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sad memory



 夕暮れに照らされ、並木道に並ぶ紅葉たちが眩しいくらい真っ赤に染まる。
 風に吹かれ、カサカサと葉の擦れる音が妙に耳に心地いい。
 毎年変わらないこの景色。変化のないこの景色が俺は大好きだ。あの時のことを思い出してもしまうけれど、それでも好きだ。
 紅葉深まるこの時期、俺はこの場所に一人で足を運んでいる。
 一人なのには理由がある。
 のんびりと誰にも邪魔されずにこの紅葉の中を歩きたいというのと、あいつにはできるだけ思い出して欲しくはないという理由……。
 ──ここは、あいつの大切な人と最後に逢った場所。
「あの時から、もう二年……、か……」
 俺はあの時のことを少し思い出しながら、ぽつりと呟いた。
 あいつはもう、忘れることはできただろうか。……いや、忘れるなんてこと、できるわけがないか。
 俺は立ち止まり、空を見上げた。
 澄んだ雲一つない茜色の空が視界に広がる。
 俺が仮にあいつと同じ立場にあったとしたら、忘れてしまうことなんてできるわけがないと思う。
 それが分かっているからこそ、俺はあいつに打ち明けることができないんだ。あいつの一番はあの人だから……。
 あの人があいつの心の中にいる限り、俺が入る隙間なんてこれっぽっちもない。
 こんなにも──、
「愛しく想っているのに……」
 俺の言葉が、静かな空気の中に溶けていく。
 自分の気持ちに気づいた時、あいつの隣には既にあの人がいた。
 あいつより十歳年上の、とても頼りがいのあった彼女……。
 あいつは彼女のことを、『ただの友達』と言っていたが、俺にはそんな風には見えなかった。
 二人のつき合い方は、本当にただの友達のようなつき合い方だったけれど、あいつの気持ちは友達以上だったに違いない。
 俺に彼女の話をする時、今までに見たことのないくらいの笑顔を浮かべていたし、逢えない時は凄く寂しそうな顔をしていた。
 本当にあいつは、彼女のことが大好きだったんだ。俺はそれを思うと、今でも胸が強く締め付けられる。
 それが何でなのか気づいたのは、友達に好きな奴はいないのかと訊かれた時だった。
 『好きな奴』と言われて、真っ先に浮かんできたのがあいつの顔だったんだ。
 それが浮かんできた時、正直かなり驚いた。
 何で?何であいつの顔が浮かんでくるんだ?……俺は、あいつが好き…ってことなのか?
 それは受け入れがたい感情だったけど、嫌な気はしなかった。だからか、自分の胸の痛みの理由が分かった途端、気分が一気に落ちていくのが分かった。
 それは、友達だと思っていた奴にこんな感情を抱いてしまったというショックと、自分の中に生まれていた嫉妬心のせいだと思う。
 俺は無意識のうちに、彼女に嫉妬をしていたのだ。いつもあいつが話している彼女に。
「アホらしい……」
 ため息をつきながら、そんな自分に対して呟いた。
 空は徐々に暗くなってきていて、街灯には灯りが付き始めてきた。
 どれくらい空を見上げていただろう。突然後ろから背中を叩かれ、俺は驚いてばっと振り返った。
 そこにいたのは……。
「朋和(ともかず)っ!?」
 あいつだった。
「何かいい物でも浮かんでた?」
 朋和は微笑いながらそう言って俺の隣に来ると、空を見上げた。
「な、何でお前、こんな所にいるんだ?」
 まだ驚きから覚めていない俺は、空を見上げている朋和に訊く。
「何でって……。お前が部屋にいないから、もしかしたらここにいるのかなー?って思って来てみた」
 そしたら案の定いた。と、空を見上げたままの状態で朋和は言う。
 薄明かりに照らされている朋和の横顔はどこか愁いを帯びていて、思わず見蕩れてしまいそうだった。
「お前、ここ好きだよなー」
 空を見上げていた朋和は、顔をそのままに目だけをこちらに向けた。
「……好きだぜ。だって、静かだし紅葉が綺麗だし」
 何で俺がここにいると思ったんだ?という言葉を飲み込んで、俺は薄明かりの中に浮かんでいる木を見上げた。
 もうすっかり暗くなっているせいで色は判らなくなっているが、先ほどまで見ていた光景が頭の中に映し出される。それと同時に、それまで考えていたことも思い出された。
「おれ、さ……」
 俺が複雑な気持ちで木を見上げていると、朋和がぽつりと呟いた。
「おれ、ずっとお前に言いたいことがあったんだよね」
 朋和はそう言うと、俺を正面から見据えるようにこっちを見てきた。その顔に笑みは浮かんでおらず、真剣な表情が浮かんでいた。
「何だ……?」
「おれな、今でも彩加(さやか)さんのこと思い出しちゃうんだ」
「……そう」
 彩加さんとは十歳年上の彼女のこと。なぜ朋和が今そんな話をしてくるのか全く意図は掴めないが、俺は黙って話を聞くことにした。
「彩加さんってさ、女の人なのに男みたいな性格しているせいか、おれ、いっつも女々しいって怒られてたんだよね」
「ああ……、知ってる」
「そのせいなのかな?分かんないけど、彼女には何でも話せたんだ」
 やめてくれ。
 そう言いたかったが、朋和の真剣な顔を見たら、それを言い出すことはできなかった。
「でな、おれ、お前にだけは相談できないことを彼女に相談してたんだ」
「…………」
「そして言われたんだ。『男ならうじうじ悩んでないでさっさっと行動に移しな』って。まあ、男だから行動に移せなかったってこともあったんだけど」
 朋和はそこまで言って、自嘲的に笑ってから俺を見た。
「彼女にそう言われて、もう二年近くも経っちゃったんだけどさ……。おれ、ようやく決心がついたんだ。……おれが本当にお前に言いたいのはこれからなんだ」
「何だ……?」
 もうこれ以上、朋和の口から彼女の話を聞きたくないと思っているのに、俺はそう朋和に訊いていた。
「…………」
「おい?」
 俺が訊いた途端、朋和は急に唇を噤んで俺をじっと見つめてきた。その瞳は、先ほどとは打って変わって少しだけ揺れていた。
「……おれ──お前が好きだ」
 ──え?
