SS

言葉も必要



 お前が近くにいると暖かくって、落ち着く。
 お前に後ろから抱きしめられると、大きい躰に包まれていて安心できる。
 お前がふとした時に、さり気なく手を握ってくれると嬉しくなる。
 それだけされていれば、愛されてるなって感じるよな?実際俺も、すごくそう思っている。
 けれど、それも大切なんだけど、俺ってばそれだけじゃ足りなくなってるんだ。
 お前に、『好き』って言って欲しい──。
 こんなことを思ってしまう俺は、我が儘なんだろうか?
 ……いや、これくらい思ったって、バチは当たらないよな?
 俺は、お前に一度も『好き』って言ってもらったことがない。だからその分、俺は毎日お前に『好き』って言ってるんだけど……。
 お前がそういうことを言わない奴だってのは、俺も重々承知しているつもりだ。
 でも、時々どうしても聴きたくなるんだ。お前の口から出てくる、『好き』って言葉は、どんな風に聴こえるんだろう──って。
 あの俺の好きな低く澄んだ声で言う愛の囁きは、いったいどんななんだろうか?
 ……『愛の囁き』だって……。俺ってば、何恥ずかしいこと考えてんだろ?




「……泉実(いずみ)」
 泉実に後ろから抱きしめられながら、俺は聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いた。
「ん?どうした、隆弥(たかや)?」
 俺の声は泉実にちゃんと聞こえていたらしく、泉実は俺を抱きしめる腕に少し力を込め、俺の耳に口を近づけながら訊いてきた。
 ほんとに俺は、泉実のこの声が好きだ。
 泉実の声は耳に心地よく響いて、心が暖かなるような感じになる。
 この声で名前を呼ばれたりすると、自分の名前が特別に聞こえる。それくらい泉実の声が好きだ。もちろん、泉実自身も大好きだ。
 だから、一度でいいから、泉実にあの台詞を言って欲しい……。
「なんでもない。ただ、呼んでみただけだ」
 俺はもっとくっつくように、泉実の胸に躰を沈み込ませた。
「何か悩みでもあるのか?」
「……何で?」
「だって、いつにも増して甘えてきてるみたいだし」
「そう感じるか?」
「ああ」
 泉実って、どこまでちゃんと俺のことを見ていてくれてるんだろう。
 それがたまに疎ましく思ったりもするけれど、本当の所は嬉しくて嬉しくてたまらない。
 だって、それだけ俺のことを見ていてくれてるってことだと思うから。それだけ俺のことを思っていてくれてるって、感じられるから。
「悩みがあるなら、俺に言えよ?ため込んでおくのは辛いだろう?」
 泉実は本当に優しい声で心配してくれる。
「悩み──か……」
 思い切って、泉実に訊いてみよっかな?でも、泉実の方から自然と言ってくれる方が嬉しいよな……。
「……まあ、言いたくないんだったら無理しなくてもいいんだがな」
 悩みながら黙っていた俺の様子を見た泉実が、苦笑混じりな声で言って、俺の頭に顎をのせてきた。
「……別に、無理はしてないけど、何て言うか…よ……」
 俺が煮え切らない返事を返しながら、もごもごと言葉になり切っていない言葉を繰り返していると、
「恥ずかしいことなのか?」
 と、泉実が訊いてきた。
 まあ、恥ずかしいことと言われれば、恥ずかしいことのような……。
 泉実に言われて、少し悩んでしまった。
「……やっぱり、何でもない」
 俺は少しだけ考えた末、そう言った。
 やっぱり、重要な言葉は言ってくれと頼むより、向こうから自然と言ってくれた方が何倍も嬉しいに決まっているから、口には出さずに心の中にしまっておこう。と、そう思った。
「そうか?」
「ああ。……泉実」
「何だ?」
「好きだぜ」
 泉実に言って欲しかった言葉を、いつものように自分で言ってみた。その言葉に、いつもよりも多くの気持ちをのせて……。
「ああ、分かってる」
 泉実もいつもと同じ言葉で返してくる。
 いつもと同じのも悪くはないけれど、いつもより気持ちを込めていた分、そして、あんなことを考えていた分、今日はいつにも増して気落ちしてしまった。
「隆弥……」
「──っ!」
 俺が少し落ち込んでいると、泉実が俺の耳元に息がかかるくらい口を近づけながら、名前を呼んできた。
 突然でびっくりしたのと、ちょっと感じてしまったのがプラスされて、つい反応してしまった。
 そんな俺の反応を見て、泉実はクスリと一つ笑った。
 自分のした反応と、それを見て笑った泉実の反応が恥ずかしくて、顔が熱くなっていくのを感じた。
「わ、笑うんじゃねえよ!」
「悪い悪い」
「ばっ──!耳元で喋るんじゃねえって!」
 俺はなおも耳元で話してくる泉実を怒鳴ると、その腕から逃れようともがき始めた。
 だが、いくらもがこうが泉実はくすくすと笑いながら、決して俺を放そうとしなかった。逆に、腕に力が込められたように感じられる。
「泉実、放せ!」
「嫌だな」
「い、嫌って、お前……」
 泉実にしては珍しい言葉を聞いて、俺はもがくのをやめた。
