雰囲気だったのに」
元希さんは不服そうに言うと、立ち上がった俺を見上げてきた。
「兄さんに謝らなきゃ」
「はあ?あんな奴、放っとけばいいじゃねえか?」
「そういうわけにはいきません」
俺は元希さんに言うと、さっさと兄さんの部屋に向かった。
「……あーあ。なんでこうなるかなあ?本当に、いい感じだったのにー」
元希さんは俺の後ろについて来ながら、ぶつぶつと文句を言っていた。
「兄さん?」
俺は兄さんの部屋をノックし、兄さんの返事を待つ。
「ノックなんてしないで、勝手に入っちまえばいいのに」
「俺はあなたとは違いますから」
「なんかヤな言い方」
「黙っててください」
兄さんの部屋のドアが開くのを見て、俺は元希さんに黙るように言った。
元希さんが小さな声で何かを言ったみたいだったが、俺はそれを無視した。
ゆっくりと開いたドアから、兄さんが躊躇いがちに部屋の外に出てきて、俺に声をかけた。
「恭二、その…落ち着いたか?」
「うん、なんとかね。……兄さん、俺、兄さんに謝らなきゃと思って。迷惑かけて、ごめんなさい」
「や、やめろよ!謝るなって」
頭を下げた俺に、兄さんは慌てたように俺の肩を掴んで上を向かせた。
「謝るのは俺の方だ。お前の気持ちを知っていて、今まで、お前が辛くなるようなことをしてきたんだから……」
「兄さん……」
ごめんと謝ってくる兄さんに、俺は何を言っていいのか分からずに兄さんを見ていた。
兄さんも、辛かったんだろうな……。俺が、兄さんを好きになったばっかりに……。
「自分を責めちゃいけないぜ」
元希さんが俺の頭に手を置きながら、言い聞かせるように言ってきた。
その優しさが嬉しくて、涙が出そうになってしまった。でも、俺はそれを必死で抑えると、元希さんの手を払って、
「こうなったのも、あなたのせいでもあるんですよね?本当に謝るべきなのは、あなたのような気がします」
と、少し偉そうに言った。
どうして俺は、こういう時に素直になれないのだろう?
「なんで俺が!?嫌だぜ!?」
元希さんは大げさに驚きながら、抗議の声を上げた。
「まあ、恭二の言うことも一理あるな」
「忠志まで?!」
兄さんにまで言われた元希さんは、俺と兄さんを交互に見てから、観念したかのように一言、
「すいませんでした……」
と言った。
そんな元希さんがおかしくて、俺と兄さんは顔を見合わせると、二人同時に吹き出してしまった。
「なんでそこで笑うかな?すんげームカつくんだけど」
そんな俺たちの姿を見ながら、元希さんは顔をひきつらせていた。でも、その顔には安堵したような笑顔が浮かべられていた。
兄さんに謝った後、俺は自分の部屋に戻った。なぜか元希さんも一緒にいる。
「なんであなたもここにいるんですか?」
「いーじゃんか」
「……まあ、部屋にいるのはいいとしましょう。けど、なんでこんなに近いんですか!」
俺は身を仰け反らせながら、元希さんに怒鳴った。
今の俺と元希さんとの距離は、十センチ離れているかどうかというくらい近いものだった。
「照れんなよ」
「照れてる訳じゃありません!迷惑がっているんです!」
俺は精一杯怒鳴るが、一向に元希さんはどけてくれる気配はなかった。どっちかというと、近づいてきているように感じる。
「さっき、せっかくいい雰囲気になったのに、お前ったら忠志に謝るとか言って俺から離れて行っちゃってさー。正直、ショックだったんだよなあ」
「な、何を言ってるんですか?」
近づいてきた元希さんの顔がまともに見れなくて、俺は目を伏せた。
今まではなんとも思っていなかった元希さんの顔が、急に見れなくなってしまっていた。これは、元希さんを意識しているということなんだろうか。
そう思うと、自然と顔が熱くなってしまう。
「恭二、顔赤いぞ?」
「だ、誰だって、こんなに顔を近づけられたら、赤くなるに決まってます!」
「ふーん」
元希さんは楽しそうに相づちを打つと、唇が触れるか触れないかというくらい近くまで顔を近づけてきた。
俺はそれに顔がもっと熱くなるのを感じ、それと同時に、心臓の鼓動が速くなったのも感じた。
「なあ、キスしてもいいか?」
元希さんが喋ると、息が直接唇にかかり、俺は一瞬身を震わせた。
「なあ、してもいいか?」
低く囁いてくる元希さんに、俺は緊張のしすぎで声が出てこなかった。
「何も言わないと、しちまうぞ?」
元希さんは言うと、俺に唇を重ねてきた。柔らかくて温かい唇の感触が伝わってくる。
元希さんは何度も角度を変えながら、啄むようにキスをしてきた。
「はっ……」
俺は息が苦しくなってきて、酸素を求めて少し口を開いた。
その瞬間、元希さんの舌が俺の口腔内に侵入をしてくる。
「ん……」
元希さんの舌が俺の口腔内を犯すように動いてくる。俺は耐えられなくなって、元希さんを突き飛ばした。
「恭二?」
「こ、これ以上は無理です!す、好きになっていない人とは、できませんっ!」
俺は元希さんの唇の感触が残っている口を押さえながら、叫ぶようにして言った。
それに一瞬元希さんは眉をひそめたが、次の瞬間には笑顔になり、
「それなら、早く俺を好きになれよな?そんで、続きを楽しもうぜ?」
と、俺をからかうような口調で言ってきた。
『続き』という言葉に俺は顔をひきつらせながら、なるべく強気な口調で言う。
「す、好きになるのなんて、いつになるか分かりません!もしかしたら、ならないかもしれないでしょう!?」
「いや、なるな」
……その強気な発言は、一体どこから出てくるのだろう?
俺はそんな疑問を浮かべながら、元希さんを見る。
優しい表情を浮かべながら、元希さんは俺を見ていた。その表情を見ていると、元希さんのことを好きになったような錯覚に陥ってしまう。
俺はそんなことを思いながら、さっき元希さんに言われたことを思い出した。
『忠志への報われない恋なんかやめて、俺との新しい恋を選ばないか?』
今している、この報われない恋をやめる時は、それ以上の恋をした時と決めていた。それまでは、この恋を続けていきたいって……。
今がその時なのかな?
元希さんの顔を見ながら、俺は頭の片隅でそんなことを思っていた……。
【END】
20070619
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