SS

一番の理解者



『時には、悩んで立ち止まることも、お前には必要だと思うぜ?』
 手にしている受話器の向こうから聞こえてくる、あいつの声。
 俺の思っていることを何でも言える、唯一の奴……。
「そう…か……?」
『ああ。お前は、すべてを簡単に受け入れすぎるんだよ。拒んだって、悩んだって、バチは当たらないんだぞ?』
「うん……。でも……」
『でもは無し!』
 俺が言うよりも早く、あいつが言った。
『でもって言うより前に、一回でもいいからやってみろよ?やってみなきゃ、結果なんて分かんないんだから』
「ああ……」
 優しく言ってくるあいつの声に、俺は何だか泣きそうになってきた。
 最初、あいつに電話をかけたのはいいけれど、何て言ったらいいのか分からなかった俺に、あいつは俺の欲しかった言葉をくれた。
 俺の考えていたことを見透かしていたかのように、次々と話していってくれる。
 ──俺をちゃんと理解してくれているようで、それがすごく嬉しかった。
「ありがとう。いつも、ほんとにありがとう」
『何だよ、急に改まって』
「お前は、ちゃんと俺のことを解ってくれてるんだなって思ったから」
『そんなの当たり前じゃん。好きな奴のこと、理解できなくてどうするよ』
「え……?」
 あいつの言った言葉が衝撃的すぎて、思わず呆気に取られてしまった。
 でもすぐに、それは別に深い意味はないんだろうなって思ったから、
「ありがとう」
 と笑顔を浮かべながら返した。
『……お前、俺の言った意味、解ってねえだろ?』
「意味?」
 俺はあいつの言っていることが解らなくて、相手が目の前にいないというのに首を傾げた。
『ま、お前のそういうところが、いーんだけどさ』
 あいつは受話器の向こうで笑うと、
『明日、俺の言った意味ちゃんと教えてやるから覚悟しとけよ?』
「は?覚悟って?」
『んじゃ、また明日な』
 俺の質問には答えずに、一方的に電話を切った。
 覚悟って、いったい何のだ?
 俺は電話の切れた受話器を眺めながら、疑問符を頭に浮かべていた。
 ……明日になれば解るんだよな。
 もう一度首を傾げ、疑問が晴れずにもやもやした気持ちのまま、俺は眠りに落ちていった。





 通勤や通学で賑わう駅のホーム。俺は会社に出勤するために、そこで電車を待っていた。
 今の時間は、会社員よりもどちらかというと学生の方が圧倒的に多い。
 つい二年前まで大学に通っていたせいか、高校生の制服を見ると、とてつもなく懐かしく感じてしまう。
 あの頃は若かった……。そんなオヤジみたいなことを思ってみたりする。
「よう」
 俺が高校生を見ながら懐かしさに浸っていると、後ろから背中を叩かれた。
「ああ、おはよう」
 俺の背を叩いてきたのは、昨夜の電話の相手…坂上雄一郎(ゆういちろう)だった。
 雄一郎とは高校からの友達で、大学は違ったのだがずっと仲良くしていて、偶然にも同じ会社に就職をしたのだ。
「昨日はちゃんと眠れたか?」
「ああ、おかげさまで。聞いてくれてありがとうな」
「あれくらいどーってことないっての。俺は、お前のためなら何でもするから、いつでも言えよ」
 雄一郎は歯を見せながらニカっと笑うと、俺の頭に手を乗せてぽんぽんと軽く叩いた。
 雄一郎の笑顔は、不思議と俺に元気をくれる。嫌なことがあったとしても、雄一郎の笑った顔を見ると気持ちが和らぐんだ。
 それに、雄一郎の笑った顔は同性の俺から見ても格好いいと思う。
 そう感じるのは俺だけではないとだろう。実際に今も、偶然に雄一郎の笑った顔を見たらしい女子高生や男子高生たちが、ぽーっとしながら雄一郎を見ている。
「ん?どした?」
「何でもないよ。それよりさ、昨日の電話の最後に言っていた『覚悟』って何のことなんだ?」
「まあまあ、慌てない慌てない。それはもうちょっと後になってからな」
 意味あり気に雄一郎は微笑んだ時、丁度俺たちの乗る電車がホームに入ってきた。
 結局この時俺の疑問が晴らされることはなく、それが晴らされたのは会社が終わった後だった。