 泉実がこんなことを言うなんて、滅多にないから驚いた。いつも俺がやめろと言ったらすぐにやめてくれるのに、今日はいったいどうしたというんだろう?
 俺が疑問に思いながら泉実の顔を見てみると、優しく微笑みながら俺のことを見ていた。
「泉実……?」
 泉実の名前を呼ぶと、俺を抱きしめていた腕を解き、俺の顎を少し持ち上げてキスをしてきた。
「──っ!?」
 突然のその行動に驚いて目を見開く。そして、その次の言葉を聞いて、俺は柄にもなく泣きそうになった。
「隆弥……、愛してる」
 泉実はそう言って、真っ直ぐ俺の目を見てきた。
 俺は泉実に見つめられながら、ついさっき言われた言葉を頭の中で思い出していた。
 それは、今までずっと聴きたかった泉実からの愛の囁き。俺の想像していた言葉とは違うけれど、ずっと、ずっと待っていた言葉。
 ……言われたら嬉しいだろうとは思っていたけれど、今俺の感じている嬉しさは、予想を遥かに超えていた。
 泉実の口から紡がれた言葉は、まるで媚薬のように俺の中に入ってきて躰中が熱くなっていく。
 おそらく、今の俺の顔は、真っ赤になっているに違いない。
 それが分かっているからこそ、俺はつい意地になって、素直な態度がとれないでいた。
「ばかっ!い、いきなり何を言ってんだお前は!?」
 俺は言いながら、泉実から顔を逸らす。恥ずかしくて、まともに泉実の顔を見ていられないと思ったのも理由の一つだが、本当の理由は、泉実の顔が滲んで見えてきたことにあった。
 あまりの嬉しさに、涙が滲んできてしまったのだ。
「隆弥?」
 泉実が逸らした俺の顔を覗き込んでくる。
「泣いて、るのか?」
「ばっ!そんなんじゃねえよ!」
 そう言いつつも、俺の頬には一筋の涙が伝っていった。
 こうなってしまったら、いくら言っても否定などできるわけがなかった。
「お、お前が、いきなりあんなこと言うから……」
「嫌だったのか?」
「いや…じゃなくて……」
 俺は震える唇を噛みしめながら、ゆっくりと泉実を見る。泉実は心配そうに、俺の様子を伺っていた。
 早く理由を言わなければ、泉実に誤解されてしまう。だが、口を開こうとしても、涙が次から次へと溢れて止まらず、喋ることができなかった。
「嫌じゃないなら……、その反対ってことか?」
 泉実に言われて、俺は小さく頷いた。そして、なんとか口を開く。
「今まで…泉実に、そんなこと、言われたことなかったし、言って欲しいと、思ってたから、うれ…しくて……」
 俺がつっかえりながら言うのを、泉実は頷きながら聞いていてくれた。
「だから…つい、涙が、でちまって……。女みたいで、格好悪い……」
 俺は言ってから大きく息を吸って、服の袖で乱暴に涙を拭った。
「……格好悪くなんてないさ」
 泉実が微笑みながら、包み込むように抱きしめてくれた。
 泉実のゆっくりと規則正しい鼓動を聞いて、泉実の胸の暖かさを感じて、俺は涙が止まらなくなってしまった。
 泉実の胸が涙で濡れてしまうと思いつつも、俺は泉実の胸に顔を埋めた。
「すまなかったな、隆弥。俺、お前を不安にさせていて……」
 俺の髪を梳きながら、泉実が言う。
「本当なら、隆弥みたいに毎日でも言ってやりたいんだが…その…なんだ……」
 泉実はそこまで言って、黙ってしまった。
 それを不思議に思った俺は、泉実から躰を離して泉実の顔を伺う。
「どうした?」
 バツの悪そうな顔をしながらそっぽを向いていた泉実に、俺はそう訊いた。
「だから、その……。恥ずかしいって言うか……」
 泉実は頬を指で掻きながら、小さな声で言った。
 その様子は照れているようで、初めて見た泉実のその様子に、俺は目を丸くした。
「泉実でも恥ずかしいことってあるんだな。いつもは口に出せないような恥ずかしいことを、言ったりしたりするくせに」
「それとこれは別だ」
 思ったことを口にした俺に、泉実は苦笑すると、
「俺はどちらかというと、こっちの方で表現する方が得意なんだ」
 と言って、俺を押し倒してキスしてきた。
 いつもと同じキスなのに、いつも以上に優しく、熱く、泉実の想いが伝わってくるような気がした。
 俺は泉実にキスをされながら、泉実の言ってくれた言葉を思い出していた。
『愛している』
 今までずっと欲しかったその言葉を泉実の声と共に思い出し、躰の奥が甘く疼きだした。
「んっ……、いず…み」
 泉実の首に腕を回し、より一層激しく口づけを交わす。
 ずっと言って欲しかった言葉を、さっきやっと聴けた。
 今までお前が言ってくれなかったのは、照れていたからだって知れて、俺は何だか微笑ましい気持ちになった。
 もう一度言ってくれる日はないかもしれないけれど、それはそれでいいかな?って思う。
 今は、さっきもらった一言で十分だ。
 低く、優しい声で言ってくれた一言……。あの言葉は、一生俺の耳から離れることはない。
 これからも、お前が言わない分は俺が何度でも言うことにするよ。
 さすがにまだ、『愛してる』とは言えないだろうけどさ。
 俺はそう思いながら、泉実に躰を預けた。



【END】