 朋和の言ったことが信じられなくて、俺は言葉に詰まり、何も言うことができなくなった。
 ただただ驚いているだけで、まともに頭が働いていない。
 二人の間に流れる微妙な沈黙。風が通り過ぎ、葉のこすれる音だけしか聞こえてこない中、沈黙を破ったのは朋和だった。
「突然こんなこと言われて驚いてると思うけど、冗談じゃないから」
「でも、お前──」
「おれが好きなのは彩加さんだと思ってた?」
「あ、ああ……」
「だろうな」
 答えた俺に、朋和はクスリと笑うと先を続けた。
「お前、おれが彩加さんの話をする時、いつも不機嫌そうな顔してたもんな。現に今もそうだし」
「それは……」
 こいつ、気づいていたのか。俺、そんなに分かり易く態度に出ていたってことか?
 俺は朋和の言葉を聞いて、複雑な気持ちで朋和を見る。
「おれ、一時期彩加さんを好きだって思っていた時があったんだけどさ……。その時にお前のことの方がずっと好きなんだって気づいたんだ」
「それは、どういう意味だ?」
 朋和の言っている意味が分からず俺は訊く。
「彼女といる時な、必ずと言っていいほどお前と彼女を比べてたおれがいたんだ。お前ならこの時はこうするだろう。お前ならこう言ってくれるだろうって……」
 朋和は言うと、ふっと笑った。
 その顔は、今まで見てきた中で一番儚く、美しいものだと思った。
「まあもっとも、それを本当の意味で気づいたのは彼女に告白した時だったりするんだけど」
 告白……、したのか。
 俺はそれを聞いて、妙に胸の辺りがざわつくのを感じた。
 この感じも、嫉妬…なんだろうな。
「で、その時に言われたんだ。『あんたの心の中には、私じゃない他の奴がちゃんといるでしょ?』ってさ」
 朋和はそこまで言ってから、笑みを浮かべたままの表情で俺を見つめてきた。
 朋和と目を合わせて、俺は自分の心臓が大きく高鳴るのを感じた。
 俺は何も言う言葉も見つからず、ただじっと朋和を見ていることしができない。何かを言わなければと思うのだが、口に変な力が入っているみたいに口が開かない。
「彼女に言われて、一番始めに出てきたのがお前の顔だった。それで確信したんだ。おれの心ん中にいるのはお前で、おれの好きなのはお前なんだって」
「俺……」
 嬉しい。たったその一言すらも出てこない。こんな自分の口がすごく憎たらしい。
 俺が自分自身を嘆いていたその時、俺たちが立っている並木道に一陣の風が吹いた。
 木々は揺れ、風に乗り葉が舞う。
 風の過ぎ去る音と葉のざわめく音が俺たちを纏う。
 その風も通り過ぎ、再び静かな音が戻ってくる。それと共に、俺は口を開いた。
「……好きだ……。俺もお前が好きだ」
 俺のその言葉に朋和目を見開くと、勢いよく俺に抱きついてきた。
 どんっと胸に強い衝撃を受け、俺はそれを受け止める。
「……ありがとう」
 朋和を胸に受け止め、そう口を開いた。
 好きになってくれて、告白をしてくれてありがとう。
 そんないろんな思いを込めた一言……。
「おれ、振られるかもって覚悟してた……」
「何で?」
「だって……、あまりにも時間が経ちすぎていたから」
 朋和は俺の胸に顔を埋めたまま、震える声で言う。
 朋和の言う通り、時間はずいぶんと流れていた。
 だが、俺が朋和を愛しく想う気持ちは、どんなに時間が流れていても変わることはなかった。それだけ俺は、朋和のことを深く想っていたんだ……。
「俺がお前を振るわけがないじゃないか?お前も、それは薄々感じてたんじゃないか?」
「……。ちょっとだけ……」
 俺の胸に埋めていた顔を上げ、微笑みを浮かべて朋和は言う。
 少しだけ泣いたらしい朋和の瞳は、微かな光に照らされてとても綺麗だった。
 俺はその瞳に吸い込まれていくかのように、ゆっくりと朋和に顔を近づけていく。それに気づいた朋和は、ゆっくり瞼を閉じた。
 優しく触れ合うお互いの唇。
 暖かな温もりと、柔らかい感触。初めて触れたこの感触は、忘れることはできないと思う。
 ゆっくり、名残惜しいような気持ちで唇を離していく。
 自然と見つめ合う俺と朋和。
「……彼女に感謝しないとだな」
「彩加さんに?」
「俺たちに本当の気持ちを気づかせてくれてありがとうって」
「『たち』?」
 朋和は不思議そうに言い俺を見上げてくるが、俺はそれに笑顔を向けるだけで答えず、変わりに朋和をぎゅっと抱きしめた。
「もう少し、こうしてていいか?」
「うん……」
 静かな夜の並木道に浮かぶ、俺と朋和のシルエット。
 遠くの方で微かに聞こえたような気がした葉を踏みしめる音は、俺の気のせいだろうか……。



【END】