「なあ、いつになったら話してくれるんだ?」
 賑わいを見せる夜の居酒屋。俺と雄一郎は今、会社の帰りによく通っている、最寄り駅の近くにある居酒屋へと来ていた。
 今の時間はさすがに会社帰りなどの人が多く、とても賑やかで込み合っていた。
「うーん?あ、日本酒追加お願いしまーす!」
「はーい、只今ー」
 俺の話を聞いているのかいないのか、雄一郎は酒の追加を注文する。
 雄一郎は酒にとても強く、俺は雄一郎が酔っているところを見たことはなかった。
 当の俺はあまり酒は強くないので、今は烏龍茶を飲んでいる。
 酔って記憶がなくなるということはないのだが、酔うと涙脆くなってしまい、すぐに泣いてしまうので、あまり飲まないようにしているのだ。
「俺の話、聞いてるか?」
「もちろん。けど、こんなうるさい所じゃ、ちゃんと話しもできない。どうだ?これから俺の家に来ないか?そこなら静かだし、落ち着いて話ができる」
「別に、異論はないが……」
「じゃあ決定」
 運ばれてきた日本酒に口を付けながら、雄一郎はにっこり笑った。
 その顔を見て俺は、酒を飲んでいるわけでもないというのに顔が熱くなるのを感じ、それをごまかすかのように、残りの烏龍茶を一気に飲み干した。





 あの後、居酒屋を後にした俺たちは、他愛もない話をしながら、歩いて雄一郎の家に向かった。
 雄一郎は、駅の近くのマンションに大学の頃から一人暮らしをしていて、俺は昔からよく寄っていたりしていた。
「ただいまー」
 これはもうすでに雄一郎の習慣となっているらしく、誰もいない部屋に向かってあいさつの言葉を言う。
「お邪魔します」
 俺も、いつものように言って部屋に上がる。
 よく見慣れた部屋の光景。綺麗だとは言えないけれど、男の一人暮らしにしては片づいている方だと思う。
 俺は上着を脱ぎ隅の方に置くと、ネクタイを緩めながら床に腰を下ろす。
「ビール飲む?」
「お前、まだ飲む気か?」
 冷蔵庫からビールの缶を二つ取り出しながら訊いてくる雄一郎に、俺は苦笑しながら言う。
「まだって、銚子四本だけじゃ全然飲んだ気がしねえし」
「そうか……」
「ほら、飲め」
 雄一郎から缶を差し出され、それを受け取る。
 今日はまだ一杯も飲んでいないから、これくらい大丈夫か。
 俺はそう思うと、すでに缶に口を付けている雄一郎を見てから缶を開けた。
「……そういやさ、お前、今日もまた自分のじゃない仕事、先輩から押し付けられてただろ?」
「え……?何で知ってるんだ?」
「俺はお前のことを、いつも見てるから分かるんだよ」
 雄一郎は、俺が今まで見たことのない柔らかな笑みを浮かべて言ってきた。
 これで、手に持っているのがビール缶ではなく一輪の薔薇とかだったら、女の人はコロッとオチちゃうだろうな……。って、それはキザすぎるか?
 俺はそんな感想を抱きながら、少しの間雄一郎に見蕩れてしまっていた。
「昨日の電話でも言っただろ?嫌ならちゃんと断れよって。……おーい、聞いてるか?」
「へっ!?あ、ご、ごめん」
「ぼーっとしてると、襲っちまうぜ?」
 雄一郎は笑うとビールを一口飲んだ。
「悪い冗談はよせよ」
「うーん……。冗談ではないんだよな」
 雄一郎の発言に対して苦笑しながら返す俺に、雄一郎は残りのビールを一気に飲み干し、俺の目の前に移動してくると、真剣な顔つきになり俺を見てきた。
「俺、お前が好きなんだ」
「……え?」
「高校の時からずっと好きで、今でもその気持ちは変わらない」
 突然のその告白に俺は目を見開き、何と言っていいのか分からずただ雄一郎を見ていた。
 もしかして、昨日言っていたことは、深い意味があったってことなのか?ということは、雄一郎は本気で俺を……?
 俺はすっかり動揺してしまい、手にしていたビール缶を落としてしまった。
 まだほんの少ししか飲んでいなかった缶から、ビールがどんどんと流れていく。
 だが俺も雄一郎もそれをどうにかしようともせず、ただじっとお互いを見つめ合っているだけだった。
 床に広がっていく液体と、部屋の中に広がっていくその香り。
 少ししか飲んでいないというのに、俺の顔にだんだんと熱が溜まっていくのが分かった。
 おそらく、今の俺の顔は真っ赤になっているに違いない。
「……俺と、付き合ってくれないか?」
「あ…え…と。その……」
 雄一郎の告白に、戸惑ってしまう俺。
「はっきり言ってくれ。イエスか、ノーか……」
 こういう時、すぐにはっきりとした答えを出すことのできない自分が、呪わしい。
 いつも答えをあやふやにしてきたせいで、何度も雄一郎に怒られていた。
 はっきり自分の主張ができなくて、そのせいで嫌とは言えない性格になってしまっていた。
 そんな自分が嫌で、苦しくて……。でもそんな時、力になってくれていたのが雄一郎だった。
 雄一郎には本心を言えて、自己主張もできるようになっていた。
 俺にとって雄一郎は、大切な存在。俺の、一番の理解者。
 俺は、雄一郎をどう思っているんだ?俺を理解してくれる、ただの友人?
 ──いや、違う。
 心の奥底では、いつも俺は雄一郎を必要としていた。
 一人で苦しい時も、雄一郎を思い出すだけで気持ちが楽になっていた。
 ふとするといつも、雄一郎を目で追っている自分がいた。
 ──そうだ、俺も、ずいぶん前から雄一郎に引かれていたんだ。好きに…なっていたんだ。
 そう確信したせいか、ますます顔が熱くなってきた。心臓の鼓動も早くなってくる。
 俺は一度ゆっくりと瞬きをすると、のどに詰まっている声を振り絞って言う。
「い、イエス……」
「ほんとか……?断れないからそう言った、とかじゃなくて……?」
「ち、違う……。俺も、雄一郎が好きだったらしい……」
「俺たち、両想いだったのか?」
 雄一郎は嬉しそうに言って、俺を抱きしめてきた。
 少しだけ強い力で抱きしめられ苦しいが、その苦しさは嫌ではなかった。
 こんな風に人と触れ合う機会など滅多にないから、新鮮で気分がいい。それが、好きな相手ならなおさらだ。
 俺は、雄一郎の背中に腕を回して、ぎゅっと雄一郎の胸に頬を押しつけた。
「雄一郎……」
「何だ?」
「もう少し……。もう少し、このままでいたい……」
「ああ……」
 頬に伝わってくる、雄一郎の規則正しい鼓動。躰全体に伝わってくる、雄一郎の体温。
 目を閉じてそれらを感じる。
 雄一郎が、俺のことを好きだと想ってくれていたなんて、かなり意外だ。それも、高校の頃から。
 全くそれに気づかなかった俺は、鈍いのかもしれない。いや、実際にかなり鈍い奴だ。
 雄一郎に告白をされるまで、自分が雄一郎のことを好きだということに、気づきもしなかったんだから。
 本当に雄一郎は、俺にはなくてはならない存在なのかもしれない。
 雄一郎という理解者がいてくれたおかげで、今まで荒んだりせずにすんだ。
 雄一郎が告白してくれたから、自分の気持ちにも気づくことができた。
 俺はもう、雄一郎なしでは生きていけないかも……。
 雄一郎は、俺の一番の理解者で、俺の一番好きな奴──。



【END】